有珠山2000 年噴火

火山噴火予知研究推進センター 中田節也・渡辺秀文


1 .はじめに

有珠山は3月31日午後1時07分頃に噴火を開始した.噴火に先立って火山性地震が急増し,噴火の到来が間近いことが研究者の間で認識された.地震の発生頻度の推移は明治43年(1910年)の噴火の時に極めてよく似ていていた.一旦,山頂部を膨張させたマグマは幸いなことに北西山麓から音もなく噴火を始めた.これまでのところ,噴火の推移もまた明治の噴火と似たパターンをたどっている.

有珠山は,ここ300年間に限って言えば,流紋岩質からデイサイト質のマグマの活動を繰り返してきた火山である.これまでに7回の噴火が繰り返され,その休止期は長いもので106年,短いものでも31年であった.今度の噴火は先の噴火(1977-78年)から22年しか経っておらずこれまでになく短い.このため,北大有珠火山観測所としては十分な観測体制で噴火を迎え撃つことができずに,やや虚をつかれた感があったものと思われる.有珠山では山頂から噴火を起こす場合には,噴煙の柱が10km以上にも達する規模の大きな軽石噴火を起こし,しばしば,火砕流が発生する.また,山頂の軽石噴火で開始した噴火活動も最後は必ず潜在ドームを作るという特徴がある.潜在ドームとは地下に貫入したマグマが地面を盛り上げて作った小山のことである.

明治43年の噴火の噴火ではマグマが山麓に貫入し,地表を盛り上げて潜在ドーム,明治新山(四十三山:ヨソミ)を作った.マグマ自身は比較的深部にとどまったものと考えられる.これに対して,昭和19-20年噴火では地表が150m近くも隆起した後,溶岩ドームが地表から顔をのぞかせて活動を終えた.これが昭和新山である.今回の噴火はこの300年間の噴火活動では3回目の山麓噴火に当たる.

2 .噴煙活動の推移

有珠山では,1977〜78年山頂噴火後も続いていた新山の隆起が1982年に停止した後は,地震活動も低調であった.しかし,数年前からは,地震発生頻度が次第に増加する傾向にあった.明瞭な前兆地震活動は3月27日朝から始まり,28日には最初の有感地震が発生し次第に活発化した.その後,29日午後から有感地震が急増してピークに達し,30日午後から減少傾向に転じた後,北西山麓で噴火活動が始まった.北大有珠火山観測所によると,当初の震源は北西山腹であったが,29日から有珠山全域さらに南山麓に拡大し,4月1日に最大地震(M4.6)が南山麓で発生した.南山麓で発生した有感地震のメカニズムは,気象庁,防災科学研究所,地震研によって逆断層と推定されている.

地殻変動については,国土地理院,道立地質研究所,地質調査所,総合観測班によって,GPS ,測距・測角,傾斜観測がなされている.その結果によると,当初3月27日から4月1日にかけて,山頂西部を中心としたマグマの上昇による大きな隆起膨張が生じたが,その後は山頂部の変動はほとんど停止し,北西山麓の火口群を中心とする顕著な地殻変動が進行している.これらの観測結果を総合すると,当初,山頂西部地下約2kmへ上昇してきたマグマが既存の小有珠溶岩ドームなどに妨げられて地表に出られず,北西山麓へ斜めに貫入上昇し,噴火を起こしたものと思われる.

3月31日西山西麓で始まった噴火は火山灰を勢い良く噴き上げるもので,噴煙高度は一時3kmを越えた.噴煙は北東方向に流れ洞爺湖の東岸には多くの軽石が漂着した.北大理学部や地質調査所などによると,軽石などのマグマ物質がこの日の噴出物に占める割合は数十パーセントに達するとされている.翌4月1日には,最初の噴火地点から北東に約1km離れた,洞爺湖温泉街裏山の金毘羅山でも噴火が始まった.ここでは激しい火山灰噴火とともに,黒色の土砂が槍の先のような形をして勢い良く火口から飛び出すコックステールジェット噴煙が見られた.これは,地下水がマグマの熱によって暖められ水蒸気爆発を起こしたもので,爆発によって土砂混じりの水が火口から飛びだしたものである.これらの一連の噴火によって多数の火口が西山西麓と金毘羅山周辺に出現した.

噴火は5月末までに次第に勢いを弱めた.4月中頃までは高さ500m以上にも達する,ほぼ垂直のコックステールジェット噴煙が特徴的に出現した(表紙図1).この時,火口下の比較的深い場所に爆発点があったと推定される.噴出した土砂が火口の周囲にリング状の丘(砕屑丘)を作るように堆積し,その内側には泥水の湯だまりができた.泥水は熱泥流となって火口の外にしばしば流出した.その後,やや低いコックステールジェットに前後して,火口の直上で泥や岩石が仕掛け花火のように破裂する噴火に移行した.これは火口域への水の流入が次第に遮断されると同時に,火道が粘土や火山灰などの細粒物質で充填されたために起こったと考えられる.さらに,4月末には水蒸気を主体とする連続噴煙に移行した.ここでは,火口壁が崩れたために起こったと考えられる小規模な火山灰噴煙も時折見られた.金毘羅山の火口群ではこのような噴火パターンの進行がより遅れて見られた.

西山西麓の火口域には隆起に伴う断層や地割れが4月3日に初めて観測された.その後,隆起の進行とともに,さらに多くの断層や地割れが見られるようになった(表紙図2).国土地理院の航空測量の結果でも,金毘羅山の火口域より西山西麓の火口域の方が隆起量の多いことを示しており,地表での断層地割れの発生頻度と対応している.溶岩ドームや潜在円頂丘の形成の際には,隆起速度や溶岩噴出速度に指数関数的な減衰がしばしばみられる.1977〜82年の有珠新山隆起がその典型例であるが,今回の北西山麓噴火後の隆起速度も指数間数的に減少している.その時定数は約10日で,当初数m/日であった隆起速度は5月末現在約10cm/日まで減少している.今回と同じく水蒸気爆発が主であった1910年噴火も,隆起速度減少の時定数はほぼ同程度であり,1943-45年噴火や1977-78 年噴火と比べると1/10以下である.地下水の供給が豊富な地域にマグマが貫入し,冷却効果が大きいためと思われる.



図1 (本文p.3)金毘羅山火口から上がるコックステールジェット.
手前の噴煙が西山西麓火口群.背後は洞爺湖と温泉街.4月10日午前
ヘリコプターから中田撮影.



図2 (本文p.3)西山西麓の火口域の隆起に伴ってできた断層と地割れ.
国道の真ん中に火口が開口している.家屋の屋根には飛来した噴石で
穴が多数開いている.5月5日ヘリコプターから中田撮影.

3 .地震研究所の噴火への対応

北大有珠火山観測所の要請により,火山観測に関係する全国の大学研究者が有珠山噴火の観測強化の支援を行った.地震研究所からは渡辺が29日に派遣され,観測体制の整備を支援するとともに,有珠火山総合観測班(代表者:岡田 弘教授)の組織化に尽力した.これまでの火山噴火でも,しばしば,大学合同観測班が組織されることが多かったが,今回の噴火では,大学とともに,気象庁,地質調査所,道立地質研究所,国土地理院などの研究者が,一緒になって総合的観測を行った点が,これまでと大きな違いである.このため,これまでしばしば見られた,異なる機関での観測項目・観測点配置の重複がはぶかれ,より効率的な噴火活動の診断が可能になったと考えられる.また,総合観測班は,火山噴火予知連絡会の有珠山部会に対して,噴火活動の評価に関する資料を提供し続けた.総合観測班にはリーダーが全国の大学から交代で観測所に詰め,日々の観測内容の調整,観測体制の強化,来訪研究者の観測の便宜を図るなどと共に,気象庁など外部との折衝も行った.

有珠火山観測所は山頂からわずか1.5kmの北東山麓にあり,爆発的噴火を繰り返す火山としては危険な位置にあった.このため,観測者に危険がおよぶ可能性があり,噴火の接近の確信と同時に観測所の移転が決断され,伊達市郊外に仮舎屋が建てられた.ちょうどこの仮舎屋での観測装置立ち上げと噴火開始がぶつかり,前の観測所で記録されている噴火前後のデータの解析が不十分のまましばらく経過した.仮舎屋は市営野球場の敷地にあり,プレハブ2階建てで,データ解析室と所長室の棟と資材置き場と総合観測班用の作業室の棟の2棟からなった.野球グランドはヘリコプターの発着場として使用されたため,日中の多くの時間が大騒音に悩まされるという劣悪の環境であった.また,北大の地質グループは観測所の外に作業場を構えた.

一方,地震研究所は総合観測班の後方支援として,観測班の旅費の確保や緊急観測体制整備に関する調査や申請書類の作成を行った.さらに,「緊急時における研究所の機能確保のための指針規則」(平成10年7月教授会改定)にしたがって,3月30日に検討会を設置した.検討会では,有珠山が北大有珠火山観測所の担当火山であることを考慮し,連絡本部だけを地震研究所内部に設置し,現地調査観測活動の状況把握と支援,情報の収集と提供,文部省などとの対外折衝,調査観測車両の調整,他機関との情報交換などを目的とした.連絡本部は火山センターの職員で構成されるが,センターの教授会メンバー複数名が噴火予知連絡会メンバーとして拘束され,かつ,総合観測班のリーダーとして現地に赴任したため,残された教授会メンバーに任務が集中した.情報公開に当たっては,地震予知情報センターの全面的協力とボランティアワークが不可欠であった.これらの一方で,火山センターのスタッフには適切な業務振り分けがなされないなど業務負担のアンバランスが生じた.今後,これらの問題点を明確にし早急に改善して,三宅島噴火を迎えることが必要である.

大学の火山観測とは別に,火山活動監視のために,気象庁から地震研究所へ衛星テレメータ装置(合計4台)の貸与申し込みがあり,装置設置のための技術官の派遣も行った.予備費で気象庁の緊急観測体制が強化された後も,衛星テレメータ装置の貸与が5月末まで継続した.

今度の有珠山の噴火は,顕著な地震活動が前駆するという有珠山特有の性質を活かして噴火の開始が上手く予知できたことでは,大学の火山観測史上画期的な事件であった.しかし,ひとたび始まった噴火の推移予測に関しては,まだ不十分な達成度であることも確認された.さらに,観測情報の流通に関しては,我が国の火山観測特有の背景と問題点がある.火山情報の一元化に関して,マスコミが現状について誤った報道をするなど,将来の問題点をより浮き彫りにした事件でもあった.


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2000/07/21