一般共同研究

地球内部物質の水素結合をみる

東京大学大学院理学系研究科地殻化学実験施設 鍵 裕之


1.はじめに

平成10年度から地震研究所の大型高圧発生装置 を共同研究で使用させていただく機会に恵まれ,地 球内部物質に取り込まれる水素の存在状態について 化学的なアプローチから研究を進めている.「水素 結合」は岩石を構成する鉱物結晶の中ではなじみの うすい結合力かも知れないが,我々生命体が活動を 維持していくうえで大変重要な役割を持っている化 学結合である.地球内部を構成する鉱物の話題に入 る前に,液体の水がもつ特徴的な性質について紹介 したい.水がいかに特殊な物質であるか,またなぜ 水が特殊な性質を持つのかを理解すると,地球内部 を構成する物質に水素が取り込まれた場合も何か面 白いことが起こるのではないだろうか,という素朴 な疑問を持たずにはいられなくなるのはおそらく私 だけではないだろう.

2.水のもつ特異な性質とその原因

水(みず)はそれと比較しうる水素化物や,さら に化学構造上は直接関連のない他の多くの通常の液 体に比べても融点,沸点,気化熱,融解熱,表面張 力が高い.たとえばメタン(分子量16,沸点 −162℃,蒸発熱9.2kJmol−1),アンモニア(分子 量17,沸点−33℃,蒸発熱23.2kJmol−1),水(分 子量18,沸点100℃,蒸発熱40.7kJmol−1),フッ 化水素(分子量20,沸点20℃,蒸発熱30.2kJmol−1) と第二周期非金属元素と水素との化合物を比較して みると,これらの物質は分子量が近いにも関わらず 水の沸点及び蒸発熱が圧倒的に高いことが分かる (沸点と蒸発熱は分子量が高くなるにしたがって上 昇することが期待される).これらの性質は全て, 液体の水の分子間の引力が他の分子と比べてひじょ うに高いことに起因している.水分子が相互に接近 したときには,一方の水分子の酸素原子の部分的陰 電荷と,隣の水分子の水素原子の部分的陽電荷の間 に静電的な引力が働く.さらに分子内の電子電荷の 再分布がともなって両者の相互作用が著しく増強す ることによって生じる複雑な静電結合のことを水素 結合と呼ぶ.生物の体温や地球表層の温度が一定に 保たれているのは,水の強い水素結合のおかげであ る.

ところで水素結合は水分子間のみに限定されて働 くのではなく,電気陰性度が高く,サイズの小さい 原子(酸素,窒素,フッ素など)と別の電気陰性度 の高い原子に共有結合した水素原子との間にも水素 結合が生じる.図1に示すように生物の遺伝情報を 記録しているDNA(デオキシリボ核酸)分子の二 本鎖は水素結合によって結びついているのも特筆に 値する.

以上の類推からも分かるように,含水ケイ酸塩鉱 物にも水素結合が結晶内部で生じうる.とりわけマ ントル中の高圧力下で存在しうる含水ケイ酸塩鉱物 は,水素原子と酸素原子との原子間距離が縮まるた めに強い水素結合を生じている可能性がある.(ち なみに液体の水に圧力をかけていくと6000気圧ほ どでより強固な水素結合をもった氷に相転移する. ただしこの氷は水よりも比重が重いので我々が日常 目にする氷とは構造が異なる.)地球内部での含水 物質の挙動に,いかに水素結合が関わっているのか を解き明かすことが我々の研究の目標である.



図1 水素結合(点線)で結びついたDNA分子の二重ら
せん(“Introduction to Protein Structure”Carl
Branden & John Tooze, Garland Publishing より)

3.水素結合とアモルファス化

地球内部を構成する鉱物について述べる前に,比 較的簡単な構造を持つ金属水酸化物について述べて おきたい.金属水酸化物(M(OH)2,M=Ca,Mg, Mn,Cd,Fe,Co,Ni)は層状の構造を持ち(図2), 常圧においては層間では水素結合は形成されていな い1).このような異方性の強い水酸化物の結晶に圧 力を加えていくと,結合力の弱い層間の間隔が圧力 とともに優先的に縮まってゆくのに対して,層内で の結合距離には大きな変化はない.その結果,層間 の水素-酸素間の距離も圧力とともに縮まってゆ き,水素結合を形成するようになる.一方,後述す るが,さらに高い圧力条件では水素結合が強まると 同時に水素原子間の距離も縮まるため水素原子間の 反発も無視できなくなる場合もある.

含水ケイ酸塩の高圧力下での挙動については,高 圧下で起こるアモルファス化と深発地震の発生機構 との関連を探るという観点の研究が興味深い.アモ ルファス化とは周期構造を持った結晶が周期構造を 失う変化のことをさす.地震との関連で考えると結 晶構造を持った鉱物は,ある固有の限界までプレー ト運動によって蓄積された歪みをためることができ るが,もしもその鉱物がアモルファス化すると歪み を構造中で維持できなくなり地震の発生につながる のではないか,という考えである.Jeanlozらのグ ループでは,ダイヤモンドアンビルを用いて金属水 酸化物に室温で高圧をかけることによって赤外スペ クトルとラマンスペクトルで観測されるOHイオン の伸縮振動のバンドが,急激にブロード化する現象 を見いだした.Ca(OH)2ならびにCo(OH)2は 11GPaで振動スペクトルは急激にブロードニング を起こす.この際にX線回折パターンは前者では完 全に消失するが,後者では消失しない.前者は完全 なアモルファス化が起こっているのであるが,後者 では水素原子周辺だけでアモルファス化が起こって いると解釈された2),3),4).また,沈み込むスラブ を構成する物質として重要な含水鉱物である蛇紋石 でも似たような挙動が報告された.それによると室 温下で加圧された蛇紋石は10GPaを越えたあたり から徐々にアモルファス化し,深発地震のメカニズ ムとして蛇紋石のアモルファス化というモデルが提 唱された4).しかし,Irifuneらのグループによる高 エネルギー物理学研究所でのマルチアンビルを用い た高圧下X線回折その場観察実験によると,28GPa まで加圧しても室温における蛇紋石のアモルファス 化は観察されなかった.また,高温でアモルファス 相から含水高圧相の一つであるPhase Dの急速な結 晶化が観察され,沈み込むスラブ中の温度を考慮す ると蛇紋石のアモルファス化は地球内部では実際に は起こりえないという結論に至った5)

ところで金属水酸化物で観察されたアモルファス 化の機構について,我々は水素原子周辺の化学構造 の観点から考察を試みた.赤外・ラマンスペクトル でOHの振動が急激にブロード化したにも関わら ず,X線回折パターンは大きな変化がみられない, という現象は直感的には理解しがたいからである. そこで我々は中性子回折によって高圧下でのCo (OD)2の水素原子の位置を観察することにした6). Dは水素の安定同位体で重水素と呼ばれ,HをDで 置換することによって中性子回折から水素原子の位 置を決めることができる.軽水素を重水素に置換す ることによって物質の構造が変わるのではないか, あるいは水素結合の強度が変わるのではないか,と 疑問を持たれるかもしれないが,これらに関しては 同位体効果はほとんどないとされている.得られた 中性子回折パターンを図3に示す.点で示されたの が観察された回折で,実線がRietveld Refinementに よるフィッティングである.枠内は16GPaでのデ ータで,振動スペクトルによれば水素原子周辺でア モルファス化が完了しているはずの圧力である.枠 内上のスペクトルは水素周辺をアモルファス化させ た構造でのフィッティング,枠内下は低圧の時と同 じ条件でフィッティングしたものである.これらを みると分かるように水素原子の位置をみる限りは水 素原子周辺においてもアモルファス化は起こってい ない.それでは何が起こっているのであろうか?先 に述べたように圧力の増加とともに水素結合が強ま るだけでなく,水素原子間の距離も縮まっていく. Co(OD)2の場合は圧力11GPaのときに水素原子間 の距離が1.81オングストローム程度にまで減少し, 一般的なイオン化合物で許容される水素原子間の最 小距離(1.8オングストローム)に近づくため,水 素原子間に強い反発力が働いたものと思われる.赤 外・ラマンスペクトルにみられたブロードニング は,水素原子周辺のアモルファス化ではなく,水素 原子間の反発力によって引き起こされた何らかの水 素原子の再配列に対応するものと考えている.

高圧下での金属水酸化物の水素原子周辺の構造を 精密に観察することによって,含水素化合物の高圧 下での振る舞いには水素結合の強化と水素原子間距 離の減少に伴う水素原子同士の強い反発力が深く関 連していることがわかった.また,どの圧力でどの ような現象が起こるかは,物質固有の層間の縮みや すさによって決まるはずである.



図2 層状金属水酸化物の構造1)(a)層間の水素結合の様子(b)層状構造の様子



図3 Co(OD)2の高圧下での中性子回折パターン7)

4.DHMS(Dense Hydrous Magnesium Silicates: 高圧型含水マグネシウムケイ酸塩)に含まれ る水素原子の高圧力下での挙動

さて金属水酸化物について得られた高圧下での水 素原子周辺での化学的挙動に関する知識を,マント ル条件での含水ケイ酸塩に適用できないであろう か?そこで我々はDHMSに含まれる水素原子の高 圧下での存在状態について調べている.DHMSは Ringwood らによる先駆的な研究に端を発して,実 験室で高圧合成された含水シリケートで,アルファ ベットフェーズと呼ばれることもあり,数パーセン トから10数重量パーセントの水を構造中に含む. 我々はPhase AとPhase Dと呼ばれる含水相をそれ ぞれ重水素置換した条件で合成した.Phase Dの合 成にはタングステンカーバイドアンビルの先端を 4mm角という小さな面積のものを使って約19GPa 程度の圧力を出して合成を行った.昇圧から降圧ま でおよそ二日かける実験で,Phase Dの場合は一回 の実験で得られる試料の量が数ミリグラムであるの に対して,中性子回折による構造決定に必要な試料 の量は100ミリグラム以上である.試料準備まで含 めると大変苦労の多い実験である.

図4にPhase Aで得られた水素原子周辺の局所構 造を示すが,DHMSの水素原子まで含めた構造を 圧力下で測定したのは我々が世界に先駆けて行った 研究である7).二つの水素原子が一つの酸素原子に 向かって水素結合している様子がわかる.この図で 酸素原子(O3)に対して相対的に近い位置にある 水素原子(H1)は,もう一方の水素原子(H2)と 比べて強い水素結合を形成している.圧力をかける ことによって水素結合が強くなる様子が観察された が,水素原子間の距離は2.1オングストローム程度 で,Co(OD)2でみられたような水素原子間の反発 が無視できなくなるのは,数十GPaの圧力領域で あろう.したがって,Phase Aの安定領域を考慮す ると水素原子の反発に起因する構造変化はおそらく 生じることはなく,水素結合の形成のみについて考 慮すれば十分であろう.

Phase Dについても10 GPa付近までの高圧での中 性子回折を測定したが,現時点ではデータの解析が まだうまく行えていない.その理由はPhase D が化 学量論的な化合物でない(化学組成が一意的に決ま らない)ことと,重水素化の程度が不確定であるた めである.今後は重水素化率を何らかの方法で見積 もったうえで解析を進めたいと考えている.

また,元来は無水鉱物である物質でも微量ではあ るが水を取り込むことができる.水の濃度が微量で あってもマントルを構成する主要鉱物であれば,無 視できない量の水を地球内部にもたらすことができ るかもしれない.我々は含水天然MORBを出発物 質として,スティショバイトがどれだけの水を取り 込むことができるか,という観点からも研究を行っ ている8).詳細についてはまたの機会に紹介したい.



図4 Phase Aの水素原子周辺の局所構造8)

5.おわりに

ここで紹介した研究は,鄭貞仁博士(地殻化学実 験施設),John Parise教授(ニューヨーク州立大学), John Loveday博士(エジンバラ大学)と共同で行 ったものである.

地震研究所で高圧実験を遂行するにあたりまし て,地球ダイナミックス部門の藤井敏嗣教授,安田 敦助手,大学院学生の三部賢治さんに大変お世話に なりました.この場をお借りして厚く御礼申し上げ ます.

参考文献

1) Parise, J. et al. (1998) Review of High Pressure Science and Technology, 7, 211-216.

2) Nguyen, J. H. et al. (1997) Physical Review Letter, 78, 1936-1939.

3) Kruger, M. B. et al. (1989) Journal of Chemical Physics, 91, 5910-5915.

4) Meade, C. et al. (1990) Geophysical Research Letters, 17, 1157-1160.

5) Meade, C. and Jeanloz, R. (1991) Science,252, 68-72.

6) Irifune, T., et al. (1996) Science, 272, 1468- 1670.

7) Parise, J. et al. (1999) Physical Review Letter, 83, 328-331.

8) Kagi, H., et al. (2000) Physics and Chemistry of Minerals, in press.

9) Chung J. I. and Kagi, H. (1999) Science and Technology of High-Pressure Research, in press.


目次 へ戻る

地震研究所ホームページトップ

2000/10/18