2000 年度地震研究所公開講義(1)

元禄16年(1703年)の関東震災

地震火山災害部門 都司嘉宣


1.古地震の研究

近代的な測定器械によって地震が観測され始める のは明治20年代(1880年ころ)のことです.それ 以来,わが国には120年分ほどの地震観測のデータ が蓄積されていることになります.この年代より以 前に起きた地震は主として文献の形で書かれた記録 によって,地震の実像を研究することになりますが, このような明治中期以前に起きた 地震を「歴史地震」と呼ぶことにします.

幸いにもわが国は,中国,韓国,ギリシャなどと ならんで世界でもっとも古い地震記録を持つ国のひ とつということができます.わが国で記録されたも っとも古い地震 記録は西暦415年(允恭天皇5年)の大和の地震で す.それ以来現在までおよそ1500年にわたって地 震が記録されています.

このような長い年月にわたる地震記録によって, 東海地方沖合海域に100年あまりの間隔で繰り返し て起きている東海地震や,それに引き続いて紀伊半 島・四国の南方海域に起きてきた南海地震などの海 溝型巨大地震系列の「くせ」について,われわれは 数多くの法則性を知ることができるのです.

2.関東地方の地震

わが国全体としては,1000年以上にもわたる地 震記録があるのですが,奈良時代,平安時代などの 古い時代については,地震や津波の詳しい記録が残 されているのは,ほぼ奈良や京都をふくむ近畿地方 に限られます.残念ながら,現在の首都圏である関 東地方で,克明に地震の記録が現れるのは,鎌倉時 代始めの12世紀末以後のことになります.鎌倉幕 府は「吾妻鑑(あずまかがみ)」という日記体で書 かれた幕府の公的記録を残しました.このため,12 世紀と13世紀には鎌倉で被害の出た大きな地震は もちろんのこと,単なる有感地震も多数記録されま した.しかし鎌倉時代も半ばを過ぎると「吾妻鑑」 の記載も途絶え,さらに1333年に鎌倉幕府が滅亡 すると関東地方はふたたび,地震史料の乏しい時代 に入ります.

関東地方はその後,三浦氏・北条氏・千葉氏らに 割拠され,戦国時代の末期には後北条(ごほうじょ う)氏に関東地方全体がほぼ制圧されます.しかし, 1590年ついにその本拠地であった小田原が豊臣秀 吉によって落城してしまいます.小田原城内には多 数の記録があったはずですが,この小田原城の落城 によって関東地方の中世の記録がほとんどすべて消 滅したものと考えられます.このため,鎌倉時代が 終わる14世紀の始めから江戸時代の始まる17世紀 の始めまでの約300年間に関東地方で起きた地震の 記録は,ほとんど全て残っていないのです.

3.江戸時代の関東の地震記録

慶長8年(1603)徳川家康が江戸を本拠に幕府を 開いて江戸時代が始まりますと,関東地方の地震記 録は克明に記録されるようになります.江戸時代も 1700年頃になると,関東地方だけではなく,北海 道の一部を除いて,現代に残された地震記録は全国 にくまなく現れるようになります.それだけ寺子屋 などによる初等教育が普及し,文字が広く庶民のも のとなったのです.江戸時代にはいると,被害を伴 った地震が関東地方で起きたとき,記録がないため にわれわれがそれを見落とす,ということはなくな ります.

4.関東地方で江戸幕府開府以来400年間に起き た被害地震

関東地方で被害を伴った地震の発生のようすを図 表の形で現すと,図1のようになります.横軸に年 代,縦軸に地域を配置しました.長短さまざまな線 が散りばめられていますが,これはその年次に被害 を伴う地震が起きて,太い線の範囲で家屋の倒壊を 伴う大きな被害を出たことを示しています.細い線 は小さな被害を生じた範囲です.波マークは津波の 被害があったことを示しています.

大正時代後半に太い線が縦断していて,ところど ころに波線が付いていますが,この線は大正12 年 (1923年)9月1日の大正関東震災(M7.9)を表し ています.

この図には同じようにあと1本太い線が縦断して います.1700年の少しあと,元禄16年11月23日 (1703年12月31日)の午前2時頃に発生した,「元 禄地震」(M8.2)を表しています.調べれば調べる ほど,この元禄地震は,関東震災とよく似た地震で あることがわかってきました.



図1 江戸時代以降の南関東地方の地震図表

5.大正関東震災の特徴

[木造家屋の倒壊率分布]

次のページの図2は大正12年(1923)年9月1日 の正午頃に起きた大正関東震災による,木造家屋の 被害率の分布を表しています.いちばん太い線で囲 まれた地域は,木造家屋の倒壊率が50%を越えた 場所を表しています.震度7という揺れの強さに相 当しますが,神奈川県の相模湾沿いの平野部と,三 浦半島の横須賀の市街地,それに房総半島の先端の 館山付近の平野部に分布しています.さらに,山梨 県の山中湖付近にも飛び地的に分布しています. 次に太い線は木造家屋の倒壊率が10%を越える 場所を表していますが,現在の横浜市,川崎市域を 含む神奈川県の全平野部と,房総半島の平野部全体 に広がっています.飛び地的に甲府市の中心市街地 と,埼玉県の東部で,ほぼ東部日光線にそって帯状 に北に延びています.

意外なことに,現在の東京23区の区域内は木造 家屋の倒壊率はおおむね10%以下にとどまってい ます.東京が大被害となったのは,地震発生後24 時間以内に広がった火災によるものでした.このと き,富山県沖合の日本海を台風が北上中で,風が強 かったことが,火災による被害を拡大しました.

[地変]

大正関東震災では,房総半島の先端部が1.6mほ ど,三浦半島の先端付近も1mほど地盤が隆起しま した.房総半島の隆起は,半島先端部でもっとも大 きく,半島の根元へ行くほど小さくなります.

[津波]

神奈川県南部や千葉県の海岸には大きな津波が襲 いました.神奈川県消防防災課の調査によれば,相 模湾内では,相模川を境にして東側で津波の浸水高 さが大きく,鎌倉の材木座で8mを越えました.三 浦半島西岸部,および先端部でも津波は高く現れま した.いっぽう,相模湾の西側の平塚や小田原では, 津波はさほど高くはなりませんでした.伊豆半島で は真鶴や熱海で津波が高くなりました.



図2 大正関東震災(1923)の木造家屋倒壊率

6.元禄地震(1703)の特徴

多数の古文書の記載に従って,家屋の倒壊数と当 時の全戸数の数値から元禄地震による各地点の震度 分布を図3に示します.神奈川県湘南地方の震度が 6強から7に達すること,房総半島先端部館山付近 も震度7であったこと,江戸の震度は5強と推定さ れること,山中湖付近,甲府市が特異的に震度が大 きかったこと,埼玉県東部にやや震度の大きな場所 が広がっていることなど,多くの点で大正関東震災 と共通点があることがわかります.

房総半島の隆起については松田時彦先生らの調査結 果があります(図4,図5).これらの図によれば, 房総半島では元禄地震のときにも先端部ほど大きな 隆起が起きており,しかも元禄地震のときには,最 先端部の千倉付近の海岸では隆起量が4〜5mにも 達していて,隆起量は大正関東震災の時よりも大き かったことがわかります.すなわち,元禄地震は関 東震災とは兄弟の地震であって,しかも元禄地震の 方が兄貴である,ということを房総半島先端部の隆 起は示しています.

元禄地震による相模湾内の津波の分布に関しては, やはり神奈川県の調査結果があります.大正関東震 災と対比して図6,図7に示しておきますが,津波 の高さの分布が,両者極めてよく似ていることがわ かります.



図3 元禄地震(1703)の震度分布



図4 大正関東震災(1923)と元禄地震の房総半島
の隆起量(松田ら,1974)



図5 元禄地震(1703)による房総半島・三浦半島の隆起
量(m)(松田ら,1974)



図6 大正関東震災による津波の浸水高さ(神奈川県による)



図7 元禄地震(1703)による津波の浸水高さ(神奈川県による)

7.その他の類似性

元禄地震が大正関東震災とは兄弟の地震であっ て,しかも元禄地震の方が兄貴であることは,関東 地方から遠い地方を襲った津波の高さからも推定す ることができます.すなわち,元禄地震のときには, 津波は紀伊半島新宮市三輪崎,尾鷲市九鬼浦などに まで家屋流失の被害をもたらしています.さらに四 国の高知港にまで津波の影響が及んでいます. 大正関東震災の3ヶ月余ののち,大正13年1月15日 に,丹沢山塊を震源とするM7.3にも及ぶ大きな余 震が起きました.元禄地震の場合にも,本震の35 日後の元禄16年12月28日に御殿場地方を中心に家 屋の倒壊を含む被害を伴うかなり大きな余震があり ました.

大正関東震災の8年後,1931年に西埼玉地震が起 き,さらに本震後15年を経過した1938年には福島 県沖に数度の小津波を伴ったやや規模の大きな地震 が群発しました.器械観測による中規模の地震の推 移を調べても,大正関東震災ののち,地震活動の盛 んな場所は,関東地方南部から埼玉・茨城・福島県 沖と次第に北上していったようすが読みとれます. 元禄地震の場合も,元禄地震のあと数年して水戸 で震度4から5とみられる地震が頻発し,さらに27 年を経た享保15年10月1日(1730年11月10日)に 那珂湊港に小津波をもたらした茨城県沖の地震が発 生しているのも同じような経過と考えることができ るでしょう.

8.むすび

以上のように,元禄16年(1703)の南関東地方 を襲った「元禄地震」は,大正関東震災と多くの共 通点を持った,兄弟の地震であることがわかりまし た.両者は220年の間隔で起きております.松田時 彦先生など地質学の立場からも,大正関東震災のタ イプの地震は200年あまりの間隔で起きているとさ れています.このことだけを考えると,大正関東震 災タイプの巨大な地震がわれわれの生きているうち に再来する可能性は少ない,ということになります. しかし,江戸幕府始まって以来の400年の関東地方 の被害地震の履歴をみていますと,もっと短い再帰 性を持つように見える小田原地震や,プレート内で 起きた1855年の安政江戸地震など,元禄地震・大 正関東震災より小規模ながら,首都圏とその周辺に 局地的に大きな被害を及ぼした地震など,関東地方 に住む人々にとって歴史からも学ぶべき法則性はな お多くあります.


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2000/10/18