津波調査結果

津波調査


三陸南部の調査結果.

(都司嘉宣)


三陸北部の津波調査

乙部野沼の浜、樫内漁港、重茂(おもえ)半島の千鶏(ちけい)、姉吉、重茂漁港、山田町小谷鳥(こやどり)、および大船渡市三陸町綾里での調査結果。

(都司嘉宣(地震研)Prof. B.H.Choi(成均館大),Dr. Kyeong Ok Kim (KORDI), Mr Hyun Woo Kim(Marine Info Tech Co)らによる)


北三陸の津波高さ-明治・昭和との比較



北三陸(宮古~野田村)の津波高さ



宮古・岩泉・田野畑・普代・野田における津波調査(暫定)

4月3・4日に宮古市から久慈市にかけて津波調査を実施した.小堀内漁協の37.9mに匹敵するほどの遡上高34.8mが青野滝にて測定された.下の地図の黒丸は測量点,白丸は視察点である.視察点にあるカッコ内の数字はおおよその高さであるため,今後の調査結果が有効である.

(都司・大木・杉本・泊による)

田老駅から海を臨む(遡上高11.7m)

出羽神社(遡上高19.1m)から田老中心部を臨む

摂待の防潮堤の上から平野部を臨む

摂待の防潮堤隣りにある崖に津波痕跡物が残る.写真中央の人のサイズに比べて,津波がどれほどの高さで浸水したか伺える.

青野滝漁協.はるか先にある港から,手前まで津波が来た痕跡が残っている(遡上高34.8m)

島越.三陸鉄道の鉄橋が崩落している.

海に面する集落が壊滅の状態.

羅賀地区.防潮堤の上から,海を背に集落を臨む.


宮古市田老小堀内漁港での津波遡上高

4月3日午後の水準測量で,宮古市田老の小堀内(こぼりない)漁港に37.9mまで津波が遡上したことがわかった.明治三陸津波(1896年)の際に,岩手県大船渡市綾里で記録した38.2mに迫る巨大な津波であることがあらためて確かめられた.

(都司・大木・杉本・泊)

写真は同地点付近を海岸線から眺めたもの.クリックして拡大すると,中央の松の木の右側にオレンジ色のウキが2つ木に掛っているのがわかる.同じく左側には,黒・白・オレンジのウキが掛っており,津波がこの高さまで来たことを示す.

遡上した高さの少し手前(30-35mあたり)から海を臨んだ写真.岸を打つ波がはるか眼下に見える.津波はこの高さまで浸水させ,さらに写真左手の崖を遡上した.

下の写真はこの付近にあった消防車.津波の衝撃で大破している.この地域で消防団を含む9名の方が亡くなられた.


茨城・千葉での海岸津波高さ

現地調査からの茨城・千葉における海岸津波高さのデータ.単位はm.

  • 3月16日-17日: 千葉県館山市布良→銚子市外川まで(調査者:都司、石辺、西山)
  • 3月19日-20日: 千葉県銚子漁港から茨城県北茨城市大津港・平潟まで
  • 調査点は、銚子港、波崎漁港、鹿島港昭和産業敷地、武井釜、大洗フェリーターミナル,那珂湊水産市場、日立市なぎさ公園、日立市川尻港、北茨城市磯原、北茨木市大津港,北茨城市平潟。茨城県海岸はすべて被害発生点のため、他機関による後追い調査も有効であろう.

(都司らによる)

1960年,2010年のチリ地震津波との比較