追悼文

瀬戸憲彦さんを偲ぶ



 瀬戸憲彦さんは,去る3月23日に郷里の広島の実家を目前にして交通事故により逝去されました.享年56才,親孝行と日頃の多忙の身を癒すべき旅が暗転したのは夕の午後4時40分頃のことでした.前日電話で近況を報告しあい,帰省から戻ったら今後の計画などについて観測所で話を伺いましょうと約束し,旅の安全の祈りを伝えた私にとっては全く信じられないことでした.当日の朝も観測所に出向かれ,システムの点検と読み取りをされた記録が残されていましたが土曜日だったため,最後に話しをされたのは前日夕刻に会われた高知大学の木村さんだと聞いています.
 瀬戸さんは戦後間もない1946年年1月広島県久井町に生まれ,高校生活は尾道市,次いで大阪工業大学で電子工学を学びながら,玉城研究室で地球科学観測の仕事を手伝って居られました.1965年全国大学による第3回極微小合同観測では同大学のメンバーとして参加,和歌山県下津町の下津木観測点での観測および資料整理をされた経験があります.この縁もあり1968年2月地震研究所和歌山微小地震観測所に採用され,同年4月技官,1982年助手になられ,以後一貫して同観測所の維持発展に寄与されました.従って,和歌山観測所に最も長く勤務された人であり,その当初から大学関係の観測機器,システムのほぼすべてを見てきたことになり,観測の企画,機器装発,観測網の構築,観測データの処理解析および考察に至る総合的な経験者として数少ない研究者だっただけに早世が惜しまれます.
 和歌山観測所は前身が南海地動研究所であり,その当初から従事された今村久先生(今村明恒博士次男)が居られたことで地元との交流も深く,また,地球科学全般たって興味深いフィールドとして近隣の各大学の研究者や一般の見学者が訪れ,議論や談笑の場ともなっていました.また,本所地震活動(宮村)研究室の諸先輩,同僚諸氏の理解を得て比較的束縛されない環境下で観測所生活を送れたことが瀬戸さんの能力を発揮させ,充実した日々を過ごされたのだろうと思います.今となってはこれがせめてもの慰めです.
 瀬戸さんの仕事ぶりや想い出については数多くのことが頭に浮かびますが紙数が足りませんのでほんの一部を紹介します.当初はルーチン観測の整備や保守が主でしたが,1970年の和歌山市域での臨時観測から独自の機器開発を始め,その後,第13次南極越冬隊員として参加したことでいろいろな分野の隊員との交流によって視野を広め,以後定常観測網の整備事業とともに各種の臨時観測用のシステムの開発をされました.特に得意の電子技術を駆使し,観測所内に通称”瀬戸工場”を設けて,刻時精度を高め一括集中処理ができる集中多点観測網を目指したシステム造りに腕を振るいました.よく専門業者が見学や相談に訪れ,熱心な討議が行われていました.このシステムの成果として生石山に基地局を設け紀伊半島西部に起こる群発地震活動と構造調査に着手しました.しかし,評判が高まり本家での本格的な稼動が後回しになり寧ろ国内各地の臨時観測やエジプト,中国などでの調査研究への応用が先行していました.最後の電話の中で”最近は無駄な雑事が多すぎる.時間が惜しい”とこぼしていたのが気になっていました.これから腰を落着けてやろうとしていた矢先だっただけに,この点はさぞ心残りだったろうと思います.
 瀬戸さんが勤めたこの30数年の期間はパソコンや衛星利用の普及に象徴されるように電子技術,無線技術,情報処理技術などがめまぐるしく変わった時期に当たり,地震観測の方法も大きな変化を伴いました.一方,地震研究の大切な要素として時系列の問題がありこれは研究資料の蓄積ということでした.このため,いずれの時期の資料にも比較対応できるように処理装置の維持管理は大変なことでしたが,彼はそれぞれの特徴を活かして利用できるように工夫して残す努力を払ってきましたので,巧く引き継がれることを願っていることでしょう.なお,瀬戸さんの成果報告については技術報告,彙報,和歌山観測所各種報告類ほかに多数残されていますので紹介は省かせて頂きます.
 観測所には,国内外の訪問地の先々で実に多くの観測仲間と撮った写真が残されています.彼の笑顔は皆を激励しつづけることでしょうし,彼が置き回った数々の観測機器も働きつづけてくれることでしょう.
 今は,観測に明け暮れた僅かな合間をぬって畑仕事,山の手入れに戻られていた故郷の地で,御両親とゆっくりお休みください.なお,奥様が一日も早く快復され,想い出の日々を語られることを願っています.いまはただ,心よりご冥福をお祈り申し上げます.       合掌

                                  
                               中村 正夫 記(元地震地殻変動観測センター助手)

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2002/06/1