前書き

 

 我が国における地震予知計画は,この分野の指導的研究者の共同研究集団であった地震予知計画研究グループが昭和37年に立案した,「地震予知−現状とその推進計画−」(通称,「ブループリント」)を受けて,測地学審議会が審議し昭和39年(1964)に建議した「地震予知研究計画の実施について」(第1次計画)に始まる。その後,昭和43年(1968)に「地震予知の推進に関する計画の実施について」(第2次計画)が建議され,昭和48年(1973)に「地震予知の推進に関する第3次計画の実施について」,昭和53年(1978)に「地震予知の推進に関する第4次計画の実施について」,昭和58年(1983)に「第5次地震予知計画の推進について」,昭和63年(1988)に「第6次地震予知計画の推進について」,平成5年(1993)に「第7次地震予知計画の推進について」が,測地学審議会により建議されてきた。第7次の計画は,平成6年度から10年度までの5年間にわたって実施されており,現在進行中である。

 第1次計画が開始されてから既に30有余年が経過したが,その間,日本列島及びその周辺では,少なからぬ数の被害地震が発生し,とりわけ,平成7年(1995)1月の兵庫県南部地震では,大正12年(1923)関東地震以来の甚大な災害を被るに至った。この地震を契機に,地震防災対策特別措置法が制定され,それに基づき総理府に地震調査研究推進本部が設置されるなど,地震予知計画に関わる状況も変化してきている。振り返って,これまでの地震予知計画により,研究を推進する上で基本となる観測網が順次整備され,地震現象の理解は格段に深まった。しかし,その一方で,地震の発生に至る過程の複雑さが次第に明らかになり,計画開始から30年以上経過した現時点で,当初目標とした「地震予知の実用化」は,いまだ達成されていない。

 このような現在の状況を考えると,また次期計画の策定を検討するためにも,第1次計画以来進められてきた地震予知計画を総点検する必要があるとの認識のもとに,これまでの地震予知計画で何が明らかになったのか,計画の目標はどの程度達成されているのかについて,総括的な自己評価を行い,それに基づき地震予知計画の今後取るべき方向を探ることとした。なお,測地学審議会は,兵庫県南部地震発生後,事態を重く受け止め,実施に移されたばかりの第7次計画について総点検し,平成7年(1995)4月20日に「第7次地震予知計画の見直しについて」を建議したところである。本報告書では,兵庫県南部地震発生後の最初の自己評価であることから,上記の認識に基づいて,第1次計画以来の地震予知計画全体について,総点検することとした。

 地震予知とは,「いつ(時期)」,「どこで(場所)」,「どの程度の大きさ(規模)」の地震が起こるかを,地震発生前に予測することである。現段階では,この3つの要素を同時に,業務として警報が出せるほどの確かさで予測することは,一般的に困難である。一方で,地震予知の基本となる地震発生場の理解は格段に進展し,上記3つの要素のそれぞれについての予測は,ある程度まで可能になってきた。こうした知見は,防災対応等の社会の要請に応えうる実用的応用へ展望をもたらしていると考えられる。ここで評価するに当たっては,3つの要素のそれぞれについて,地震予知計画が予測の確かさをどの程度高めてきたのかを検証した。

 まず,これまでの地震予知計画の実施状況及び成果を,第1次〜第3次計画,第4次〜第6次計画,第7次計画の3期に分けて取りまとめた(別紙A〜C)。それに基づいて,地震予知計画の推移・概要を,関連する社会の動きとともに概観した(T章)。

 次に,これまでの地震予知計画により,どのような成果が得られ,また,観測研究成果は社会にどのように役立てられているかについて評価を試みた(U章)。「地震予知の実用化」が達成されていない現状では,これまでの観測研究により地震予知がどのような段階にあるのかについて社会の正しい認識を得ることが,今後の地震災害軽減のための対策を考える上で重要である。このために,地震予知がどこまで進展し,現時点でどの段階にあるのかを学術的に検証した(V章)。最後に,これまでの地震予知計画に対する総括的評価を行い,それに基づき,今後の地震予知計画はどうあるべきか,展望を拓くことを試みた(W章)。

 具体的には,今後の地震予知計画では,地震予知の実現に向けて,地殻全体の応力・歪状態を常時把握して地震の発生予測につなげる総合プロジェクトを発足させ,その過程で,「いつ」,「どこで」,「どの程度の規模」の3要素のそれぞれの予測誤差を小さくすることによって地震災害の軽減に寄与することを目指すとしている。