最初の地震観測

わが国における最初の地震観測は明治5年(1872)、政府のお雇い外国人であったオランダ人G.F.Verbeck(フルベッキ)により、東京・日本橋において、長さ6フィート(約1.8m)の振り子を用いて試みられました。またドイツ人E.Knipping(クニッピング)もこれと別個に、振り子による観測を行いました。

幕末から明治初期にかけては、旧幕府も新明治政府も、政治・経済・軍事・文化等々様々な分野において、近代化を急ぐ必要に迫られていました。その相談・指導に当たったのが、政府によって招聘された「お雇い外国人」でした。その数は明治元年(1868)から明治22年(1889)だけでも、イギリス人928名、アメリカ人374名、フランス人259名など、2,299名にも上っています。

G.F.Verbeck(フルベッキ)を例に取ると、オランダで工科学校を卒業しましたが、その後アメリカに渡って神学校に入学。上海を経由して日本に入国したのは、米国オランダ改革派教会の宣教師としてでした。ところが維新前のことで、宣教師としての活動はできず、英語などを教えて生計を立てていましたが、その間に大隈重信、副島種臣らと親交を結び、維新後は政府の法律顧問などの経歴を持つに至っています。

Knippingは商船学校卒業後、航海士として来日しましたが、大学南校)(東京大学の前身)でドイツ語・数学の教師を務め、後には日本最初の天気図を作成し、「全国一般風ノ向キハ定リナシ 天気ハ変リ易シ 但シ雨天勝チ」という天気予報第1号を出したことでも知られています。

Verbeck肖像G.F.Verbeck

Knipping肖像E.Knipping