一般共同研究

富士山噴火の際に大気中に放出された塩素および硫黄


富士常葉大学環境防災学部 佐野貴司


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2003/3/1

図2 宝永噴出物の各ユニット(宮地,1984)含まれる塩素量.メルト包有物中の塩素量(黒丸)は岩石中の塩素量(白丸)よりも多いことが分かる.メルト包有物中の塩素量から岩石中の塩素量を差し引いた量が大気へ蒸発した量である.
図1 富士山1707年噴火(宝永噴火)の際に噴出したスコリア中に存在するカンラン石の電子顕微鏡写真(2次電子像).カンラン石中にメルト包有物が存在することが分かる.このメルト包有物は地下深くでマグマからカンラン石が成長する際にマグマの一部を取り込んだものであると考られている.
1. はじめに

 平成13年度に地震研究所の走査電子顕微鏡(EPMA:日本電子製JXA_8800R)を使用させていただき,共同利用研究を行った(共同研究者:地球ダイナミクス部門,藤井敏嗣教授・安田敦助教授).これにより富士山噴火の際に大気中に放出された塩素および硫黄量の推定が行われつつある.ここではこの共同利用研究の成果を報告する.
 通常,マグマ中には塩素(Cl)および硫黄(S)が数ppm〜数千ppm含まれている(1ppmは1万分の1%).これら元素の一部は火山噴火の際に蒸発し,火山ガスとして大気中に放出される.2000年夏の噴火以来立ち入り禁止となっている三宅島のように,多量に火山ガスが放出されると人間生活に大きな被害をもたらすことがある.塩素は水に可溶性であるために酸性雨の原因となる.また硫黄は硫酸エアロゾルを形成することにより大気中に長く留まり異常気象をもたらす原因となる.従って各活火山が噴火した際に放出される火山ガスの量が判明していることは,防災上または地球環境を考える上で重要である.
 最近数十年間に活動を行った火山については,直接火山ガスの測定が行われているため,今後噴火した際に放出される火山ガスの量は予想可能であろう.しかし富士山等の過去百年以上活動を行っていない活火山については,今後噴火した際に放出される火山ガス量の推定が行われていない.そこで過去の噴火によって放出された火山ガス量を火山噴出物を用いて決定する研究を行っている.今回は富士山1707年噴火(宝永噴火)を対象とした.

2. 測定方法および試料

 過去の噴火で大気に放出された火山ガス量は,放出前にマグマ中に存在した量から放出後に岩石に残った量を差し引くことにより推定できる.放出後に残った量は岩石の化学分析を行うことにより求まる(現時点で私は岩石中の硫黄の分析を行う方法をまだ確立していないが,塩素含有量については日本原子力研究所東海研究所における即発ガンマ線分析で決定している:佐野他,1998).一方,放出前にマグマ中に存在した量は,鉱物中に含まれるメルト包有物の化学分析をすることにより求める.メルト包有物とはマグマ中に漂っているカンラン石や斜長石等の鉱物中に取り込まれているマグマである(図1).

これら鉱物はマグマが地下深くで停滞している時,つまりマグマ溜まりに存在するとき,冷却によりマグマの一部が固化したものである.噴火時にマグマに含まれるガス成分は一部が蒸発してしまうが,メルト包有物中のガス成分は周囲を鉱物に囲まれているため,蒸発せずに取り残されている.従って,メルト包有物はマグマ溜まり内の火山ガス量,つまり噴火前の火山ガス量を保持しているはずである.
 メルト包有物は大きさが直径20〜30ミクロン以下と小さいため(1ミクロンは千分の1mm),化学分析には微小領域の観察が可能なEPMAを使用する必要がある.マグマ中に少量(1000ppm以下)存在する塩素および硫黄をEPMAを使用して分析する方法は確立されており,地震研究所のEPMAを用いての分析も行われ始めている(鈴木・中田,2001;安田他,2001).そこで,この共同利用研究では宝永噴火に放出した4つの噴出物についてメルト包有物中の分析を行った.
 宝永噴火とは,1707年12月に富士山南東斜面の3つの火口(宝永火口)から火山灰や火山弾を噴出させた活動である.噴出物は偏西風の影響を受けて主に東方に降り積もり,御殿場市で2m以上,横浜で10cmほど降り積もったことが報告されている.火山灰層序(地層の積み重なりの順番)は下部の軽石層(ユニットI)と上位のスコリア層(ユニットU〜W)から構成されている(スコリアとは黒い軽石である.スコリアは軽石に比べてSiO2量が少なく,FeO量が多い).宮地(1984)はスコリア層を下部の発砲の悪いスコリア層(ユニットU),中央部のやや発砲の悪いスコリア層(ユニットV),上部の発砲の良いスコリア層(ユニットW)に細分している(図1).この地層の観察をすることにより,1707年の噴火では最初に軽石が噴出した後にスコリアが噴出したことが分かる.これは先に噴出して堆積した物質の上を後から噴出した物質が覆うためである(地層累重の法則).また軽石層とスコリア層の分布を調べることにより,軽石層は最も標高の低い位置に存在する火口(第3火口)から,スコリア層は標高の高い場所に位置する2つの火口(第1,2火口)から噴出したことが明らかになっている(宮地,1984).
 宝永噴出物の層序を古文書と照らし合わせた研究によると,噴火は開始から断続的に16日間続いたことが報告されている(小山,1998).下部の軽石層は1707年12月16日午前10時頃から夜にかけて噴出し,スコリア層は16日夜から1708年1月1日未明にかけて噴出したようである.
 今回分析した4つの試料は各ユニットからそれぞれ1つずつ選択したものである(図2).
3. 結果
 
 分析の結果,メルト包有物に含まれる(火山ガス放出前の)塩素量は900〜1100ppm,二酸化硫黄(SO2)量は500〜3000ppmであることが判明した.この塩素量はユニットT〜Wでほぼ一定であるのに対して(図2),二酸化硫黄量はユニットT,Uで少なく(〜500ppm),ユニットV(〜800ppm),ユニットW(〜3000ppm)と上位にいくほど高い値であった. 
 一方,岩石に含まれる(火山ガス放出後の)塩素量は400〜900ppm,硫黄量は100ppm以下であった(前述のように現時点で私は溶岩中の硫黄の分析を行う方法をまだ確立していないので,ここでは仮に岩石の石基部分の急冷ガラスの硫黄含有量を岩石組成とした).この塩素量はユニットIで多く(〜800 ppm),上位にいくほど少ない値(ユニットV,Wで〜500ppm)であった(図2).必要がある,との結論に達しました.

4. 考察

 メルト包有物中と岩石中の含有量の比較から,マグマから塩素と硫黄が蒸発した割合(脱ガス度)を計算した.計算結果は塩素は20〜50%,硫黄は>80%の脱ガス度であった.塩素の脱ガス度は上位ほど高くなっていることが明らかとなった(ユニットTで20%;ユニットUで30%;ユニットV,Wで50%).この塩素の脱ガス度が上位ほど高い事実は,以下のようにマグマの粘性率を考慮すると説明可能である.マグマの粘性率はSiO2量によって決まり,その量が多いほど粘りけのあるマグマとなる.従って,ユニットIの軽石はSiO2量が多い(>60重量%)ために粘性率が高いのに対し,上位のユニット(V,W)のスコリアはSiO2量が少ない(〜50重量%)ために粘性率が低い(図2).粘性率が高いとマグマ中の塩素はマグマ中を移動するのが困難になり,つまり蒸発しにくくなり,ユニットTで計算されたように20%という低い脱ガス度となったのであろう.一方,粘性率が低いとマグマ中の塩素は容易にマグマから抜け出すことが可能となり,ユニットV,Wで得られたような50%という高い脱ガス度となったと考えられる.
 各ユニットで求めた脱ガス度とマグマの噴出質量を掛け合わせることで,蒸発した火山ガスの質量を計算した.計算結果は塩素80万トン,二酸化硫黄300万トンとなった.二酸化硫黄については1年間に日本で人為的に発生する質量(99万トン;環境庁地球環境部,1997)の3倍の質量が16日間の噴火で噴出したという計算結果である.従って,宝永噴火の際には酸性雨や気温変化などの環境変動が引き起こされたことが予想される.

5. 今後の研究

 上記研究では宝永噴出物の各ユニットから1つずつ選択した試料の分析のみを行っている.従って各ユニットの平均的な火山ガス量は今回予想した量とは異なる可能性がある.そこで,今後は各ユニットから複数の試料を選択して分析を行う予定である.また宝永噴火以外の富士山噴火についても同様の分析を行い,富士火山形成から最後の噴火に至るまでに大気中に放出された火山ガス量の推移を調べたいと考えている.この推移が分かれば,次に富士山が噴火した際に大気中に放出される火山ガス量を推定することができ,防災および環境の分野に大きな貢献ができるであろう.

引用文献

環境庁地球環境部(1997)酸性雨原因物質の排出量および降下量の状況と予測,29-38.
小山真人(1998)火山,43, 323-347.
宮地直道(1984)火山,29, 17-30.
佐野貴司・福岡孝昭・長谷中利昭・米沢仲四郎・松江秀明・澤畑浩之(1998)RADIOISOTOPES, 47, 735-744.
鈴木由希・中田節也(2001)地震研究所彙報,76, 253-268.
安田敦・中田節也・藤井敏嗣(2001)火山,46, 165-173.