2011年 東北地方太平洋沖地震

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過去に起きた大きな地震の余震とその後の主な地震活動

大きな地震が発生すると,必ずその後にたくさんの余震が発生する.今回はM9.0の巨大な地震だったので,余震に関しても長い期間にわたる注意が必要である.そこで参考までに,過去に起きた大きな地震とその余震活動の例として,2004年スマトラ島沖地震,2010年チリ中部地震,1960年チリ地震の余震の規模と発生時期とをまとめた.また,国内の歴史地震の例も示した.(歴史地震の地図表示はこちら)

(大木・都司・西田による)

まず,今回の地震から4月8日までの余震分布を以下に示す(気象庁一元化データによる).黄色の星は本震の震源,白の星はM7以上の地震の震源を示し,赤の点線で本震の震源域を大まかにあらわした.また吹き出しの色については,前震を青で,誘発されたと考えられる内陸で起きた地震については赤の囲みで示した.

4月11日時点でのM7以上の地震について以下にまとめる.本震の震源域で起きる狭い意味での余震は2つ(3月11日15:08 M7.4および同日15:15 M7.7)である.本震に誘発されて起きたと考えられる地震として,アウターライズ地震(海溝の外で起きる地震)が1つ(3月11日15:25 M7.5),スラブ内地震(沈み込む太平洋プレートの内部で起きる地震)が1つ(4月7日23:32 M7.2),内陸地殻内地震が1つ(4月11日17:16 M7.1)起きている.気象庁では,これらはいずれも”広義の余震”として同列にカウントされている.

下図は4月8日までのデータに基づき,横軸に日時,縦軸にマグニチュードをとったもの.吹き出しについては,濃い赤が本震,それ以外は3月5日以降に起きたM7以上の地震を示した(囲みの色に意味はない).

次に,2004年12月のスマトラ島沖地震の例を示す(2010年12月末までのUSGS PDEカタログによる).赤の吹き出しは本震,黒囲みの吹き出しは余震を示すが,必ずしも明確に本震-余震関係が言えるわけではない.Mw9.1の本震の震源域にはM7以上の余震が6つある.一番最近では本震から5年半後の2010年6月にM7.5の地震が起きている.2005年3月のMw8.6の地震は2004年12月のスマトラ島沖地震の最大余震ととらえるか,別の地震ととらえるか議論があった.ここでは別の地震として赤の吹き出しで示したが,2004年の地震の影響を受けて発生したことは否めない.また,2007年3月6日にはスマトラ島の中部にあるパダン付近の内陸部で,M6クラスの地震が連続して発生して,150名を超える死傷者を出している.上述の通り,赤の吹き出しと黒囲みの吹き出しについてはさまざまな見解があろうが,ここではスマトラ島付近での地震活動を示すのが目的であるため,詳細は議論しない.

下にMTグラフを示す.本震を除くと,2004年12月から2010年12月までの6年間で14個のM7以上の地震が起きている.

続いて,2010年2月に起きたチリ中部地震の余震分布を示す(2010年12月末までのUSGS PDEカタログによる).Mw8.8と巨大な地震であったが,M7を超える余震は起きていない.
















更に,データは限られるが1960年のチリ地震の余震分布を示す(The Centennial Catalog (Engdahl and Villaseñor, 2002)による).M6.8からM8を超える前震を5つ伴い(青い吹き出し),本震のMw9.5となった.M7を超える余震は3つのみとなっている.

















最後に日本での歴史地震における地震活動について以下にまとめる.(歴史地震の地図表示はこちら)

1.貞観三陸地震(869年)の余震とその後の主な地震

貞観11年三陸沖地震(M≒8.3)の10年後に起きた「元慶2年(878)関東諸国の地震(M7.4)」は,伊勢原断層のすべりによるか(宇佐美,1996)とされている.理科年表によると「相模・武蔵が特にひどく,5~6日震動が止まらなかった.公私の屋舎一つも全きものなく,地陥り往還不通となる.圧死多数.」とある.

2.宝永地震(1707)の主な余震とその後の主な地震活動

宝永地震(M8.6,宝永4年10月4日未刻,1707年10月28日14時)は,東海沖,および南海沖の震源が同時に滑りを起こした連動型の巨大地震と考えられている.

(2-A) 宝永地震の主な余震

A1. 宝永地震の本震発生の約16時間後の翌日(宝永4年10月5日卯刻,午前6時)に富士川の中流域を震源とする地震が起き,本震では被害のでなかった,甲府盆地,富士宮,静岡,等で寺院の倒壊,および死者の発生があった.

A2. 本震発生の約3ヶ月半後の宝永5年1月22日(1708年2月13日),京都では本震以後最大の揺れとされ,伊勢山田(三重県伊勢市),和歌山県海南市で津波が記録されている.宝永地震の最大余震であろう.

(2-I) 宝永地震後の主な地震活動

I1. 宝永地震の本震の23日後,長門国佐波郡上徳地村(現在山口市徳知)で倒家289軒,死3の被害を伴う局地的な地震があった.

I2. 宝永地震の本震の7年後の正徳4年(1714)に信濃小谷村(大町の北,白馬町)付近で地震(M6前半)があった.

3.安政東海地震(1854)の主な余震とその後の主な地震活動

安政東海地震(M8.4,1854年12月23日,安政元年11月4日)とは,今で言う東海地震と東南海地震の連動地震.被害は関東から近畿に及び,津波は房総から土佐までの沿岸を襲った.

(3-A) 安政東海地震の主な余震

A1. 安政東海地震の約70日後の安政2年1月27日(1855年3月15日)大井川下流域で堤防揺りこみ,焼津で液状化を伴う地震があった.

A2. 本震から約10ヶ月半を経過した,安政2年9月28日(1855年11月7日)遠州灘を震源とするM7.0~M7.5の地震があり,家屋被害,津波をともなっていた.安政東海地震の最大余震と見られる.

A3. 本震から約3年半経過した安政4年閏5月23日(1857年8月14日)の駿河湾内の地震(M6前半か)は駿河田中城(藤枝市)の石垣土蔵などが崩壊した他,静岡,相良でも被害を生じた.

(3-I) 安政東海地震後の主な地震活動

I1. 安政東海地震の約75日後の安政2年2月1日(1855年3月18日)に,富山県城端・保木脇でM6後半の地震があった.

I2. 安政東海地震の約11ヶ月後に「安政江戸地震」(M7.0~7.1)があった.

I3. 安政東海地震の4年半後の安政5年2月26日に「飛越地震」(M7.0~7.1)が起きた.飛騨で死者203名が出たほか,常願寺川上流がせき止められ,後に決壊して140名の死者をあらたに出した.跡津川断層の運動によると考えられている.

I4. 安政東海地震の4年半後の安政5年3月10日には信濃大町地震(M5.7)が起きている.上述の宝永地震上述の宝永地震(I2)の震源位置ときわめて接近している.

4.明治三陸地震(1896)とその後の主な地震活動

岩手県沖で1896年6月15日に起きたM8前半の地震.地震の揺れによる被害はなく,北海道から男鹿半島にいたる海岸に津波が襲来し,北海道・青森・岩手・宮城で合計2万名を超える死者を出した.津波波高は綾里で38.2m,田老で14.6mを記録した.

I1. 明治三陸地震(1896年6月15日)の2ヶ月半後(同年8月31日)に,岩手県,秋田県の県境付近で「陸羽地震」(M7.2)が起きている.死者は秋田県で205人,岩手県で4人を数えた.

I2. 明治三陸地震の1年10ヶ月後の1898年4月23日に宮城県沖地震(M7.2)が起きている.釜石,仙台平野,石巻などで小被害,また小津波を伴っている.この地震の震源域は明治三陸地震のそれより陸に近く,両者重ならないと考えられる.

5.関東地震(1923)の主な余震

関東大震災には6つの大きな余震があった.1923年9月1日11時58分にM7.9の本震が起きた後,12時01分にM7.2,12:03にM7.3,12:48にM7.1の余震が起きた.さらに翌日9月2日11時46分にM7.6,同日18時27分にM7.1の余震があり,4ヶ月後の1924年1月15日にM7.3の余震が起きている.余震のひとつひとつが兵庫県南部地震に匹敵あるいは上回るほどのものである.

6.昭和三陸地震(1933)

1933年3月3日に日本海溝付近でM8.1の巨大な正断層型の地震が発生し,津波が太平洋岸を襲った.いわゆるアウターライズ地震.死者・不明者は3000名を超え,波高は綾里湾で28.7mに達した.

7.東南海地震(1944)とその後の主な地震活動

東南海地震(M7.9,1944)は三重県から遠州沖の海域に起きた東海地震の 一つと見ることが出来る.死者・不明者1223名のほか,遠く長野県諏訪盆地での住家全壊が12戸あった.津波が各地に襲来し,熊野灘沿岸で6-8m,遠 州灘沿岸で1-2mだったと見積もられている.紀伊半島東岸で30-40cm地盤が沈下した.

I1. 東南海地震(1944年)の47日後の1945年1月13日に,愛知県蒲郡市の西方を震源とする「三河地震」(M6.8)が起きている.死者は2306名とされ,東南海地震の死者(1223名)よりも多かった.

I2. 本震の4年半後の1948年6月28日に福井県嶺北地方でM7.1の地震が起き(『福井地震』),死者が3000名を超えた.

8. 日本海中部地震(1983)とその最大余震

1983年5月26日,秋田県沖でM7.7の地震が発生し,津波により100名を超える死者がでた.この本震の北側に接する領域(津軽海峡西方)で,本震の25日後の6月21日に最大余震が起き,小津波を伴った.

9. 北海道南西沖地震(1993)とその最大余震

1993年7月12日の夜10時過ぎにM8.2の地震が起き,揺れと津波とで多くの被害が出た.特に奥尻島での被害が甚大で,青苗の市街地で10mを超える津波があった.この最大余震は本震の27日後の8月8日に起きた.