天保123月2日(1841422日)駿河久能山地震について

         都司 嘉宣

 

今回の、駿河湾地震と同じような地震を歴史記録の中から探し出してみると、天保12年3月2日の昼八つ時(14時ころ)に発生した、静岡市久能山東照宮に被害をもたらした内陸地震が見つかった。その広域震度分布と静岡市付近の詳細震度分布図を示しておく。震度5以上の範囲は、久能山東照宮と駿府城、清水、旧江尻宿を中心とし、東は富士川流域の芝川町、西は静岡市藁科川中流域の富沢に及んでいる。静岡市中心部の(35.0N138.4E)を中心とする半径20kmの円内で震度5とすると、この地震のマグニチュードは

M6.3となる。有感範囲は西は京都府八幡市から、東は千葉県流山までであるが、流山では「大地震」と記されているので、実際には有感地震範囲は東にもう少し延びていると考えられる。なお、この地震の13年後に安政東海地震(1854)が発生している。

  図1 天保12(1841)駿河久能山地震の広域震度分布

 現在の静岡市竜南1丁目(当時千代田村)の明王寺の堂舎がこの地震で倒壊、さらに火災を生じ壊滅したということから、ここでの震度を6弱として、これが最大震度である。この地震で駿府城では石垣が三十間(約54m)崩壊したと、駿府の住人・花野井有年の『辛丑雑記』に記載されており、この点も今回の地震に類似する。

 津波についてははっきりしないが、おなじ『辛丑雑記』に三保村で「三保の浦の砂地に、小船の覆りたるもあり」を、津波の影響と理解してよいかどうかによる。

 

  図2 天保12年(1841)駿河久能山地震の震源附近の詳細震度分布