10.2.3 SP2009に対する追補事項

現在,地震研究所は,2009年の外部評価の際に策定したSP2009に沿って研究・教育活動を進めている.SP2009は,広く研究者コミュニティの声も汲み取った上で長期的視点に立って策定されたものであり,今後も継続的に実施されるべきものと判断される.また,前節の最近5年間の活動に対するレビューによると,SP2009に沿った研究の多くは着実に成果を上げていると考えられる.一方,SP2009策定後,2011年には東北地方太平洋沖地震が発生し,また,科学技術全般を取り巻く状況も変化したことから,SP2009に対して何らかの見直し,およびそれに伴う追加事項が必要となっているのも事実である.以下では,前節のレビューの内容を受け,SP2009に含まれていなかった追補事項をまとめる.すなわち,SP2009と以下に述べる追補事項を併せて,今後の研究に関する基本方針「SP2009R」とする.

前節では,SP2009の各小項目についてレビューを行った.このレビューに基づいてSP2009Rを組織として実行に移す際には,研究所の構成員が全項目に亘る統一的な方向性を意識しつつ,各人が関連する小項目に対して追補事項を踏まえた研究課題を進めてゆくことになる,今回,組織の方向性を見直す契機となった東北地方太平洋沖地震の発生は,低頻度巨大自然災害現象を理解すること,および,科学技術を課題解決のために活かすこと,という大きな学術的課題を提起した.我々は,これらの学術的課題を解決する方向性として,国際化・学際化,革新的観測技術の開発,最先端計算科学の導入を考えている.以下では,これらの方向性が,単に時代の流れに追従するスローガンではなく,SP2009のレビューから生まれた必然性のある方向性であることについて述べたい.

低頻度巨大自然災害現象を解明するためには,研究対象となるフィールドを全地球的に求める国際化とともに,様々な時間スケールの現象を地球物理学,歴史学,地質学にまたがる手法を用いて捉える学際化が必要であることは論を俟たない.地震研究所では,これまでに実績のある観測研究,特に,革新的観測技術の開発を軸として,この国際化と学際化を進めてゆきたい.中でも,地震研究所がこの5年間に進めてきた素粒子物理学と地球物理学の学際連携による革新的技術開発については,SP2009の5つの柱においてどのような役割を果たしうるかについて十分に検討した上で,今後の発展性を考えたい.国際化・学際化により観測対象や研究対象を広げる一方で,地震研究所の設置目的に基づく5つの柱の研究項目を推進するためには,多様な研究を戦略的に「沈み込み帯およびその周辺域のダイナミクス,地震・火山現象の解明」および「地震・火山噴火による災害の軽減」に結びつけてゆく仕組みが必要である.ここでは,その仕組みの一つとして最先端計算科学の導入による階層的数値モデル群(以下,「コミュニティモデル」と呼ぶ)の構築を考える.

ここでいう「コミュニティモデル」とは,研究者コミュニティの中で独立に進められている観測(観測手法,観測対象)を統合し,さらに観測と災害予測を統合する「モデル群」であり,現象の理解のみならず,観測研究の活性化をもたらす仕組みとして位置づけられるものである.すなわち,様々な研究分野の成果に基づく地下構造モデル群や各種シミュレーションモデル群であり,また,それらのモデル群の共通基盤となる「プラットフォーム」の役割も果たす.このようなモデル群は,地球物理学の様々な研究成果を災害科学に結び付ける基本的ツールとなるであろう.同時に,多様な時間スケールの観測データ(例えばマントルダイナミクス,変動地形学,GPS観測,地震活動)を統一的に再現する大規模数値モデルの構築は,それ自体が重要な学術テーマでもある.我々は,「今どのような『コミュニティモデル』が必要となっているのか」という問題を含めて,この問題に本格的に着手すべきであると考えている1. ここでいう「コミュニティモデル」の構築を進める上では,最先端計算科学との学際連携が不可欠である.近年の観測技術の向上によって,地震活動,地殻変動及び地下構造の時間変化について,時空4次元の連続モニタリングが可能になりつつある.膨大な量の実験・観測データを集積・解析し,さらにその観測データと大規模シミュレーションの連成によるデータ同化を進めるためには,大規模・高速化していく計算機の能力を最大限に活かす体制を構築する必要がある.さらに,物質科学においても,第一原理計算に基づく拡散やレオロジーなどの移動現象の解明が可能になりつつあり,室内実験に加えて計算科学が重要な手法となっている.この状況の中,計算科学・計算機科学・情報学との連携を強めてゆくことは,観測固体地球科学の拠点である地震研究所の方向性として必然的である.

以下では,上に述べた方向性に留意しつつ,5つの柱のそれぞれの大項目について具体的にSP2009追加項目を挙げる.

(1) 地震現象の包括的理解と地震発生予測の高度化

2011年東北地方太平洋沖地震により,本項目において様々な課題が浮き彫りとなった.その中で,地震研究所は,個々の課題を解決してゆくだけではなく,観測研究を中心とする研究者コミュニティ全体の成果を統合し,それを,項目5で後述する災害予測モデルの基礎となる多様なシナリオとして提供する具体的な道筋を示してゆくことが求められている.

統合化を進める一つの仕組みとして,先に述べた「コミュニティモデル」が挙げられる.本項目に関連するモデル群としては,例えば,プレート境界地震については,従来のアスペリティモデルを超える地震サイクル物理モデルが望まれる.内陸地震については,巨大地震という入力による島弧地殻・上部マントルの応答を的確に捉え,島弧域への応力載荷過程(弾性/非弾性的変形の進行及び特定の震源断層への応力集中過程)を再現するモデル,さらに数百万年に亘るプレート運動の蓄積がもたらす大規模な地形変動を再現するダイナミクスモデルが必要である.これらの地震発生・ダイナミクスモデルに加え,地震活動の統計解析モデル,統計物理的アナログモデルなど,多様なモデルをコミュニティで共有し,以下に述べる観測データや構成岩石のレオロジーに関する室内実験データについて同一土俵上で理解を進めてゆく.

プレート境界地震発生モデルを検証するためには,海底ケーブルシステム等の最新技術を駆使して陸海領域にまたがる広域かつ高密度な地震・地殻変動観測体制を強化するとともに,低頻度巨大地震に関する事例を時空的に幅広い範囲に亘って収集する必要がある.すなわち,各地域の長期的な地震の規模・頻度を検証するためには地質学的・歴史学的データが必要であり,また,スロースリップ等の多様な滑り現象を理解するためには,環太平洋地域を中心とした世界中の沈み込み帯の物質特性や物理環境を包括的に把握する必要がある.また,島弧地殻ダイナミクスのモデル構築には,日本列島全体の基本的地下構造及び震源断層域の詳細な不均質構造が必須である.そのために,これまでの地震・電磁気・地質学的調査・観測に加えミュオグラフィ等の新技術を用いて,従来の見方を超える新たな断層像の確立を目指す.

(2) 火山活動の統合的解明と噴火予測

2011年の東北地方太平洋沖地震以降,大地震に伴う広域的応力変化が「地殻内の弱点」としての火山にどのような応力・歪み集中を引き起こし,それが火山活動にどのような影響を与えるのかという問題が重要性を増している.長い時間スケールの噴火準備過程の解明に対しては,火山体深部物理過程のモデリングに加えて,島弧地殻ダイナミクス全般の枠組みの中で火山現象(特に,火山周辺の応力・歪み集中)を理解する必要がある.この目的のために,前項目の「島弧地殻ダイナミクス」と連携した火山研究が望まれる.

上記の広域的長期的時空間スケールの火山現象に対する研究の他,物質科学と地球物理学の両面からの多項目観測によって,火山体内部の噴火に先行する短期的時間変化や噴火の推移を定量的に把握することは,依然として重要な研究課題である.特に,活動的火山のミュオグラフィ,地震波干渉法等の新しいモニタリング手法や新たな岩石学的手法を開発することは,マグマ溜り・火道内の物理化学的条件や噴火ダイナミクスに制約条件を与え,火山学の新たな切り口となることが期待される.一方,マグマ上昇モデル,火山噴煙モデルについては,今後,地球物理学的及び地質学的観測研究を統合するという役割の重要性が増すであろう.物理素過程(相変化カイネティクス,混相流等)に関する理論モデルの研究に加え,気象データや他のリモートセンシングデータを火山噴火モデルに同化させるなど,観測と理論モデルのインターフェイスとなる研究が望まれる.

(3) 多元的・統合的アプローチによる地球内部活動の解明

観測科学,物質科学,数値シミュレーションの融合研究を通して地球内部の現象を明らかにするという本項目の基本方針は依然として有効である.本項目の課題として,当面は,現在進行中の「多元的機動観測による『ふつうの海洋マントル』のマルチスケールダイナミクスの解明」プロジェクト(特別推進研究)のため,北西太平洋地域を対象とする研究を推進する.また観測技術開発の視点からは,次世代型の広帯域海底地震観測システムを真に機動的システムにするための技術開発(自律展開・自己浮上回収の機能高度化)を当面の目標としつつ,それと平行して,従来型の広帯域海底地震観測システムを用いた国際協力による大規模観測研究(たとえば2億年にわたる太平洋の歴史の解明を目指す「太平洋アレイ」など)を検討する.

沈み込み帯における物質循環の問題は,前述の「地震現象の包括的理解と地震発生予測の高度化」の項目との関わりの中で,その学術的重要性が増しており,プレート境界における物質循環なども含め,これまでより精密な議論を展開してゆく.具体的には,既に研究が進んでいる深部スラブと日本列島直下の浅部スラブの間を繋ぐ観測研究を模索するとともに,複数の沈み込み帯について地震波・電磁気・熱等の観測調査とモデル計算を連携させ,浅部流体の挙動と地殻構造(異方性・不均質性)の関係や流体移動が地震発生を含むプレート境界近傍での諸過程に与える影響の解明を目指す.多元的観測研究の成果全体を数値シミュレーション研究等を通じ統合する上で,多結晶体・固液複合物質のレオロジーに対する理解を加速させる必要が有り,微量元素などの地球化学的研究とともに,物質科学的研究は,本項目の中で重要な要素となる.

研究対象の国際化・グローバル化の要請は,科学問題にとって最適なフィールドにおいて,最適な手法を駆使して観測研究を推進するという「フロンティア観測」の要請でもある.革新的観測技術開発グループを含む所内の他の研究グループと協力を常に模索しつつフロンティア観測を実施し,グローバル地球物理データの生成・共有と解析に貢献する.また,地球ニュートリノ観測等の革新的技術によって得られるデータをグローバル地球物理データ解析と統合することにより,地球内部の元素分布や地球内部物質循環に対して新たな制約条件を与えることは,固体地球科学全体の発展に寄与するものである.

(4) 革新的観測技術開発

地震研究所では,地震学・火山学にブレークスルーをもたらす新たな観測窓を開発する研究を重視しており,この方針に変更はない.中でも,高エネルギー素粒子を用いた巨大物体の透視技術は,本研究所発の革新的技術であり,今後も,「高エネルギー素粒子地球物理学研究センター」を中心として,ミュオグラフィの高度化,およびニュートリノを用いた地球内部構造研究に関する技術開発を推進する.ミュオグラフィについては,大口径検出器による時間分解能の向上,孔井内制御技術による地下構造観測技術の確立,写真乾板の高速大量データ処理方法の開発を進めることによって,火山,断層,巨大構造物の3次元立体構造の視覚化や火道内部活写など火山学,地震学,災害予測科学への応用を飛躍的に進めることが期待できる.一方,ニュートリノを用いた技術としては,国際共同研究の枠組みの中で,ニュートリノ検出器の高度化を進め,地球内部の元素組成の直接測定を目指す.また,地球ニュートリノを用いた地球深部のイメージング技術(地球ニュートリノグラフィ)を開発し,マントル対流モデル,地殻深部,マントル内部の物性分布についてこれまでにない全く新しい観測量を抽出する観測技術を確立する.素粒子を用いた技術としては,宇宙線電磁成分の同時測定により既存の絶対重力観測,傾斜計観測の低雑音化が可能になるなど,多様な発展性も期待されている.

以上の素粒子を用いた観測技術に加え,既に着手している技術開発(レーザー技術を用いた地震・地殻変動観測,海域における多元的・超高密度観測網,大深度ボアホール観測,小型絶対重力計,回転地震計など)については実用化・製品化を目指す.特に東北地方太平洋沖地震の海域観測で明らかとなった観測空白域をなくすための観測技術開発を加速させる.また,自律型無人探査機に搭載された重力計・重力偏差計によるハイブリッド式海底構造探査手法の開発,火山の無人ヘリによる火山観測,新たに観測技術開発として進められている.これらのハードウェアの開発に加えシステムのモジュール化,解析ソフトのパッケージ化,観測データ流通の高度化などの開発研究が必要である.

(5) 災害予測科学の総合科学としての新展開

2011年東北地方太平洋沖地震が引き起こした東日本大震災においては,既存の災害予測科学の問題点,特に,地震・津波と地震災害に関する理工学の連携不足が顕在化した.即ち,「震度」や「津波高さ」といった単純化した情報だけが理学から工学に短絡的かつ一方向に伝達され,低頻度巨大地震に関わる包括的な情報が伝達されなかった.地震研究所は,この問題点を解決するために,最先端の計算科学・計算機科学を駆使して理学と工学の地震・津波・災害予測シミュレーションを統合し,包括的情報の生成と伝達を行うことを目標に,「巨大地震津波災害予測研究センター」を設置した.

「巨大地震津波災害予測研究センター」では,次の巨大地震に備えて,地震予測研究,津波予測研究および災害予測研究の分野を融合する理工学連携強化とシミュレーション研究の構造化を進める.具体的には,京コンピュータに代表される大規模シミュレーションとコミュニティモデルを活用し,断層破壊シナリオを多数構築し,それらを工学・災害情報学・社会科学における災害想定の基礎データとして提供する.また,解析モデルや数値解析手法の資産を継続的に蓄積・更新する体制を整え,それらを独自の計算機システムを持つ全国大学と共有することによって,災害予測シミュレーションに関わる新しいタイプの全国共同研究を推進する.

東日本大震災では,未だメカニズムが解明されていない現象による社会基盤や建造物に種々の被害も報告されている.これらの課題を解決するために,これまで行ってきた強震動や構造物応答等の研究を高度化し,災害軽減に繋がる新たな理工学連携研究領域を開拓する.また、ミュオグラフィを応用した災害予測用モデル構築手法の高度化を行う.

Footnotes

  1. 参考となる概念として,SCEC (The Southern California Earthquake Center ) マスターモデル(http://www.scec.org/news/00news/center001002MM.htmlのFigure 10参照)が挙げられるが,そのあり方は,研究対象や研究の進展状況によって変わるであろう.本サイエンスプランでは,「特定の地域の災害軽減」より「計算科学を通して幅広い学術成果の統合すること」を念頭に置いている.