インドネシア観測点保守日記

海半球観測研究センター 飯高 隆


 

JAL のJL725 便をおり,空港に降り立つと湿気をたっぷり含んだ温かい空気と,かすかではあるがなんともいえないにおいに全身が包まれる.この瞬間「ああ,またインドネシアに来たんだなあ」と実感する.インドネシアのスカルノハッタ空港に降り立つのはこれで何度目であろうか?少なくとも今年に入ってから4 度目のインドネシアだ.

10 時50 分に成田を出発する飛行機は約7 時間かけて,日本との時差2 時間のジャカルタに午後4時につく.しかし,飛行機の旅はこれで終わりではない.今回の最終目的地は,インドネシアの東の端の街ジャヤプラである.かつての,ヨーロッパの大国の植民地政策によるなごりをうけて,ニューギニア島が東経141 度付近を中心に真っ二つに分けられている.その西側がインドネシア,東側がパプアニューギニアである.そのインドネシアのもっとも東端に,目的地ジャヤプラは位置する.

ジャヤプラに向けての飛行機は,インドネシアのジャカルタを午後9 時に出発する.それから,マカサ,ビアクと止まり,7 時間半以上かけてジャヤプラに到着する.東京から計15 時間近くにのぼる飛行機と空港での5 時間の待ち時間.けっして楽な旅ではない.一晩かけて飛ぶ飛行機は,マカサ,ビアクで止まるために2 時間ごとに起こされ,各空港で約40 分の待ち時間がある.つまり,ウトウトして2時間たつと起こされ,空港で待たされる.空港では,インドネシア語でのアナウンスと,英語の不得意な私には何度聞いてもインドネシア語にしか聞こえないインドネシアなまりの強い英語での手短なアナウンスしかないため,うっかりしていると乗り過ごしてしまう.そのため,全身に緊張をみなぎらせて,まわりの人々の様子と出発時間とゲートナンバーが表示されるテレビにくぎ付けとなる.そして,やっとマカサでまた飛行機にのってもウトウトして2 時間後には,またビアクでのストップがある.このようにして,ジャカルタ時間の午前4 時45 分,現地時間午前6 時45 分にジャヤプラにつくのである.つまりジャヤプラは,日本との時差がなく,日本からまっすぐ南下すればジャヤプラにつくのである.直行便さえあれば,7 時間程度でジャヤプラであろう.では,なぜ直行便がないのであろうか?それは,簡単.とてもリゾートになるような雰囲気ではないのである.このニューギニア島は島の大半がジャングルに覆われ,南の方では石油が採れるということで,掘削も盛んなようであるが,このジャヤプラは,多くの人をひきつける主な観光資源がない.しかしながらこのジャヤプラは,マニアのツーリストには知られている町なのである.それは,秘境ツアーである.ここから飛行機の乗り継ぎで1 時間弱のフライトでジャングルの入り口ワメナにつく.このワメナが秘境への入り口ということで,秘境が好きな欧米人のツーリストをしばしば見かける.ワメナへの入り口ということで,ジャヤプラも観光客を目当てにしているためか,空港にある売店では原住民の写真やそれらの民の習慣であるミイラの写真,その他それら民族の生活道具などを売っている.

そのような地域であるがゆえに,衛生状態もそれほどよくなく,ジャカルタでは心配する必要もないマラリアもここでは大いに心配の種である.前回,藪をかきわけて歩かねばならない状況に陥った.心配になって現地の人に,「ここは,毒蛇はいないのか?」ときいたら「いる.しかしジャヤプラで一番怖いものは蚊である.」と言われてしまった.私も,ジャヤプラに行くまでは,予防注射でも打っていけば大丈夫なのだろうと気にも留めないでいたが,いざ行くと決まって調べだすと予防注射はなく,いくつかの予防薬が売っているだけで,その予防薬も日本では手に入りにくく,うまく手にいれたとしてもそのほとんどが耐性ができてしまっているのであまり役に立たない始末.結局は,体中に虫除けスプレーを塗り,夜は蚊取り線香を絶やさず,マラリアにかからぬよう幸運を祈るのみの対応になってしまっている.

ジャヤプラの紹介が長くなってしまったので本題の観測の話に戻ろう.インドネシアもIRIS がジャカルタの近くに観測点を設置しているため,海半球観測研究センターでは,前身のポセイドン計画を引き継ぐかたちで,東端のジャヤプラと西端に近いパラパトに観測点を持っている.もちろん我々だけでは,維持管理が困難であるので,インドネシアの気象庁にあたるBMG と協力して観測を行っている.空港に降りると,大半の場合,現地にあるBMG の職員の方が出迎えに来てくれており,車で一時間ほど走り,ジャヤプラ観測点につく(写真1 ).このジャヤプラ観測点は,BMG のアンガサ測候所の一室に観測機器を置かせてもらい,そこから200 m ほど離れた斜面に横穴をほり,センサー室を作らせてもらった(写真2 ).センサー室は,一畳ほどの小部屋を二つつくりその奥に,STS _1 の3 成分がセットできるようながっちりしたコンクリートの台座をつくり,そこに3 成分ともセットしてある(写真3 ).

 

写真1  アンガサ測候所の概観

写真2  センサー室概観.ヤシの木に囲まれた山の中

写真3  STS _1 地震計の設置風景.

壕の深さが浅くて,がっちりした岩盤をくりぬいたような場所でないため,残念ながらノイズが静かな観測点とまではいたっていない.観測点設置当初,午前中にゆっくりとしたノイズが水平動に現れるということに気がついた.この山が,東南の方向を向いているため,朝日によって地震計室の温度が変化し水平動のノイズになっているのであろうということで,地震計室を仕切る鉄板製のドアを強化しようと森田さんと2 人で発砲スチロールを大量に切って持っていき,貼り付けて見たものの十分な成果は得られなかった.同様の現象は他の観測点でも報告されているようであるが,十分な原因究明とはなっていないようである.外国の観測点ではノイズの軽減も一苦労である.

アンガサ測候所は所長ほか10 人弱の所員で構成され,短周期地震計がセットされており,キネメトリック社製のドラム式レコーダーが動いている.所員は毎日のように紙の交換をし,地震がおこると初動時刻を読み取って報告しているようである.紙記録を見せてもらうと結構頻繁にローカルな地震が発生しているようで,毎日のようにいくつもの地震が記録されている.その測候所の一室の隅を借りてレコーダーシステムがセットされている(写真4 ).当然空調等なく隙間だらけの部屋であるので,行ってみるといっつも埃だらけであるが,現地の所員の方たちは親身になって面倒を見てくれている.壕から200 m 離れたこの観測室にモニターとなるCRT を設置して(写真5 ), 地震計の様子を現地の所員に監視してもらっている.何かトラブルが起こるとメールで知らせてもらい,状況を詳しく聞いて対処するという方法をとっているが,これが大変なのである.まずは,英語.お互いネイティブスピーカーでないこともあり,ほとんど状況がつかめない.アンガサ測候所にも英語が得意な人がいなく,状況をつかむのに一苦労なのである.また,電子機器にくわしい人もいなく,細かいところはお願いできないという状況なのである.

写真4  観測室に置かれたレコーダーシステム

写真5  観測室から観測壕への道なにやら“ジュラシックパーク”を彷彿とさせる

今回は,「大きな雷があって近くに落ちてそれ以降,CRT に波形記録が映らない」との報告を受けた.いくつかの質問事項のやり取りのあと,どうも壕と観測室の通信は大丈夫なようである.ということで,「故障は,おそらくセンサーかAD ボードであろう.」という推定のもと,現地に出向いた.これら修理のための荷物も馬鹿にはできない.何が壊れているかわからないという不安から,工具類やスペアパーツはどんどん膨れ上がり,AD ボード2 枚,インターフェイスボード,GPS ボード,これにレコーダーをコントロールするためのコンピューター,いろいろなコネクターにつなぐためのケーブル類一式,モデムに構内モデムとはちきれんばかりの重さ30kg をゆうに超えるスーツケースを片手に,ジャヤプラにやってきたのである.

到着すると,なるほどモニター画面には波形の姿はなく,カーソルがむなしく移動している.まずはセンサーであろうということであたると,メーターは一方向に行ったきり,“あれま”と思いここで一応システムを立ち上げなおしてみるが状況変わらず.記録器はどうも正常のようである.ということでセンサーの電圧をあたる.+/−15V 出ているはずが,−は出ていない.電源供給部がいかれているか,AD ボードが壊れて変なバイアスを乗せているのではないかということで,次は電源部をみる.そうしたらなんと,センサーに供給する電源のヒューズがとんでいた,という結果であった.こう書くと冷静沈着に対処したように見えるが,実際はテスターをあてては「なんだーこれ!」オシロスコープで計っては「どうなってんだー!」の繰り返し.GPSのシステムの交換の為に同行してた中尾さんの適切なアドバイスもあり,順調にヒューズを交換し事無きをえた.何しろこのような遠隔地までやってきて,修理できなくてまた来ますでは,あまりに悲しい.往復30 時間にわたる飛行機の旅とジャカルタの空港で行きと帰りで12 時間の待ち時間をかけての長旅の結果が,観測システムのパネルの奥に鎮座ましますヒューズ一個の交換となったわけである.その間,記録器を製作した業者に電話をかけようとしたが,ジャヤプラ市内でも田舎であるアンガサ測候所からではかけられないということで,近くの電話局のようなところへ.そこでかけようとしたが回線が混んでいて日本にはかかりませんとのことだった.日本では何の苦労もなかったことが外国ではすべてにおいて不便で,いっつも勉強させられる.とにかく“持っていった道具とスペアパーツだけで,自分ひとりで何とか対処しなければならない.”というのは大きな重圧である.

少し前に,インドネシアに属した東チモールの独立運動が新聞やテレビをにぎわしたように,この地域もパプア人の独立運動で時々政情不安定な状況になる.少し前にもこの地域で,独立を宣言して独立国旗を掲げた人々が銃撃にあい,死傷者が出た経緯がある.我々も昨年,観測点に保守に向かおうとしていたところ数日前になって,“今は危険だから,キャンセルしろ!”というメールをもらい,渡航をやめたことも2 度ほどある.また,様子を伺うメールを送ったところ,“今は少しの間静穏であるから,来るならすぐ来い!“というメールを貰い,すぐに保守へと向かったこともある.このように,外国の観測点の保守は,さまざまな制約条件があり,つくづく大変であると実感させられる.皆さんも機会がありましたらジャヤプラへどうぞ.いまや世界中いたるところで見られる日本人観光客もここでは稀で,新鮮な体験を味わえること請け合いです.

 


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2001/09/10