共同利用研究集会

「地震発生の物理からみた地震発生帯の掘削」報告

地震地殻変動観測センター  篠原雅尚
東北大学大学院理学研究科  日野亮太



 平成14年度共同利用による研究集会「地震発生の物理からみた地震発生帯の掘削」(代表者 日野亮太)が,2002年6月12日_13日に,東京大学地震研究所第一会議室において開催されました.ここでは,この研究会の概要についてご紹介します.
 地震を発生させるような活断層の深部の状態やそこで進行している現象を明らかにすることは,「地震とは何か?」「地震はなぜ起こるのか?」という我々地震学者の持つ根元的な疑問に直接答えを与えてくれるものと期待されます.大深度のボーリング孔が掘削できるようになりつつある現在,「地震発生の現場」である断層深部に直接アクセスする手段として,断層近傍あるいは断層帯内部での科学ボーリングが注目されるようになってきました. 2003年に開始される統合国際深海掘削計画(IODP)では,ライザー掘削という最新の技術により海底下10kmにも達する大深度ボーリングが可能となると期待されており,海溝型巨大地震とよばれる沈み込み帯で発生するプレート境界地震の震源を構成する物質を手に取り,また計測機器を設置してそこでの状態・現象を直接計測することが,現実のものとなろうとしています(図1).
この「地震発生帯掘削」がもたらす試料および孔内計測データは,地震発生の物理学に関する理解を格段と向上させるものと期待されますが,こうした科学掘削計画の成否は,科学と技術の双方に裏打ちされた周到な実施計画が立案できるか否かにかかっているといえるでしょう.この研究集会は,地震発生帯における地球科学的な知識と深海掘削技術の最先端に基づいて,地震発生帯掘削によって何を知りうるのかを予測することを目的として企画したものです.
 基調講演は,南海・東南海地震の予知研究の第一人者であるばかりか,地震断層帯掘削のリーダ的存在である安藤雅孝によって行われ,地震発生帯掘削によって地震発生のどのような物理過程が明らかにされるべきなのかという方向性とともに,こうした科学掘削の重要性が述べられました.研究集会の第一の目的は,現時点での掘削地点候補である南海トラフ海域周辺のプレート境界地震発生帯について理解の現状を,最新の研究成果をレビューすることにより,整理することにありました.望月公廣は,1944・1946年に発生した東南海および・南海地震の震源域周辺における現在の微小地震活動につき,自己浮上式海底地震計アレイによる繰り返し観測の成果を中心に報告しました.山中佳子,谷岡勇一郎は,それぞれ,地震発生当時に得られた強震動地震記象および検潮記録にとらえられた津波波形の解析により,東南海・南海地震の地震時すべりの時空間分布を示しました.地震時すべりの空間分布は,地震の前後で得られている測地測量データからも推定されており,その結果は宮崎真一が紹介しました.地震の発生後には,プレート境界において海陸のプレート間が再び固着すると考えられ,宮崎は測地学的データからプレート間の固着域の空間分布もあわせて示しました.このような地震時すべりや現在のプレート間固着の空間分布は,断層面における摩擦パラメタの空間変化に規定されていると考えられるため,掘削地点の選定を行う上で最も重要な情報となります.木下正高は南海トラフ周辺での海底地殻熱流量観測の成果をコンパイルすることにより地下温度構造を求め,その横方向の構造変化の要因としてのプレート境界近傍における水の流れの重要性を議論しました.南海トラフ域の海陸プレート境界付近の地震学的な構造は,最新の人工地震探査技術により精緻なモデルが得られており,朴進午,小平秀一,蔵下英司はそれぞれ,海上反射法地震探査,海上屈折法探査,海陸統合長大測線探査のデータによって明らかにされた構造モデルを示しました.彼らの結果をあわせることによって,プレート境界地震発生帯の最浅部から最深部に至るまでの構造が概観されました.さらに,神谷眞一郎は地震波トモグラフィの手法を用いて,こうした人工地震探査ではカバーしきれない広域の地下構造の地域変化についての報告を行いました.
 研究集会の第二の目的は,地震発生機構を支配する物理法則を理解する上で地震発生帯掘削が解決すべき課題を整理することにありました.加藤尚之,吉田真吾,平原和朗は断層面上でのすべり安定性を記述する摩擦パラメタに空間的な不均質がある場合のすべり現象を数値実験によって再現し,摩擦パラメタと地震すべりの空間分布にみられる対応関係を明らかにするとともに,アスペリティとよばれる大きな地震時すべりを起こす領域が複数あった場合にそれらの相互作用によって,南海トラフで実際に観測されている特徴的な地殻活動や地震サイクルを説明することが可能であることを示しました.こうした数値実験から得られた結果は,掘削試料および孔内計測によってプレート境界における摩擦特性を解明することが地震発生過程を理解する上で本質的に重要であることを示しています.瀬野徹三は,巨大地震は複数のアスペリティの複合破壊であり,大地震の準備過程としてアスペリティの周辺領域における流体の移動が重要な過程であることを説明しました.地震の震源となる断層面上での摩擦パラメタを観測的に導く手段として,福山英一は高精度観測により得られる地震波形記録が利用可能であることを示しましたが,それでも,応力場の絶対値を掘削孔内での直接計測から求めることが不可欠であると述べました.また,井出哲は地震時のエネルギー収支の観点から地震の発生過程を理解することの重要性を示し,そのためには震源直近における孔内微小地震観測のデータが必要であるとしました.
 研究集会の第三の目的は,地震発生帯に達するようなボーリング孔を掘削し,そうした孔内において地震発生機構を支配する環境パラメタ・物理量を計測するための技術要素に関する情報交換にありました.そのために,掘削・孔内計測の専門家である小林照明,川村善久,斉藤実篤に現在建造が進められている深海掘削船「ちきゅう」の掘削および孔内計測の技術仕様についての講演を頂きました.それを踏まえて,地震学者側からの明確な科学目的の提示とそれに基づいた必要技術の開発が産学共同で進められていくことの重要性が,三ヶ田均によって強調されました.さらに,掘削孔を使用した地球物理学的な観測研究の事例紹介が行われました.現在の国際深海掘削計画(ODP)による海域掘削の成果として,孔内水圧の時間変化観測による水理学的な研究や,掘削孔内に設置した地震計・傾斜計・体積歪計による地震・測地学的観測のデータについての紹介が,木下正高,荒木英一郎,篠原雅尚によって行われました.また,掘削孔から得られる試料の力学的特性から断層の摩擦すべり特性を解明するためのアイデアについて加藤愛太郎が講演を行いました.地殻応力測定のためには,ボーリング孔の利用は不可欠ですが,高精度測定を実現するための問題点が佐野修によって指摘されました.日本国内の陸域においては,野島断層や糸魚川_静岡構造線などの活断層近傍で科学掘削が行われ地震観測が行われています.桑原保人,田所敬一,水野高志はこうした断層近傍における孔内地震観測の成果として得られた断層破砕帯の地震学的構造を示すとともに,それらが地震発生過程を理解する上でいかなる意味を持つのかについて議論しました.三浦哲は陸上における掘削孔を用いた地殻変動連続観測の経験にもとづいて,地震発生帯掘削における地殻変動連続観測の戦略についての展望を述べました.最後に,南海トラフとの比較研究としての観点からの講演がありました.松澤暢,日野亮太は,日本海溝周辺における地震活動や地震波速度構造の研究から,アスペリティの実態が地震観測データにもとづいて明らかとなりつつあることを示しました.矢部康男は,そうした日本海溝周辺におけるアスペリティの大局的な分布は,室内実験によって知られるような断層面の成長過程と密接な関係があることを示しました.伊藤久男は米国サン・アンドレアス断層と台湾の車籠断層で計画されている掘削計画を紹介しました.
 以上の講演が終了後,総合討論を行い,地震発生帯掘削によってのみ検証可能な地震発生過程についての具体的な作業仮説を参加者全員で討議しました.残念ながら明快な結論を得るには至りませんでしたが,掘削孔から得られるピンポイントの情報を地震発生帯全体に外挿するためには,地震学的・電磁気的・水理学的構造や断層とその近傍における地震・非地震性すべり・変形を,断層帯の掘削孔が貫通する部分だけでなくその周辺においても精細に明らかにするとともに,より広域での時空間変化をも解明する必要性があるとの認識に至りました.そして,こうした研究を進めていくためには,本研究集会でレビューされたような現状の知識・問題点を踏まえ,掘削開始前の現時点から観測研究を充実させていく必要がある,との結論に達しました.

図1 南海トラフにおける海陸プレート境界地震発生帯の掘削計画(概念図)



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