2001年1月10日
早朝寒冷前線通過により大荒れの天気となる.
三宅島周辺で監視している海上保安庁や海上自衛隊艦船からの
報告では,波高2m+うねり7〜8m,風速は20m/sとのことで,
本日も三宅島作業が中止となった.
GPS班(及川,渡辺(秀),辻,松島)電磁気班(笹井,大和田,瀧沢)
強震班(坂上,纐纈,山中)は,いずれも神津島待機となった.

朝入港するはずの東京発の東海汽船も式根島で運行打ちきりとなり,
GPS班の交代要員として乗船していた大湊さんは式根島に取り残された.
しかし,他の20名の神津島行きの乗客と一緒に漁船をチャーターして
昼前に神津島に到着した.ちなみに運賃は1人2000円だったとのこと.

前線通過後の昼前には,波は高いものの天候は急速に回復し,気温も
15度前後とぽかぽか陽気となった.前浜ではサーファーが多数遊んでいる.

午後から天上山に登った.いくつかある登山道は地震の影響で通行止めに
なっており,南西側の黒島側登山道のみ通行可能となっていた.
頂上からは三宅島が良く見え,噴煙は1000m程度で東側に流れていた.
天上山の新島側と前浜側の2箇所に臨時のマイクロウエーブの中継基地が
作られ,山麓から総延長2kmにおよぶ電力線が仮設されていた.
これは,三宅島のNTT施設の停止により,神津島の電話回線が不通になるのを
をふぐため,急遽新島からのマイクロウエーブ回線を開設したものと思われる.
我々は神津島で,なにも考えずにモバイルしたりや携帯電話を使っているが,
これらは,NTTや東電の人たちの大変な苦労の賜物であるとしみじみ
思い知らされた.

松島(九大島原)