2001 年インド西部大地震における緊急GPS 観測と被害調査

加藤照之,青木陽介(地震予知研究推進センター)

宮下芳,K.Vijay Kumar (茨城大学理学部)

C.Divakar Reddy (インド地球電磁気学研究所)

 

1. はじめに

2001 年1 月26 日現地時間午前8 時46 分(日本時間午後0 時16 分),インド西部グジャラート州において大地震(Mw =7.6 )が発生した.インド政府によると,2 月19 日現在,死者19,213 人,負傷者166,812 人,倒壊家屋165,000 戸,被害家屋446,000戸,被災額192 億ルピー(約480 億円)であり,地震による被害としてはインド史上もっとも大きなものとなっている.またこの地震はインドプレート内で起きた地震であるが,プレート内地震としては世界史上最大級の地震である.全地球測位システム(GPS )をもちいて地震後の地表の変形を時間的,空間的に明らかにし,それによって地下で地震後どのようなプロセスが進行しているのかを解明することによって,プレート内で発生する大地震のメカニズムに対する理解が進むであろう.そのような観点から我々はインド地球電磁気学研究所(IIG )と共同でGPS 観測を2 月上旬より開始した.日本人グループは2 月18 日に現地に入り,25 日まで観測点の設置及びメンテナンスを行った.観測は3 月はじめまで続けられ,現在は数点を残して撤収しており,今後8 月頃まで月1 回程度の割合で観測を行う予定である.ここでは,GPS 観測のほかにも建築物被害,地割れ,液状化現象についても簡単に報告する.ちなみに著者のうちK.Vijay Kumar は茨城大学大学院へのインドからの留学生であり,C.DivakarReddy はIIG からポストドクとして地震研究所に本年2 月まで滞在していた.

2. 経緯とGPS 観測

地震発生後,文部科学省平成12 年度特別研究促進費「2001 年インド西部大地震の総合的調査研究」(研究代表者 弘前大学理工学部 佐藤魂夫教授)による調査団が結成された(地震学会ニュースレター,vol.12,No.6,2001 参照).調査団はGPS ,地震,活断層,被害調査の4 グループから構成され,先陣を切ってGPS グループが現地入りすることとなった.まず,日本滞在中の二名のインド人がGPS3 セット(Trimble 社製4000SSI 型)を携え2 月4 日に,さらに4 セット(同社製4000SSE 型)を携えた日本人3 名が2 月18 日に,それぞれ日本を出発し現地へ向かった.ボンベイにある相手方共同研究機関のIIG では,既に1993 年にインド内陸で発生して大きな被害を与えたLatur 地震(M6.2 )を契機としてGPS 受信機を装備しており,今回の地震に際して7台(Trimble 社製4000SSI2 セット及びLeica 社製SR299 型5 セット)を出動させたため,合計14 台を震源域に展開できることとなった.

GPS はカーナビなどに用いられているが,その使い方によって1 cm 程度の精度で自分の位置を知ることができる.これを用いて同じ場所を何度も計測すれば地殻の動きを測ることができる.我々が設置した観測点配置は図1 のとおりである.

 

1  GPS の観測点配置(●と▲).震央(★;USGS )と関連する都市(□)も示す.右上の地図中の長方形の部分を拡大したのが左下の図である.

日本人グループのインド滞在中にはこのうち6 点の観測点の設置及びメンテナンスを行った.出発前にはこの地域の断層や本震の震央位置やメカニズムの情報をホームページなどを通じて入手していたが,震源断層が未発見であったことなどもあり,現地入りするまで,我々はどのような観測網配置をとればよいか,よくはわからなかった.幸い現地Bhuj の地震観測所を訪れた際に余震分布図を入手することができたので,それまでに得ていた情報と合わせ,震源域を取り囲むような領域に観測点を配置することが可能になった.

選定した観測点(たいていは建物の屋上)では,まずドリルで穴をあけ,そこにボルトをうち,その上に整準盤,アダプタ,及びアンテナを装着した(図2 ).

 

2  設置されたGPS アンテナ.

電源が供給される限り,全ての観測点で30秒サンプリングで毎日24 時間の観測を行っている.これにより1 日ごと,もしくはそれより短い時間分解能で各観測点の座標を知ることができる.電源の供給があるところでも供給は非常に不安定で停電することがしばしばであるので,バックアップとして外部バッテリを用いている.Bhuj 観測点(図1 )においては1 日に1 回自動的に受信機内のデータをパソコンへダウンロードするシステムが構築されたが(図3 ),他の観測点では受信機内にデータがため込まれているため4 〜10 日に1 回程度観測点を訪れデータをダウンロードしなくてはならない.

 

3  GPS 受信機とパソコンによる収録システム.

できるだけ多くの観測点で連続的に長期にわたって観測を実施することが地震後の余効変動調査には必要であるが,残念ながら人力,資力に限界があり,また,受信機を放置することは安全の面からも好ましくないと思われたので,3 月のはじめには一旦観測を中止し,受信機は引き上げられた.今後何度か現地観測を繰り返し実施する予定である.

3 .建物の被害

日本人グループがボンベイから震源域にあるBhuj へ空路到着したのは19 日である.ここから東へ向かってGPS 観測点を選定・設置しながら進んだのであるが,途中のRatnal (23.18N,69.88E ),Anjar (23.03N,70.02E ),Bachau (23.30N,70.34E )などの町はほぼ壊滅状態であり,多くの建物が図4のように崩壊して瓦礫の山と化していた.

 

4 ほとんどの建物が倒壊したBachau の街.ここはもっとも被害が激しい街の一つであった.

Anjar の町では共和国記念日という祝日の行事で行進していた小学生400 人が倒れてきた建物の下敷きになり一挙に命を失ったという.町中は概して道路が狭く,多くの人がひしめき合う中ではひとたまりもなかったであろう.Rapar (23.57N,70.63E ;図1 )でも崩壊した建物が多く見られた.崩壊した多くの建物は煉瓦や石を積み上げて“しっくい”で固めただけの建物で,耐震性に乏しいため被害が大きくなったものと思われる.日本では多層の建築物の場合低層階がつぶれることが多いが,この地震では典型的な崩壊の仕方は図5のような様子で,上部から崩れ落ちているのが特徴である.

 

5 建物の典型的な崩壊の仕方.多くの建物は煉瓦造りで中には鉄筋すら入っていないため,上部から崩壊している建物が見受けられた.

このような建物の上にのぼってみると,わずかに鉄筋が入っている建物もあったが,素人目にもかなり粗略なものであることが明らかであった.震源から遠くなると倒壊している建物は少なくなるが,ほとんどの建物にクラックが入っていた.なお電信柱はあまり倒れていなかった.

4 .断層及び地割れ

我々は地震断層を発見することはできなかったが,地震による地割れを何ヶ所か発見した.その中で最大のものはRapar の町から南西に約20 km の23.47N,70.43E 付近にあって,長さ約200 メートルにわたり深さ6 _7 メートルの地割れが発生していた(図6 ,図7 ).ここは小高くなっていて,北東―南西に伸びた堰堤のような形状をしている.南東側に図7 に示すように直径500 m ほどの小さな湖があり,この土手が中央から割れて半分が湖の方に向かって倒れ込むように割れているのである.割れ目に入って断面を見ると赤茶けた(火山性?)の乾燥土壌になっていた.

 

6 地割れの断面.人の大きさから地割れの深さは6 _7 メートルに及んでいることがわかる.

 

7 地割れを近くの丘から俯瞰する.長さ約200 メートルにわたって大規模な地割れが発生している.

5 .地下水の噴出

観測点間の移動中,我々は液状化(?)による地下水の噴出跡を2 箇所発見した.場所はBhuj から約25km 北東に行った23.4116N,69.9335E 付近(噴出跡1 ;図8 )および23.4036N,69.9466E (噴出跡2 ;図9 )である.このあたりは砂漠であるがどちらの場所でも塩水が吹き出ていて,水分の乾いたところには塩分が残って白くなっている.この地域は一年が雨季と乾季に別れており,6 月頃に始まる雨季にはぬかるみになるそうである.乾季である今は地表は乾いた砂漠状であるが,地下水位は意外と高いのかもしれない.地震動によりこの地下水が噴き上げられたのであろうか.地元の人の話では噴出跡2 では地震時に1.2 メートルほど水が吹き上がったようである.その後次第に噴出圧が低下したが,2月19 日の観察時点でも水の湧き出し口が存在して水の流出が続いていた.

 

8  地下水の噴出跡1 .地震による液状化により,砂漠の真中に池が出現した.後方の白い部分は塩であり,実際筆者らが池の水をなめたところ塩辛い味がした.

 

図9 地下水の噴出跡2.この地点は地震のあと1.2メートルほど水を吹き上げていたそうである.

6 .最後に

我々は被害や地割れなどに関しては素人であるので記述に間違いがあるかもしれない.その後引き続いて出発した調査団からこれらの点についてより詳しく,正しい報告があることを期待したい.また,GPS 観測は今後の結果次第で長期の観測へと移行する可能性もあるが,当面は今夏までで日本側から持ち込んだ受信機は引き上げる予定である.日本近辺で発生したM 8 クラスの地震では余効変動が数十年にわたって続いた場合もあり,長期的な観測体制が望ましい.今後の観測研究体制についてはインド側機関と打ち合わせることになる.この地震を機会にこれまであまり知られていないインドやその周辺地域の地殻変動やテクトニクスが明らかになることを期待したい.


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2001/09/12