伊東沖手石島の総合観測点の建設

地震火山災害部門  坂上 実,纐纈一起


はじめに
 伊豆半島東岸の国道135号線を南下し,伊東市の市街地を抜けて伊東漁港を過ぎると,135号線は海岸線を離れて山側を登り始める.しかし,これを取らずに海沿いの道をそのまま汐吹崎・川奈方面へ向かうと,左手に樹木に覆われた岩場が海から突き出ているのが見える.これが手石島で,本土側からは随分近く見えるのでひと泳ぎの距離に感じるが,ほぼ対岸の地震研究所の新井観測点から,直線距離でも1‾km以上離れている上,潮流が速いといわれている(それでも泳ぎ渡る人はいるらしい).

伊東沖群発地震
 伊東沖はここ二十年来,毎年のように群発地震がくり返され,今年四月から五月にかけても,マグニチュード5.7の最大地震を伴った活動が起こったばかりである.図1に示すように最近十年間を見ても,その活動域は10km程度の範囲で動いているが,海底噴火のあった1989年の活動が一部,陸にかかったのを除いて,ほとんどの地震が海側で起こっている.
 海底噴火でもわかるように,群発地震が地下のマグマの活動にかかわっていることは明らかであるが,具体的にどのようなマグマの活動が,どういうプロセスを経て群発地震につながるかについては,現在でも不明な点が多い.そうした場合には活動域の直上で観測を行い,この群発地震活動に特有の現象をとらえることが有効である場合が多いが,海域の地震であるため種々の制約により,直上での観測を行うには到っていなかった.
 手石島は群発地震活動域の直上で唯一,陸上観測の可能な地点である.しかし,小さな無人島であるため,海を渡る困難さや,電源や通信手段のないことなどにより,レーザー光による本土との距離測定などを除いて,直接的な観測が試みられることはこれまでなかった.また,まったく試みられなかった点に関しては,海上という先入観であきらめが先に立ってしまっていたという可能性も否定できない.

手石島へ
 われわれもこの先入観があったので,文部省科学研究費で「群発地震地域の稠密強震観測による詳細震源過程と強震動生成機構の研究」を始めるにあたり,当初は川奈崎を観測点の候補のひとつにしていた.しかし,坂上の頭に手石島という考えが浮かび,技術的な可能性を検討してみると,電源は太陽電池で十分まかなえるようである(表紙写真1).また,この観測は所内横断プロジェクトの「リアルタイム地震学」とむすびついているため,通信によるデータ取り込みが重要な要素である.これにはアカシの協力をいただいて,手石島に一番近い本土側から携帯電話を用いて東京へのデータ伝送試験を行い,これも実用に耐えることがわかった.
 次の問題点は土地の借用と資材の搬入であるが,これは素人ではわかりかねるので伊東市役所地震防災係にご相談したところ,手石島を管理されている新井財産区と伊東市漁業協同組合を紹介いただいた.早速参上して借用のご快諾をいただくとともに,搬入に関しては漁協の全面的なご協力をいただけることになったのである.手石島は周囲がほとんど岩場だが,西側はやや広い傾斜地となっている.航海安全の弁天様の鳥居もここあるので,観測点には鳥居前の土地を拝借することになった(図2).
 漁協のお話では,土用波などで波が荒くなる前の八月中頃までには工事を済ませる必要があるとのことで,漁師さんの夏休みなどの関係から日程は急遽8月9日からと決まり,あわただしい準備作業となった.また,その過程で地震予知研究推進センターや地震地殻変動観測センター,海半球観測研究センター,地球計測部門などからプロトン磁力計GPS,傾斜計,重力計などの設置の要望があり,計画は一挙に総合観測点の方向に向かった.

搬入・建設作業
 総合観測になったことで局舎はKNET仕様の大きなもの,太陽電池パネルも8枚という規模になり,それをささえる基礎も大きくなって,セメント30袋,砂80袋,砂利50袋という量になった.しかもどれもひと袋20kg近い重量で(筆者など肩に担ぎ上げるだけでふらふらした),作業の前日に搬入していただいた漁師さんからは,会うたびに「東大の仕事は二度としない」と言われる始末であった.
 9日は天候が悪く本土側での作業で過ごした後,10日に局舎,太陽電池などの資材や工具の搬入となった.漁船にそれらを積み込んでから,人間はエンジン付きボートで先に島に渡っておく.そして漁師さんと資材などを乗せた漁船の到着を待ち,海に漬けられないものはボートに積みかえてもらって,水深が深ボートを寄せやすい島北側から手渡しで陸揚げした.そこから約200m離れた予定地までは足場の悪い所を人力での運搬だが,サイクロン電池などは腰が抜けるほど重く,若い漁師さんや平田安廣さん,渡邊茂さん,中尾茂さん,小山茂さんの怪力に助けられた.
 一方,局舎のFRPや台座のアングルなどは漁船から直接ロープを渡し,それに結びつけて搬入したが,そう簡単に行くものではないので,漁師さんや坂上が海に飛び込んで引き上げることになる(表紙写真2).中には海底に落ちてしまうアングルもあったが,漁師さんが得意の素潜りで拾い上げてくださるのには感心してしまった.
 また,島には真水はまったくないので,コンクリートやモルタルを練る水は漁船の生簀に入れさせてもらい,資材搬入の時にポリタンクに詰め替えて,同じようにロープに結びつけてピストンで陸揚げした.子供用プールなども活用したが(図3),それでも不足するので,11日以降は朝,人間といっしょに真水を詰めたポリタンクをボートで運んだ.
 このほか,エンジン式発電機を持ち込んで電動工具を使えるようにした上での建設作業となったが,岩がゴロゴロした傾斜地で広い場所がないため,基礎型枠の作成と,露岩との緊結のためのアンカーボルト埋め込みはおおいに難渋した(図4).観測点は樹木に覆われていて風通しが悪く,作業は暑熱や大量の蚊との戦いでもあった.

観測機器
 幸い8月10日以降,天候にめぐまれて工事は順調に進み,14日には表紙の写真1のように局舎,太陽電池パネル,アンテナ支柱が完成して,14, 15日両日をかけて観測機器の設置が行われた.機器のセンサー部分はそれぞれの事情から局舎から少し離して,露岩の上(強震計,図5)や林の中(プロトン磁力計,図6左),空の開けた平坦地(GPS,図6右)に置かれた.傾斜計のためには局舎基礎の中に設置場所が用意されており(図7),今後の設置を待っている.また,重力は定常観測でなく随時観測で対応し,局舎脇に設置した台座で,必要な時,観測を行うことになっている(図8).
 観測機器は順調に稼働しており,8月27日早朝,この付近で発生した地震(気象庁速報震源: 35.0゜N, 139.2°E,深さ約10km, M3.6)がきれいに記録されている(図9).ノイズレベルも低く,今のところ心配された脈動も出ていない.携帯電話によるデータ伝送も順調で,1KBブロックのX Modemプロトコルで送っているが,9,600bpsの接続でも再送は起こらず,650B/s程度の伝送速度が出る.

おわりに
 今回の観測点建設には多くの方のご協力をいただきました.本文に登場された機関,個人以外にも環境庁,海上保安庁,鈴木工務店,テラテクニカ,サイスミックなどのご協力があり,ここに感謝申し上げます.


写真1  伊東沖手石島総合観測点の全景.局舎(右)と太陽電池パネ(左),後ろにアンテナ支柱.局舎の後ろに弁天様の赤い鳥居が見える.

写真2 漁船と手石島の間にロープを張って資材を搬入する坂上(中央)と伊東市漁協のみなさん.遠くは伊豆半島側で,道路橋の右端下に地震研の新井観測点がある.



図1  手石島と伊東沖群発地震の活動域.

図2  手石島の地形と観測点の位置.

写真3  コンクリート・モルタルのための真水の搬入.

写真4  基礎型枠の作成とアンカーボルトの埋め込み.

写真5  強震計のセンサー.

写真6  プロトン磁力計のセンサーとGPSアンテナ.

写真7  局舎内の傾斜計の設置場所.
左に見えるのはサイクロン電池と強震計のレコーダ部.

写真8  重力の観測風景.

図3  8月27日5時13分の伊豆半島東方沖の地震(M3.6)の加速度記録(上から南北,東西,上下成分).

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Last modified: 1998/10/9