「レシピ」による大地震の揺れの予測

 

入倉孝次郎

京都大学名誉教授・愛知工業大学客員教授

愛知工業大学地域防災研究センター(〒470−0392 豊田市八草町八千草1247
E-mail:irikura
@geor.or.jp

 


要 旨

来るべき大地震による災害をできるだけ少なくするには、地震が起こったときどこでどんな揺れになるか前もって知っておく必要があります。揺れを正しく予測するための方法として「レシピ」が考案されました。この「レシピ」を用いると、過去の地震の震源の特性、伝播経路や表層地盤の構造等に関する情報に基づいて、揺れの予測に必要なパラメータが順番に与えられ、同じ情報から誰がやっても一定の信頼ある予測結果が得られます。この方法は、文科省の地震調査委員会や内閣府の中央防災会議による特定の活断層や海溝型地震を想定した揺れの予測に用いられています。作成された揺れの予測地図からどの地域が危ないかなど精度ある被害予測が可能となり、その結果を次の大地震に対する効果的な減災対策に役立てることができます。


 

 


1.はじめに

地震は地下の岩盤のずれ、すなわち断層運動、により地表に揺れを生じる現象です。この揺れが大きいと家屋や橋など人工構造物が破壊され、地震被害が引き起こされます。ちなみに、地震の源となる断層が海底下にあると、津波も引き起こされます。地震発生で被害が引き起こされるのは、揺れや津波により人間社会の活動に不都合が生じることと言えます。地震を防ぐことはできないが、揺れや津波による被害は防ぐことが可能です。地震災害を少なくできるかどうかは、将来大きな地震が発生したらどこにどのくらい大きな揺れや津波が生じるかがどの程度正確に予測できるかにかかっています。

地震時の地面の「強い揺れ」のことを「強震動」といいます。一般的には、「強震動」とは構造物に被害を引き起こす可能性のある「強い揺れ」を指しています。今後、本稿では「強い揺れ」を「強震動」と呼ぶことにします。

 強震動評価は、活断層や歴史地震の調査による地震発生の可能性、GPS、高感度、広帯域、強震動など観測記録による震源断層のモデル化、地殻・地盤構造調査による地下構造のモデル化と波動伝播特性、などなど総合的調査研究に基づいてなされるものです。従って、強震動の予測をより正確に行うには、地震に関連する最新の知見の総動員が必要とされます。

 私たちは強震動の関係する情報を整理して、予測に必要なパラメータを順番に与える方法を「レシピ」としてまとめました。このレシピを用いると、同じ情報が与えられれば、誰がやっても一定の信頼性ある強震動の予測結果が得られることになります。この考え方に基づいて、地震調査委員会や中央防災会議で「震源を特定した強震動予測」が行われています。

 

2.強震動を予測する方法

「全国を概観する地震動予測地図」が2005年4月に地震調査委員会により発表されました (地震調査委員会, 2005)。これには性質の異なる2つの地震動の予測地図が示されています。1つは「確率論的地震動予測地図」で、「ある一定の期間内にある地域が強い地震動に見舞われる可能性を確率を用いて予測したもの」です。この地図から、たとえば今後30年という一定の期間を想定したとき、震度6弱以上の大きな揺れに襲われる可能性が高いのはどの地域かがわかります。もう1つは「震源を特定した地震動予測地図」で、「地震発生の可能性の高い断層(震源域)を想定し周辺地盤の揺れを決定論的に予測したもの」です。この地図からは、たとえば、○○断層が動いたら、△△市××町は震度6強以上の揺れに襲われる、ということがわかります。これらの地図はそれぞれの異なった目的で作られていますが、利用するときは両方の地図を補完的に用いると使い勝手のいいものになります。中央防災会議が200112月に発表した想定東海地震の地震動予測や200312月に発表した想定東南海・南海地震の地震動予測は、後者の方法の具体例です (中央防災会議, 2001; 2003)

これらの地震動予測地図を作成するときに、強震動の評価するために、経験的距離減衰式に基づく「簡便法」と震源断層モデルを想定し複雑な媒質の波動伝播を考慮した「詳細法」という2つの方法が用いられています。それぞれの方法は利点と弱点を持っており、適用に当たって相補的に有効性の検証に用いることができます。

 

その1 簡便法

 簡便法は、過去の地震で得られた強震動記録の統計的解析により、地震動の最大速度が地震規模,断層距離,地盤条件などをパラメータとして経験的に表される関係式「距離減衰式」を用いて強震動を推定する方法です。評価手法の模式図が図1に示されます。はじめに、想定地震の断層の大きさから地震規模を推定、断層最短距離をパラメータとして工学的基盤の最大速度を評価、さらに工学的基盤の上にある表層地盤での増幅率(これも地盤条件から経験的にあたえられる)を考慮して、地表面での最大速度の分布を評価します。最大速度を経験的関係式で震度に変換すると面的な震度分布が得られることになります。ここで最大速度の距離減衰式を用いる理由は構造物の全壊や半壊との相関が最も高いからです。

この方法で推定されるのは波形ではなく最大速度のみです。この結果は経験的関係式のみ用いているため比較的安定で信頼性のある震度分布であるという利点がある反面、地面の揺れを最大速度という1つの代表値で表しており、構造物の周期特性の違いによる地震動の破壊力の違いが表せないという重大な弱点があります。地震時の断層破壊過程、伝播経路特性や堆積地盤の形状などによる地面の揺れの変化が適切に評価しにくいことも問題があります。その弱点を克服するために開発されたのが詳細法です。

 

その2 詳細法

詳細法は、活断層や海溝震源域の調査に基づく震源断層の形状評価をもとに震源モデルを想定し、地殻構造や地盤構造を考慮した地震動シミュレーションを行うものです。この方法による強震動評価には種々のパラメータの設定が必要とされます。この方法を用いて震源断層を特定した地震動予測地図を作成するために、地震調査委員会強震動評価部会はこれらのパラメータの設定の手順をレシピとしてまとめています。レシピは、@想定する地震の震源のモデル化、A震源と対象地域を包含する地下構造・地盤構造のモデル化、およびB地震動のシミュレーション手法、から構成されます。

この方法は簡便法と異なり波形を計算するものですが、評価の手順は模式的には図1とほぼ同じです。震源については、大地震の強震動記録を用いた波形インバージョンにより推定した断層すべり分布の統計的な解析から考案された特性化震源モデル (入倉・三宅, 2001) で与えられます。このモデルでは総地震モーメントおよび全破壊域に対するアスペリティ面積の比率が与えられるとアスペリティでの応力降下量など重要なパラメータが拘束されることになります。ここで与えられる震源パラメータは断層面積や地震モーメントなどの巨視的断層パラメータと震源断層内における不均質なすべり分布などの微視的断層パラメータ、に分けられます。

将来の大地震に対する強震動の評価を適切に行うためには地震の震源の物理モデルに基づいて与えられる地震の相似則に従って巨視的および微視的断層パラメータを設定する必要があります。また詳細法による強震動評価においても、評価結果の有効性の検証のため簡便法で用いられる経験的距離減衰式との比較が重要です。

図1.強震動評価の模式図.

 

3.強震動評価の例

地震調査委員会による「震源を特定した地震動予測地図」では、内陸の活断層地震については糸魚川―静岡構造線断層地震、森本・富樫断層帯地震など12地震沈み込み帯に発生する海溝型地震については東南海・南海地震、宮城県沖地震を対象など5地震の強震動評価が行われております

ここでは、7月に公表した中央構造線断層帯(金剛山東縁―和泉山脈南縁)の地震に対する強震動評価の例を示します。対象区間の断層地表トレースは、図2aに示されるように、金剛山地の東縁に沿う香芝市から五条市にかけてほぼ南北に12 km延び、五条市付近でほぼ直角に屈曲し、和泉山脈の南縁に沿って西南西方向に60 km延びています。和泉山脈の南縁の断層は右横ずれ、金剛山地東縁は西傾斜の逆断層と評価されています。この区間の断層の地震の規模はマグニチュード8程度で、今後30年間に地震発生の確率はほぼ05 %で、我が国の主な活断層の中では高いグループに属します。

強震動評価のための巨視的断層パラメータは活断層調査結果に基づいて設定されます。微視的断層パラメータとして、顕著な断層変位が認められる根来断層付近に大きなアスペリティー(図2上図の第1アスペリティ)、五条谷付近に小さなアスペリティ(図2上図の第2アスペリティー)が設定され、それらの面積・応力降下量は助―リング則に従って与えられました。破壊開始点については特定するだけの情報がないため、第1アスペリティの西下端とするケース1と第2アスペリティの東下端とするケース2を設定し、破壊開始点の違いによる強震動予測結果の違いを検討しております。

(a)

(b)

図2.強震動予測レシピによる強震動評価例―中央構造線断層帯(金剛山地東縁―和泉山脈南縁)の地震を想定した強震動評価―.(a) 震源断層モデル,(b) 震度分布

(地震調査委員会, 2005)

 

強震動評価の例としてケース1に対する震度分布が図2のbに示されます。アスペリティに近い泉南市や和泉市を中心に震度6強以上が予想されています。揺れが大阪湾沿岸や神戸市沿岸で相対的に強いのは、柔らかい地盤構造の影響です。和歌山市付近で震度6強以上の強い揺れになるのは、破壊の進行方向に位置しているのでデレクティビティ効果とともに、この地域が和泉層群からなる厚い堆積層と軟らかい表層地盤の影響と思われます。ケース2でも震度の分布傾向はあまり変わりませんが、破壊が東から西方向に進むため強い揺れの地域がやや西側に移る傾向があります。強震動予測結果の検証として、詳細法による最大速度と既存の距離減衰式と比較した結果は全体的に良い対応を示しています。

 一方、中央防災会議は200112月に「想定東海地震」、200312月に「想定東南海・南海地震」について「強震動津波の分布及び揺れによる建物被害等について」の報告を発表しております (中央防災会議, 2001; 2003)。同会議の強震動予測は1707年宝永地震、1854年安政東海地震、安政南海地震、および1944年昭和東南海地震、1946年昭和南海地震の5つの南海トラフに発生した巨大地震のときの震度分布が再現できるように震源域およびアスペリティが設定されています。東海・東南海・南海の3地震が同時に発生した場合の震度予測の例が図3です。   強震動の評価は、簡便法と同様に経験的な距離減衰式を用いて最大速度を評価する方法と同時に、震源域にアスペリティを想定して統計的グリーン関数法を用いたシミュレーションによるものの両方を行っています。経験的手法も数値シミュレーションもどちらも、はじめに工学的基盤までの最大速度の推定を行い、つぎに表層における増幅を国土数値情報に基づく方法 (翠川・松岡, 1995) やボーリングデータなどにより推定し、それらを掛け合わせて地表の最大速度を推定し、最大速度と気象庁震度の経験的関係式から震度を評価します。シミュレーションの方法は強震動評価部会のレシピをほぼ踏襲していますが,震源域やアスペリティの設定について過去の地震の震度分布にできるだけ適合するように調整を行っています。強震動予測の結果としては、経験的な方法とシミュレーション結果を合わせて、それらの大きい方の震度値が地図に示されています。

 中央防災会議の強震動予測は震度分布を目的としているため周期1秒以下の短周期地震動の推定に有効な統計的グリーン関数法を用いています。この方法は一般に実体波(S波)部分の評価しかできないので表面波の影響の大きいより長周期の地震動の推定には適していません。2003年十勝沖地震のときの石油タンクの被害や超高層・長大橋など巨大構造物の被害に影響の大きい長周期地震動を含む地震動の評価を行うには適切な小地震の記録をグリーン関数として用いる経験的グリーン関数法、あるいは長周期地震動を有限差分法などで数値的に評価するハイブリッド法などを用いる必要があります。

 

4.まとめと今後の展望

従来行われてきた強震動評価の多くは、過去の地震記録の統計的な解析で得られた最大加速度や最大速度の距離減衰式による経験的手法を用いて行われていました。断層モデルに基づく理論的評価が試みられた場合もありますが、一様な断層すべりを仮定してなされていたため、一般に短周期地震動が過小評価となり防災対策に活用できませんでした。「震源を特定した地震動予測地図」作成のために開発された「強震動予測レシピ」は、断層すべりの不均質性を考慮した特性化震源モデルを導入するこ


図3.東海・東南海・南海の3つの地震が発生した場合の想定震源域と予測された震度分布図(中央防災会議, 2003).


 

とにより広帯域の強震動評価を可能にしました。

 特性化震源モデルで重要なアスペリティ面積やそこでの応力降下量をあたえる微視的パラメータの関係式は、主として内陸地震の強震動記録を用いた震源インバージョン結果から導かれたもので、海溝型地震については個別の地震毎の検討しかなされておりません。また、特性化震源モデルは長周期成分と短周期成分が同じ領域(アスペリティ)から生成されることを前提としていますが、海溝型地震についてこのような前提条件が有効かどうかの検証が必要です。アスペリティ位置、破壊開始点、破壊の伝播模様は地震動の空間分布に大きな影響をもたらしますが、これらのパラメータの拘束条件に関する知見や情報は不足しております。信頼性ある強震動評価にはこれらの問題の調査研究が不可欠です。

情報不足を補うための現実的な解決策の1つとしては震源のモデル化で複数のシナリオをあたえてばらつきを考慮した強震動評価の導入が必要になります。多くのシナリオに対する強震動評価結果を平均とばらつきを考慮して整理することにより、確率論的方法と融合した地震動予測方法の開発が必要と考えられます。

震源近傍の強震記録が多く得られるようになった今日、内陸地震については、強震動予測レシピの根幹となる上記の経験的関係式の有効性の検討とその改良の努力が必要です。特に、震源域の深さによる応力降下量の変化や

 

 

地域的特性などのさらなる検討が必要とされます。

一方、海溝型地震に関しては記録数が十分ではないために、巨視的および微視的断層パラメータと地震モーメントに関する相似則は必ずしも一般的には与えられていないという重要な問題が残されています。また巨大地震に特有の長周期地震動を評価するため重要な地下構造の調査がまだ十分になされていないことも問題です。長周期地震動により被害を受ける可能性のある大型構造物は過去の地震の時には存在していなかったため、過去の被害経験だけでは防災対策が立てられません。巨大地震に対応した強震動の評価方法の確立や予測精度の向上と同時にそれに対応する防災対策の検討が急がれます。

 

参考文献

入倉孝次郎・三宅弘恵シナリオ地震の強震動予測, 地学雑誌,特集号「地震災害を考える−予測と対策」,Vol. 110No.6pp.849-8752001.

地震調査委員会:全国を概観した地震動予測地図報告書, 2005.

中央防災会議「東海に関する専門調査会」:第11回会合(2001.12.11), 内閣府中央防災会議ホームページ, 2001.

中央防災会議「東南海・南海地震等に関する専門調査会」:第14回会合(2003.9.17)資料1,内閣府中央防災会議ホームページ, 2003.

翠川 三郎・松岡 昌志:国土数値情報を利用した地震ハザードの総合的評価, 物理探査Vol.48, No.6, pp.519-529 , 1995.