地震予知の科学

 地震予知研究推進センター 加藤照之

 


1.はじめに

「地震は予知できるのか?」とは地震国日本に住む我々にとっては切実な問いです.地震研究所を始め日本の多くの大学や国の研究機関がこの目的のために長年努力を傾けてきました.残念ながら,この問いに対して「できる」と答えられる人は,私だけでなく地震予知関連研究者にはほとんどいません.しかし,一方で地震予知が可能だと言う人たちもいます.はたしてほんとうの「地震予知」とは何なのでしょうか.我々は科学的な立場から地震予知の研究を行ってきました.最近の地震予知研究や関連する研究で地震発生の本質に迫るような大きな発見がいくつもありました.本講演では,科学的な地震予知研究とは何なのかを考えながら最近の研究の成果を紹介し,今後の地震予知研究のあり方について考えてみたいと思います.

2.「地震予知」の条件

 日本列島では日々多数の有感無感地震が発生しています.例えば2003年1年間でM2以上の気象庁で震源の決められた地震は21293個で,そのうち人的被害があったものは7個でした.我々が対象とする地震は被害を起こさない地震ではなく,死傷者や多数の建物の崩壊を発生させるような大きな地震です.多くの死傷者を生じるような大きな地震は数年に1度程度の割合で発生しています.大地震の予知は,発生場所,規模及び発生時刻をあらかじめ正確に知ってはじめて意味を持ちます.これを「地震予知の三要素」などと呼んでいます.これらのうち,発生場所や規模については最近の研究によってかなり詳しく知ることができるようになりました.例えば地震の発生場所は,日本列島では主として海溝近くのプレート境界やその内部で発生するものと,内陸の活断層で発生するものに大別されます.断層の大きさや過去の記録などからそれぞれの断層で発生する地震の規模もある程度は推定できるようになりました.しかしながら,むつかしいのはそれが“いつ”発生するのか,という発生時刻の予知です.

3.「予知」は可能か?

 そもそも我々は自分自身の未来を予知することさえ基本的に不可能です.簡単な例を考えてみましょう.もし,あなたが今から1時間後にとある駅の前で誰かと待ち合わせるとして,そこに果たして正確にたどりつけると言い切れるでしょうか.途中,あなたは交通事故で突然命を失うかもしれないし,乗ったバスが故障して到着が間に合わないかもしれません.たった1時間後でさえ未来を「予知する」ことは不可能なのではないでしょうか.人間の活動という極めて不確実な世界と違って自然はもっと単純なのでしょうか.自然現象はニュートンの万有引力の法則などいくつかの基本的な法則に基づいて整然と運動しているのだから予知は可能だと言えるかもしれません.しかしながら,実際にはそれほど単純ではありません.地球のような極めて不均質な構造を持つ天体の小さな部分の運動は様々な外的擾乱によって常に揺らいでいます.また,仮にその揺らぎのすべての原因を解き明かして現象を支配する方程式が作り上げられたとしても,観測には必ず誤差が伴いますから,観測量に補正を加えて正確に未来を予知するのは至難のわざと言ってよいのです.では,地震予知など不可能といって我々はあきらめるべきなのでしょうか.私にはそうは思われません.

ところで,いわゆる民間の地震予知研究者や外国での事例から,発生時刻を含めて「地震予知は可能だ」というニュースや記事に接することがあります.果たして,これらの民間研究者の方が優れていて,我々大学の研究者のほうが能力が劣っているのでしょうか?実は,これらの民間予知研究者による「予知」は,注意深く聞いているとある一定の傾向があって,そこに予知が成功しているように見える,ある「からくり」があるように思われます.それは,「予知」が成功する場所は,たいていは中・小地震も含めた地震の多発地帯であって,しかも,予知されたとする地震の多くはM4程度の小さな地震も含まれている,ということです.

 例えば,日本列島では2003年の1年間にM4以上の比較的浅いところで発生した地震は679回ありました(図1).

1 2003年に日本列島及び周辺で発生した深さ50km以下,M4以上の地震.気象庁一元化震源データによる.

これを関東地方というような領域に限ってみても32回発生しています.平均すれば一ヶ月あたり2.7回になります.従って,時折発生する適当な現象(「犬が異常に吠える」とか「ラジオに異常な雑音が入る」など)をもとに「数日以内に関東地方に大きな地震が起こる」などと「予知」を行っても偶然にあたってしまうことはあるだろうと思います.むしろ,かなり高い確率で「当たってしまう」ことのほうが多いでしょう.このような「予知」は本当の予知とは言えません.

では,我々が行うべき本当の「予知」とは一体どのようなものをさすのでしょうか.

4.地震予知の科学的な考え方

 前節で述べたような予知は,いわば純粋に経験的に行う予知であり,「何故」そのようなことが起こるのか,がわかっていません.このような経験主義的な予知では,いつまでたっても「当たった」「当たらなかった」を繰り返すだけで,信頼できる予知には決して近づいていかないのです.仮に,地震の発生予測に役立ちそうな現象が見つかった場合は,「何故」そのようなことが起こるのか,という問いに答えなくてはなりません.多くの人が納得する理屈がわかってはじめて信頼できる(あるいは実用的な)予知ができると言えるのです.

 地震は地下の断層が高速にずれる運動がその原因であるということは疑いようのない事実です.地震の基本原理といってよいでしょう.この基本原理に基づき,そこから導き出される各種の法則に照らして観測された事象が地震発生に関係することを明らかにして,合理的な根拠に基づいて地震発生を予測する,というのが「科学的な地震予知」だと言えるでしょう.

 それでは,我々が科学の立場から地震予知研究にどのように取り組んでいるか簡単に紹介しましょう.

5.地震発生のメカニズムとプレート運動

 まず,地震発生のメカニズムについて考えます.前にも言いましたように,地震は地下に存在する断層が急速にずれる運動によって生じます.このような断層運動を発生させる原因はプレート運動にあります.日本列島には東から太平洋プレート,南からフィリピン海プレートが沈み込んでいて,これが日本列島に弾性エネルギーを蓄積させます.地震を発生させるのはこれらの中でもプレート境界や内陸の活断層など特定の場所ですが,これらの断層面上には応力が蓄積していきます.断層というのは地殻や上部マントルの中にできた亀裂です.断層は周囲の岩盤よりは強度が低いので,ある程度応力が蓄積してその強度限界を超えると急速にずれます.これが地震の源です.

 したがって,我々はまず,日本列島周辺のプレートの運動を精密に計測しなくてはいけません.プレート運動の方向や大きさが精密に計測されてはじめて日本列島全体の変形の速度や応力の変化率などが推定でき,そこから断層面上の応力の蓄積速度を定量的に推定する道が開けるのです.

 プレート運動の計測のために最近宇宙測地技術が導入され,計測精度が格段に向上しました.宇宙技術にもいくつか種類がありますが,今最も注目されているのがGPS(全地球測位システム)と呼ばれる人工衛星を利用した位置決め(測位)のシステムです(図2).

2  GPS衛星の配置.地上高度20,000km24機配置されている.

カーナビや携帯にも使われていますからご存知の方も多いと思います.カーナビや携帯では簡易な方法を使って10m程度の精度で地上の位置を計測するのですが, 少し特殊な使い方をすると地上の任意の位置を1cm程度の精度で測定することができます.そこで,我々はこのGPSシステムを日本列島周辺の地域に展開し,日本列島に影響を及ぼすプレートの運動を精密に計測しています.この観測でわかってきたのは,日本列島は東や南の方から押されているばかりでなく,西のほうからもインド大陸の衝突やアムールプレートの動きなどによって押されているのだ,ということです(図3).日本列島は東西から挟まれて強い圧縮の場にあるのだということが明らかになってきました.

3  GPS観測によって推定されたアジア〜太平洋のプレート運動.観測された年平均変位速度を黒矢印(ベクトル)で示す.黄色は地質学的データに基づくプレート運動モデルからの推定値.

6.地震発生理論の展開

 それでは,このような広域の応力場の中で地震はどのように発生するのでしょうか.

 実験室内での岩石破壊実験などを通じて,地震の発生を再現することにより,応力が蓄積して地震の発生に至る過程が研究されてきました.地震の源は地下の断層運動ですが,これをごく単純な模型に置き換えて考えてみましょう.図4に示すように机のような平面におかれたブロックをバネで引っ張ることを考えます.

4  地震のバネ−ブロック模型.

机がバネを同じ速度で引っ張っていくと,ある程度引っ張ったところでブロックは急に動き出します.これが断層運動です.ブロックが急に動くとバネにたまったエネルギーが解放されますので,またしばらくブロックは静止します.この繰り返しが地震の繰り返し(地震サイクルなどとも言う)に相当するわけです.このとき,ばねの硬さやブロックが平面と接する境界の状態を変えるとブロックは急速にすべらずにゆっくりと定常的にすべるようになります.うまく条件を調整すると間欠的にゆっくりすべるような現象も作り出すことが可能です(図5).

5 バネ−ブロック模型で再現されるすべりの種類.(上)固着−高速すべり(地震をあらわす),(中)定常すべり,(下)間欠的ゆっくりすべり.

どのようなすべりになるのかは,バネの硬さ,ブロックが面を押す力とブロックが接している面との間の状態に依存しています.

 最近の実験やそれに基づく理論的な研究ではこれらの条件の間の関係式が次第に明らかになりつつあり,これを「摩擦構成法則」などと呼んでいます.このような法則をもとに様々な条件で数値シミュレーションも行われるようになりました.その結果,高速すべりが発生する直前に,断層面上に微小な前兆的すべりが発生することが明らかになってきました.もし,このような室内実験で求められた関係式が実際の断層面でも成立しているのだとすると,観測データを摩擦構成法則に適用してみれば,そのデータが法則から予想される前兆的すべりであるかどうかを判別できるのではないでしょうか.このような手法で地震の発生をある程度予測することができると考えられます.

 観測データを理論的な式にあてはめ,そこから将来を予想する手法は「地球システム科学の手法」などと称して既に天気予報などで実践されています.我々は天気予報で「明日東京地方で雨の降る確率は50%」などという予報を聞いて傘を持っていくかどうかの判断をしますね.これと同じことを地震の発生予測に行えばよいわけです.

 残念ながら地震発生の法則は天気の数値予報に用いる際の大気の運動の法則(方程式系)ほどよくはわかっていません.数値予報では既に大型計算機によって日々観測データを取り込みながら近未来の気象の数値的な予報を実践しています.地震ではまだ極めて単純な,それもまだ十分と言えるほど確立していない法則が存在するだけです.また,適用すべきデータも非常に限られています.特に難しいのは,我々は地震が発生している地殻の中には容易に入っていくことができないので,断層周辺の物性や力学的な条件を精密・正確に計測することができないという点です.

 このようなむつかしさはあるものの,最近の観測網の発達は,少しずつではありますがこのような地震の発生予測に役立つような地下の状態を次第に明らかにしてくれるようになりました.次に,最近の観測網の充実から明らかになってきたことを紹介しましょう.

7.地震・地殻変動観測網の展開に基づく最近の発見と研究の成果

7−1.地震波解析による「アスペリティ」の発見

 19951月に発生した兵庫県南部地震(M7.2)は日本の地震予知研究の体制を大きく変えることとなりました.この地震をきっかけに政府に地震調査研究推進本部が設置され,地震計や地殻変動計器で日本列島を覆ういわゆる基盤観測網が構築されることになりました.こうして今では世界に例をみないほど高密度の地震・地殻変動観測網ができあがり,日々日本列島の活動を監視しています.この観測網データから今,地震の予測に役立つと思えるような多くの新しい発見がなされています.

6  神戸地震の地震波計から推定された断層面上のすべり量分布.断層の南東側から眺めた右横ずれのすべりの方向と量を矢印(上)とコンター(下)で示す.下の図は神戸から淡路島にかけての地図と断層の位置を示す.

地震は日本を始め世界に展開されている地震計によって記録されます.多数の地震観測波形を解析することにより,地震の際に断層面でどのように高速すべりが発生したかを推定することができます.一例をあげてみましょう.図6は神戸地震の際の断層面上の分布を地震波を使って詳しく調べた結果です(実際には他のデータも使っていますが,こまかいことは省略します).これを見るとわかるように,地震の際には断層面が一様にすべるのではないことがわかります.すべりが特に集中しているところは断層面全体のほんの一部であることがわかってきました.

このように,地震の際に大きくすべる場所は「アスペリティ」と名づけられています.通常,地震によって破壊される断層の領域は余震の分布などから推定されます.以前は,例えば海溝沿いに発生する地震の領域はそれぞれ隣り合ってつながっており,全体としてプレート境界全体を覆うと考えられていました.最近の地震波を用いたアスペリティの分布の研究ではこれが必ずしも正しくないことを明らかにしつつあります.一例として三陸沖の例をあげましょう.図7の(a)は北海道から東北太平洋にかけての地域で発生した地震の震源域を示しています.それぞれの地震の震源域は多少重なり合いながらもとぎれなく並んでいて,全体としてプレートがそこですべることを示唆しています.一方,図7(b)は三陸沿岸の地震による地震波形から推定したアスペリティの分布です.地震時に大きくすべる場所は必ずしも(a)のようにプレート境界を覆っているようにはなっていません.それでは,アスペリティの間の「すきま」はどうなっているのでしょう.

 

7  (a)日本列島の東北部で発生した大地震の震源域(「日本の地震活動」より).(b)三陸沿岸の大きな地震のアスペリティ分布(Yamanaka and Kikuchi, 2004).

7−2.GPS観測による「ゆっくりすべり」の発見

 これを明らかにしてくれたのがGPSです.地震観測網と並んで,日本列島には1994年頃からGPSの連続観測網が作られて来ました.今では,日本列島の1000点以上の地点で観測されているデータが国土地理院に集められて自動的に解析され,毎日の観測点の位置座標(緯度・経度・高さ)が1cm程度の精度で推定されています.観測点ごとに座標がどのように移り変わっていくかをプロットしたもの(「時系列」と呼ぶ)を見ていますとその点の地殻変動の様子が詳しくわかります.多数の観測点の時系列から特徴のあるパターンを抽出して解析することにより,プレート境界や内陸の断層でどのようなすべりが発生しているかをあきらかにすることができます.

1994年の暮に発生した三陸はるか沖地震の余効変動を調査したところ,この地震の後に震源周辺で地震時のすべりをしのぐような大きな余効的すべりが発生していることがわかってきました.その後の調査で,この地震後にゆっくりすべった領域と地震時に大きくすべったアスペリティの位置はお互いに重ならず,相補的になっている,ということが明らかになりました(8)

8   1994年三陸はるか沖地震のアスペリティ(赤色)と余効すべり(青色)の領域.

同じような地震後の余効変動が地震時のすべりとお互いに相補的になっているのは2003年十勝沖地震の際にも観測されています.余効変動としてゆっくりすべる現象は,多分地震時のすべりが周囲に応力の高まりを発生させ,そのためにゆっくりとしたすべりが励起されるのだと思います.

 地震の後の余効変動とちがって,ゆっくりとしたすべりが単独で発生することもあるようです.もし,プレート間が固着しているのであれば,その間,座標の時系列は直線的になるはずです.ところが,1997年頃に四国と九州の間の豊後水道周辺のGPS観測点では奇異な現象が見られました.それまで直線的に変位していた時系列がゆるやかに変化したのです.約1年後にはそれはもとに戻りました.これを解析したところ,この豊後水道直下のプレート境界がゆっくりとすべったことがわかったのです.急速にすべるのであれば地震となるわけですから,このような現象を「ゆっくり地震」と呼ぶ人もいます.地面が揺れるわけではないのでこれは少しおかしな表現ですね.むしろ単純に「ゆっくりすべり」といえばよいでしょう.この豊後水道のゆっくりすべりが発生したすぐ南側は日向灘地震のアスペリティになっていて,三陸と同じように互いの領域が重ならないようになっています.つまり,前節の問いに対する答えは,「アスペリティ」のあいだのすきまでは間欠的にゆっくりすべりが発生しているのだ,と考えられます.

 東海地方は近い将来大きな地震が発生していると考えられている地域ですが,この東海地方においては,2000年半ば頃から,通常のプレートに押される方向とは反対の東南東に向かう動きがGPSで観測されはじめました.豊後水道と同じように東海地方直下でもゆっくりすべりがはじまったのです(図9).

9   東海地方で発生しているゆっくりすべり.(左上)定常的な変動からのずれの変位をベクトルであらわしたもの,(左下)上下変位分布.浜名湖付近を中心に隆起していることがわかる,(右)浜松市の北の浜北GPS観測点における位置の変化.上から,東西成分,南北成分,上下成分を示す.2000年中頃より東,南,上へ変位が進んでいることがわかる.

このゆっくりすべりは現在でも続いています.4年に及ぶゆっくりすべりはこれまでに見出されてきたもののなかでも一番規模が大きいゆっくりすべりです.もしこのゆっくりすべりが地震を引き起こすような急激なすべりとして発生したとするとそのマグニチュードは7に達します.この領域では過去にも似たようなゆっくりすべりが発生していたことが示唆されています.どうやら間欠的に発生するゆっくりすべりのようです.このゆっくりすべりが発生している領域は浜名湖を中心とした領域で,想定される東海地震のすぐ西隣に位置しています.このゆっくりすべりが果たして東海地震を引き起こすのかどうか,注意して見守っていかないといけません.

 これまでに見出されてきたことを総合すると,どうやら沈み込むプレートの境界面は均一ではなく,普段固着していて地震ですべる領域,時折ゆっくりすべりを発生して応力を解放する領域,それから常にずるずるとすべっている領域の3種類にわかれるようです.これらの違いは場所ごとに,前記のバネブロックモデルで示したように,プレート固着面の物性などのいくつかの物理的性質が異なっているためではないかと思われます.

プレート固着面の摩擦係数が低いほうがすべりやすくなるわけですが,海溝から沈み込むプレートに含まれる大量の水が地殻深部で脱水し,これがプレート間の摩擦を低下させているのではないか,とも指摘されています.これに対応するような現象も最近見つかっています.もし,このように地殻の深部で水などの液体が大量に存在するのであれば,その挙動はプレート間のゆっくりすべりや海溝型巨大地震の発生に影響を与えるかもしれません.今後このような領域の性質を詳しく調べることによってプレート境界領域での地震発生の仕組みや前兆的現象の存在が詳しくわかるようになるのではないかと期待されます.

8.日本列島の内陸では何が起こっているのか?

 プレート境界で発生する地震のメカニズムに比べ,日本列島の内陸で発生する地震の発生メカニズム,特に活断層へどのように応力が蓄積していくのかはまだよくわかっていません.しかしながら,前節で紹介したGPSの観測網は日本列島の現在の内部変形を詳しく明らかにすることに成功しました.図101996年から1999年の約3年間のGPS観測データから観測点の変位速度をベクトルで表したものです.北海道から東北にかけての太平洋岸が西向きに,西南日本の太平洋岸が北西に動いていることがわかります.これらはいずれも太平洋プレートやフィリピン海プレートが沈み込むことによって引きずられている証拠を示しています.11はこの結果から日本列島のひずみの分布を算出したものです.注意しなくてはいけないのは,この図はわずか3年という短い時間の観測から推定したひずみだということです.

10   19964月〜19998月のGPS観測から推定した各観測点の変位速度ベクトル(国土地理院からデータ提供).

日本列島の内陸で発生する地震の繰り返し間隔は1000年単位と長いので,3年間のひずみ変化量ではどこが危険などと判定することはできません.前に発生した地震からのひずみの蓄積量がわからないと,どの程度にまでひずみが蓄積しているかがわからないのです.日本列島の内陸のひずみの蓄積過程については今後も1000年のタイムスケールの息の長い観測が必要になります.

 図11に示しているひずみのパターンでも特に注目すべき場所は新潟県から神戸付近に至る線状の領域にひずみの大きな部分がある,ということです.この場所は東北日本と西南日本が衝突していて特に圧縮ひずみが大きくなっているばかりでなく,フォッサマグナ北部,跡津川断層,花折断層,神戸地震の震源域など,地震予知研究の上で重要な地域が含まれている,ということです.今後この領域になぜ特にひずみが集中するのか,などについて詳しい研究がすすめられることになっています.

11   変位速度データをもとに算出した日本列島の面積ひずみ分布(Sagiya(2000)による).

9.確率論的な地震発生予測

 前節までは,地震発生の原理を解明し,地震発生の法則を見出して観測データをそれに適用することにより,的確な地震発生予測を行おうとする方法について述べてきました.しかしながら,このような方式では,もし仮にそれが実現したとしても,実用的な予知が実現するにはまだ相当長い歳月がかかると思われます.単に予知の実現を待つだけでなく,これまでの地震学の研究成果を何らかの形で世の中に役立つようにすることはできないのでしょうか.

 このような一つの試みとして,確率を用いた地震発生の長期予測が政府によって進められています.3節の「待ち合わせ」の事例をもう一度考えて見ましょう.1時間後のあなたのいる場所を正確に予知はできないと言いましたが,確かにそうではあっても,「多分,ほぼ正確にそこに到達することはできる」とは言えるのではないでしょうか.もし途中の“擾乱”を考慮せずに約束の場所に現れようとした場合,ちょうど1時間後にそこに到着できる確率が計算できます.それは実際に例えば100回繰り返してやって見ればよいでしょう.結果はどうでしょう.1時間を中心に多少前後にばらつくような結果になるでしょう.それをグラフにあらわせばいわゆる「確率分布」が得られます.このように,ある事象の発生時刻(ここでは「1時間後に約束の地に到達すること」)の確率分布がわかっていれば,未来を「確率的に」予測することができます.

 兵庫県南部地震をきっかけとして設立された文部科学省の地震調査研究推進本部では,日本列島の主要な活断層について,その断層で発生する地震の確率予測を行っています.巨大地震はほぼ同じ大きさの地震が100年から1000年程度の間隔で繰り返し発生すると考えられています.実際,南海地震や東南海地震は古文書などの解析によって歴史時代に何度も発生してきたことが知られています.また,歴史文書に記述がないような場合でも活断層を直接掘ってそこでの地層のずれ具合を調査することによって,その断層が過去のいつ頃に運動したかがわかるようになってきました.もし,前回の地震の発生時期と繰り返し周期がわかっていれば,次の地震がいつ頃になるかはある程度推定できます.これを適当な数式にあてはめることにより,例えば「今から30年以内にその断層で地震が発生する確率」を計算することができます(これを簡単に30年発生確率と呼びます).このような発生確率を日本全国のプレート境界地震と内陸の主要な活断層で算出しようというプロジェクトが現在進められています.図12は,最近推進本部が発表した南海地震の30年発生確率を示しています.南海地震は紀伊水道から四国沖にかけての南海トラフ沿いにほぼ120年の間隔で過去繰り返し発生してきたM8クラスのプレート間大地震です.

12   南海地震の30年発生確率の時間変化.矢印は200111日の時点を示す.この時点から30年以内に南海地震の発生する確率は約40%と読み取れる.

12の見方は注意を要します.横軸に時間をとり,縦軸には「その時間から30年以内に南海地震が発生する確率」を表しています.例えば矢印のある200111日の時点で考えると,その30年後の2030年までに南海地震が発生する確率は約40%となります.図では実線と点線が引いてあって,これらは確率予測のある種のモデルパラメータの違いを検討したもので,ここではその説明は省略しますが,確率には大きな変化はありません.

このような確率予測は予知そのものではありませんから,直接人の命を救うことはできないかもしれませんが,このような活断層の評価を行うことでそこに住む人たちの防災体制の見直しや自治体の防災施策に役立つ資料となるのではないでしょうか.実際,東南海・南海地震の震源に面した沿岸地域では防災対策を促進する法律が出来て様々な防災体制への取り組みが始まっています.地震の発生がまだ先のことであっても防災体制を作り上げるには相当の時間がかかりますから,このような取り組みの開始は早すぎるということはないのです.

10.おわりに

 今日のお話では,地震予知の考え方,地震発生の原理,最近の予知研究の成果,そして政府で進められている確率予測について概略をお話してきました.地震の繰り返し周期は長いので,地震の周期にまたがるような長い年月の観測データの蓄積と,地震発生の原理の探究が基本的に重要です.さらに,そこから予想される前兆的活動の理解をもとに,数理解析の手法を用いて定量的に地殻活動を予測する手法を開発することも必要になります.このようなやり方が近代科学に基づく地震予知の戦略と言えるでしょう.このような科学的な地震予知は一朝一夕に実現できるものではありません.着実に観測データを蓄積しながら基礎的な研究を続け,そこから得られる研究成果を,その時々の防災施策に役立たせると共に,次の新たな研究のステップへとつなげていくことが重要なのだと思います.