公開講義(1)
プレートテクトニクスと日本列島付近の地震

瀬野 徹三



■プレートテクトニスとはなんだろうか?■

 まずプレートテクトニスとはなんぞやというところから始めたいと思います.そもそもこの言葉に使われている"テクトニス"とは何を意味するのでしょうか?地球の表面では,地震や火山の噴火をはじめとするいろいろな変動が起きています.このような変動がなぜ起きるのかを研究する学問分野をテクトニスといいます.ですからプレートテクトニスは,そのような変動を説明する学説の一つなのです."プレート"とは板のような形をしたものを言いますから,板で地球表面の変動を説明するのがプレートテクトニクスです.その内容をもう少し具体的に述べてみますと,次のようになります.「地球の表面には,厚さ100 km程度のリソスフェアと呼ばれる堅い層があり,その下には軟らかいアセノスフェアという層がある.リソスフェアの広がりをプレートといい,プレートはアセノスフェアの上を運動している.地球の表面は何枚かのプレートでおおわれていて,プレートとプレートが接するプレート境界で地学的変動は起きる」(図1).このうち最後の”プレート境界で変動が起きる”というところが,プレートテクトニスがテクトニスであるゆえんです.それは変動をプレートどうしの相対運動に帰着させようということなのです.
 さて,それではなぜこの地球ではプレートテクトニスが成り立っているのでしょうか?それを理解するには,地球の表面だけでなく地球の内部を見る必要があります.そもそも地球の表面で変動が起きるのはなぜなのでしょう?それは一口にいうと,地球内部に発生した熱を排出するためだということができます.やかんに水を入れ,下からガスに火をつけて熱したとします.水は最初のうちはじっとしていますが,そのうち動き始めます(図2).
よく見ると,下の水が上へ上がり,上の水が逆に下へ落ちるような運動であることがわかるでしょう.下の部分の水は熱を受け取って軽くなり上昇します.表面で冷やされて,熱を外へはきだします.冷たくなった水は再び下へ帰っていきます.このようにして水は,自らが運動することによって熱の運び手となり,効率よく熱を運搬し排出します.このような熱の輸送を対流と呼びます.地球の中でもまさにこのような対流が起きているのです(図2).
地球の内部の大部分は,マントルという岩石からなる部分で,これは地震波の横波が伝わることからわかるように固体です.マントルは固体ですが,地球の中は温度が高いので,ゆっくりと運動をします.(地球内部が溶けているのではありません.火山のマグマのように,地球の中はどろどろに溶けている思っておられる方がよくおられますが,溶けているところは地球のほんのごく一部です.)ただし地球のマントルがやかんの水と違うのは,下から熱せられるというよりは,マントル中にあるウランなどの放射性元素の壊変によって熱が供給されています.このような対流が起きますと,地球の内部の温度分布は図3b, cのようになります.
ここで,地表付近で温度が低くなっていることに注目してください.この表面付近の温度が低い層(熱境界層)が,リソスフェアと呼ばれている堅い層になるのです.なぜなら温度が低いと物は堅くなるからです.(冷蔵庫に入れたチョコと温室中においたチョコの堅さを比較してみてください.)熱を放出して冷えてしまったマントル部分がプレートですから,その厚さは冷えるにしたがってだんだんと太っていき,ついには再びマントル深くへ帰っていきます.(これを沈み込みと呼んでいます.図4)
これは一種のリサイクルなのでプレートテクトニックリサイクリングと呼んでいます.実はこのようなリサイクリングが起きるのは,海洋プレートだけです.世の中には海洋プレートと呼ばれる海洋地域にあるプレートと,大陸プレートという大陸をのせたプレートの二種類のプレートがあります.大陸は,火山・マグマ活動などによって地表付近に軽い地殻物質(言ってみれば産業廃棄物か吹き出物のようなもの)が集まったもので,これをのせた大陸プレートは軽いためにマントル中へ帰っては行けません.ですから大陸プレートは海洋プレートに沈み込まれるのみです(図5).地球では,大陸プレートの下への海洋プレートの沈み込みが過去25億年くらい続いてきました.地震などの変動も同様に続いてきたわけです.このような変動がなくなるのは,地球内部の熱源がついになくなる時です.それは地球の年令(46億年)程度の先の話なので,我々はずうっと地震などの変動に悩まされつづけざるを得ない訳です.



■プレート相対運動と変動■

 これまで,プレートの実体であるリソスフェアが存在することやプレートが動くことが,地球内部の熱の排出と密接な関係があることを見てきました.プレートは堅いリソスフェアからなっているので,プレート自体は変形を受けにくいものです.プレートとプレートが接しているところをプレート境界と呼びますが,これは一種の巨大断層で,また断層ですから弱いと言えます.したがって変動は,ほとんどプレート境界で起きることになります(もちろんプレート内部での変動が皆無というわけではありません.特にプレート境界付近ではプレート内部もやや弱く,プレート境界での変動という場合,プレート境界付近の内部の変動を含めてしまうこともままあります).このプレートとプレート境界の性質に基づいて,地震の分布の帯からプレート境界が,ひいては地震帯で囲まれた領域としてプレートが定義できることになります.実際のプレートを見てみましょう.図6aは,世界の浅い地震の分布を見たものです.
プレートが何枚も存在していることがわかります.そのようにして同定されたプレートの名前が図6bには書かれています.日本付近には太平洋プレート,フィリピン海プレートなどの海洋プレート,ユーラシアプレート,オホーツクプレートなどの大陸プレートがあります.このうちオホーツクプレートは,地震分布からは見にくいかもしれません.このプレートが存在することを言うためには他の証拠が必要であり,それについては後で述べます.
 さてプレートが同定されたとしても,それらの運動が明らかにならない限り,あまりテクトニスの役には立ちません.プレートテクトニクスは,1960年代の後半に確立して,急速に受け入れられるようになったのですが,それはプレートの運動を実際に決めることができたからであると言えます.何かの運動を記述するためには,いつでもどこからその運動を眺めるかという基準が必要です.プレートの運動は,ふつう,別のあるプレートを基準にとって,それに対する相対運動で記述します.プレートは球面上を運動するために,その記述は,平面の運動より少しやっかいです.球面上の運動は,回転となることを図7aには示してあります.
回転を記述するには,回転の中心と回転速度(専門用語では回転極と角速度)を決めればよいのです.図7bに,プレート運動がどのようにして決められるかを示しました.
回転中心は,プレート相対運動の方向のデータが二つの地点であれば決められます.実際のデータは,プレート境界で起きた地震のすべりの方向などを使います.回転の速度を決めるには,ある地点での相対運動の大きさのデータが必要です.これは,海底の開いている中央海嶺で,プレート同士の拡大速度が知られているので,それを用います.これでプレートAとプレートBの運動が決まります.一方同じようにしてプレートBとプレートCの運動も決められたとします.速度ベクトルが足し算が可能であるのと同様にして,これらの運動の和からプレートAのプレートCに対する運動を決めることが出来ます.そのようにして決められた世界のプレート運動を図8に示しました.
さてこの図で日本付近を見てみますと,日本列島はユーラシアプレートとされており,太平洋プレートとユーラシアプレートの相対運動(10 cm/年で近づく)が出ています.この図には,フィリピン海プレートの運動が出ておりませんし,東北日本-北海道が帰属するプレートが現在の考え方(オホーツクプレートあるいは北米プレート)と大きく違っています.
 具体的に日本列島付近の地震とプレートテクトニクスの関係へ進む前に,プレート運動,特にプレートの沈み込みと地震との関係を見ておきましょう.図9で,海洋プレートが,陸側のプレートの下に沈み込んでいます.
沈み込みが起きているところを沈み込み帯と呼びますが,沈み込み帯での地震は大きく三つの種類に分けることが出来ます.一つ目は,プレートとプレートの境界で起きる地震です.低角逆断層となります.いわゆる海溝系巨大地震と言われている地震がこのタイプです.二つ目は,海洋プレートの中で起きる地震で,海溝付近の地震と深発地震がそのような地震です.三つ目は,上盤側プレート内で起きる地震で,いわゆる内陸直下型地震がこれに当たります.直下型地震が,すべてこのタイプの内陸地震かといいますとそうではなく,沈み込むプレートの中や,プレート境界で起きる地震も直下型となりえます.関東地方で,身体に感じる多くの地震は,そのような海洋プレート内地震かプレート境界の地震ですが,それらはまさに直下から突き上げてくる感じがします.


■日本列島付近のプレート運動と地震■

 さて日本付近は,太平洋プレートとフィリピン海プレートという二つの海洋プレートが沈み込んでいます(図10).
沈み込み口は弧状となるので, その陸側は弧とよばれます.日本列島付近の大きな特徴は,沈み込みが南の部分で二重となっていることです.伊豆-小笠原弧から南では,フィリピン海プレートは太平洋プレートに沈み込まれ,かつ自分自身は,西南日本-琉球弧の下へ沈み込んでいます.関東の下では,それら二つの沈み込みが接近していて,フィリピン海プレートは太平洋プレートと上盤側プレートの隙間に入り込むような形になります.関東地方では,普段から小さい地震が頻発しますが,それはこのプレートの沈み込みの二重構造のせいなのです.
 まずフィリピン海プレートについて,その運動と日本列島付近の地震との関係を見てみましょう.フィリピン海プレートの沈み込みは,南関東から西南日本外帯にかけて巨大地震を起こしてきました(図11, 14).
私が大学院の学生となったころ,このプレートの運動はよく決まっていませんでした.なんとか決めようと苦心した結果, 幸い決めることが出来たので,私にとっては特に思い出が深いプレートです.このプレートの運動を決めるために,西南日本-琉球弧の低角逆断層地震をフィリピン海プレート-ユーラシアプレートの相対運動方向データとして,また伊豆-小笠原弧の低角逆断層地震を太平洋プレート-フィリピン海プレートの相対運動方向のデータとして用いました(図12a).
これらのデータがあると,フィリピン海プレートの例えばユーラシアプレートに対する運動を,速度の大きさまで含めて決めることが出来ることは,図12bによって直観的に理解できると思います.
ここで太平洋プレート-ユーラシアプレートの相対速度がわかっている(例えば図8のものを用いる)ことがミソです.このようにして決めたフィリピン海プレートの他のプレートに対する運動(関東では後述のオホーツクプレートに対する運動)を図13には示しています.
この図や相模-南海トラフ付近を拡大した図14から,フィリピン海プレートの上盤側プレートに対する運動は年間3-5 cmであることが見てとれます.この速度は,この地域で起きる巨大地震にとって大きな意味を持っています.まず関東地震をとりあげましょう.大正12年(1923年)関東地震(M7.9)で代表される関東地震は,相模トラフの北端部のプレート境界が長さ90km,幅60kmにわたって破壊したものです(図14).
この時の断層運動によるすべり量(=上盤側と下盤側のくいちがい量)は,約6 mであったことが,地震による地殻変動の調査結果からわかっています.普段のプレートの沈み込みによって蓄えられた相対運動が,地震時に一気に食い違いとして開放されたわけです.どれだけの年数が6 mのくいちがいを蓄えるのに必要かといいますと,6 m/ (3 cm/年) = 200年です.これの持つ意味は大きいものです.すなわち大正関東地震程度の地震が再びやってくるのに(そのすべり量を蓄積するのに)ほぼ200年くらいかかることを意味しています.実際,大正関東地震の一つ前の関東地震である元禄関東地震は,大正地震の220年前である1703年に起きています.これよりさらに古い関東地震についてはあまりはっきりした記録が残っていませんが,繰り返し周期が220年より小さくなることはありそうにありません.現在,大正の関東地震から約70年経ったところですから,次の関東地震まであと百数十年くらいは間があることになります.
 同じように西南日本を見てみましょう.西南日本外帯では,南海トラフに沿うフィリピン海プレートの沈み込みによる巨大地震が,最近数百年間は90-150年間隔で起きて来ました(図14).これらの地震の際のすべり量が,やはり地震による地殻変動から推定されていて,それは4-6 mです.それをプレートの相対速度で割りますと80-150年となり,歴史地震の繰り返しの間隔と大変よく合っていることがわかります.ここでは,繰り返しの間隔が短いこと,1944年東南海地震(M7.9)・1946(M8.0)年南海地震の後すでに50年経っていることを考えると,かなり危険になってきていることがわかります.また,駿河湾-東海地方では1944-46年には地震が起きませんでしたから,一つ前の1854年安政東海地震(M8.4)以来143年経っており,かなり危険な状態になっていることがわかります.これが東海沖-駿河湾が危険視されている理由です.さて,南海トラフをさらに南へ行きますと,日向灘でM 7クラスの地震が10年に一度くらいの頻度で起きますが,それより南の琉球弧では,ほとんど大きな地震は起きなくなってしまいます.
 これとよく似た地震活動の変化は,太平洋プレートの沈み込みでも見られます.太平洋プレートが沈み込む千島弧から東北日本弧にかけては,巨大地震が100年くらいの繰り返し周期で起きています.この辺りでは沈み込み速度は8 cm/年なので(図10),地震時のすべり量3 mを割りますと,繰り返し周期40年が得られます.これは実際の繰り返し周期100年の40 %です.これは,歪みの蓄積の効率が100 %ではないということを物語っています.言い換えますと,100年で8 mのすべりをプレート相対運動は蓄積する訳ですが,そのうち 3 mしか地震には使用していない.すなわち北海道-東北日本では,プレート相対運動の40 %が地震に蓄積され,残りの60 %は地震に使用されないで,ずるずるとすべって消費されているのです.このようなすべりを非地震性すべりと言いますが,その割合は,福島県沖から南へ行くにしたがって急激に増えていきます.すなわち大地震は急に減ってきます.茨城県沖などでは,普段からずるずるすべっているので,歪みが蓄積されないわけです.まとめてみますと,プレート相対運動に占める地震性すべりの割合は,相模トラフ-南海トラフでは100 %,千島-東北日本弧で40 %,琉球弧や伊豆-小笠原弧で0 %ですが,なぜこのような地域による違いが生まれるのかよくわかっていません.いずれにせよ,地震すべりの割合が小さいところの陸側に住むほうが安全であるには違いありません.
 さてこの辺で,日本海東縁へ目を向けたいと思います.北海道から東北日本の日本海側沖合では最近数十年間,1964年新潟地震(M7.5),1983年日本海中部地震(M7.7),1993年北海道南西沖地震(M7.8)などの大地震が頻発してきました(図11).ここは,新たなプレート境界が出来つつある(というよりは最近出来てしまった)場所であるというのが,日本の地球科学者あるいは地震学者の定説となっています.しかしそういうことが言われるようになったのは,まだこの10年くらいのことなのです.それでは,それ以前はどう考えていたのでしょうか?図15aのように,北米プレートとユーラシアプレートの境界が,シベリアから南下してきて北海道中央部を縦断する,という考えが一般的でした.
これは,ごく最近(数百-数千万年前)までの地質構造からみると,ここにプレート境界があったと考えられることを根拠としていました.しかし最近の地震の起こり方や海底の活断層を見てみると,北海道中軸部よりも日本海東縁の方が圧倒的に活動的であり,こちらの方がプレート境界なのであるということが,東大地震研究所の故中村一明教授と筑波大学の小林洋二助教授によって気付かれました.1982年の終わりから1983年にかけてのことです.それが,1983年日本海中部地震より前であったことで,この説は,この地震が起きたときに一躍注目されたのです.さらに1993年に北海道南西沖地震が起きるに及んで,この日本海東縁 = 新生プレート境界説はますます強固な支持を得るようになりました.この説を,この付近のプレートを用いて解釈しますと,「東北日本+北海道 = 北米プレートである」ということになります(図15b).この説を,プレートの相対運動を表わす地震を用いてチェックしてみましょう.図16は,日本海東縁で起きた地震のすべりの方向を示したものです.
方向が西北西-東南東によくそろっています.(この図には,千島弧-東北日本弧での地震のすべり方向もプロットされています.これらはやはりよくそろっていて,東北日本-北海道と太平洋プレートの相対運動の方向を表しています.千島弧南部では地震がプロットされていませんが,これは,この部分で千島弧が上盤側プレートから独立して運動しているために,正確なオホーツクプレートと太平洋プレートの相対運動を表さないので,除いたものです.)そこで,日本海東縁での地震すべり方向とユーラシアプレート-北米プレートの方向を比較てみますと,後者は西南西ー東北東方向なので,地震のすべり方向と有意な違いが見られます.これは,東北日本 + 北海道が北米でないプレートに属していることを意味しています.そう思ってオホーツク海からシベリアに目を向けると,カムチャッカからシベリアにかけて地震活動の帯があるのです.(図6aを注意深く見るとわかります..そこでこの帯をプレート境界として,オホーツクプレートを北米プレートから切り離します.そうした上で,フィリピン海プレートの運動を決めたのと同様の手続きでオホーツクプレートの運動を決めてみました.その結果が,図17には示されています.
日本海東縁でのプレート相対運動速度は,日本海中部地震などの日本海東縁の大地震の繰り返し周期を知るのに重要です.これらの地震のすべり量が3 mくらいであることがわかっていますから,これを震源付近のプレート相対運動1 cm/年で割りますと,300年くらいが周期として得られます.もし非地震性すべりがありますとそれだけ長くなります.すなわち,日本海側の,最近の一連の大地震は,数百年に一回くらいの稀な事件であったことになります.日本海側には,古文書などの古い歴史記録はあまり沢山は残っていませんが,最近の地震以前数百年間はこのような地震が起きていないことは確かなようです.


■内陸直下型地震について■

 最後に上盤側プレート内で起きるいわゆる内陸直下型地震についてふれたいと思います.このような地震は,そのマグニチュードは7クラスと巨大地震よりは小さいですが,甚大な被害をもたらすことは神戸・淡路の震災に見るとおりです.内陸地震の発生メカニズムは,プレート境界の地震ほどはよくわかっていませんが,それでも大体のところはなぜ起こるかわかってきました.基本的にはプレートとプレートが押し合うためにプレート内部にストレスがたまり,それが限界に達すると破壊という形で開放されるのです.日本列島付近では,太平洋プレートと北海道-東北日本との押し合い,フィリピン海プレートと関東・西南日本との押し合い,日本海東縁-フォッサマグナでのユーラシアプレートとオホーツクプレートとの押し合い,の三つの要素が考えられます(図17).東北日本と太平洋プレートの押し合いで,東北日本の内陸部に地震が起きます.1896年陸羽地震(M7.2),1962年宮城県北部地震(M6.5),などがその例です.しかし東北日本は日本海東縁でユーラシアプレートとも接して押し合っていますので,これらの地震はユーラシアプレート-オホーツクプレートとの押し合いによるものだとも言えます.どちらが原因であるかは区別することは出来ません.関東地方は,大正関東地震以降その断層面が固着してフィリピン海プレートの沈み込みで引きずられていますので,次の関東地震が近づいてくると内陸地震も起き始めます.大正地震の場合ですと,地震数十年前くらいから内陸地震が起き始めました.したがって次の関東地震が近づいてくると要注意です.西南日本は,やはりフィリピン海プレートの引きずり込みで内陸側に押されています.したがって,南海トラフの巨大地震の前に内陸地震が多く起きることが予想されますが,実際,巨大地震の前50年と後10年の間は,それ以外の期間より活発な地震活動が見られます.ただ西南日本の場合,フィリピン海プレートによる押しの影響だけで内陸の地震の生起が説明できるかといいますと,そう単純ではありません.図18のように,ユーラシアプレートとオホーツクプレートは,フォッサマグナでぶつかっています.
さらに太平洋プレートの押しがフォッサマグナまで伝わって来ています.西南日本は,このぶつかりあいに大きく影響されているのです.西南日本の活断層や地震からわかる押しの方向が東西であることがそれを示しています.すなわち西南日本は,フィリピン海プレートからはあまり押されてはいないということです.内陸地震活動に,南海トラフ巨大地震との相関があるわけですから,フィリピン海プレートの押しが内陸地震発生の引き金(トリガー)のような役目をしていることは考えられますが,地震そのものの原因は,フォッサマグナでのプレートのぶつかりと太平洋プレートによる押しであると言えるでしょう.そういう意味で,昨年の兵庫県南部地震は,南海トラフ巨大地震が近づいてきたということを意味しているとともに,最近の一連の日本海東縁の大地震が起きたために,オホーツクプレートが相対的に西へ押し出されて,東北日本と西南日本の押しあいが強まったことにもよるのでしょう.不思議なことに,フォッサマグナでの衝突は,西南日本に大きな影響を及ぼしているのですが,関東にはさほど影響を及ぼしていないようです.それは関東地方の活断層の少なさから推定されます(図18).なぜそうなるのかよくわかっていませんが,興味深い事実であることは間違いありません.
 沈み込み帯で起きるもう一つのタイプの地震 = 海洋プレートの中の地震については,講演では触れませんでした.この種の地震のうち,深発地震は深いところで起きるのであまり被害をもたらしません.しかし海溝付近で起きる地震は,まれに大きな津波をもたらします(1933年三陸冲地震M8.1や1953年房総冲M7.4がその例です).さらに,海溝よりもやや内陸よりの海洋プレート内で大地震が起きる例が最近けっこう増えて来ました.1993年釧路冲地震(M7.8),1994年北海道東方冲地震(M8.1),などです.これらの地震は,陸地に近いだけに被害は大きくなり,要注意地震の一つであると言えます.
 最後に,この講演に関連した参考書を挙げておきます.ここで述べたことの詳しい内容は,瀬野徹三「プレートテクトニクスの基礎」(朝倉書店)に書いてあります.引用した図のほとんどは,この本から取りました.ただしこの本は,大学生向けに書かれたので,内容的に難しいところも部分的に含んでいます.一般向けのわかりやすい本でプレートテクトニスを扱ったものとして,上田誠也「新しい地球観」(岩波新書),深尾良夫「地震・プレート・陸と海」(岩波ジュニア新書)の二冊を挙げておきます.前者は,プレートテクトニスの成立期に活躍した著者自身の体験を交えたプレートテクトニスの入門書であり,後者は,プレートテクトニスを含めた固体地球科学の本質を若い人に考えさせてくれる本です.

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