13.古地震の研究

歴史地震研究とは文献史料にもとづいて,19世紀以前の歴史時代の地震の実像を明らかにすることである.地震史料の集積事業は,終戦直後の「大日本地震史料」(武者)の刊行のあと長い中断があったが,当研究所の宇佐美教授によって1970年代に再開された.当部門が受け継いだ『新収日本地震史料』の刊行は近年まで継続され,全21冊,16,812ページの大印刷物となった.これらの史料集を広くかつ有効に活用できるように,史料検索データベースの作成を試みた.検索キーとしたのは,巻数ページ,発生年月日,史料名,所蔵者,地震被害および有感地域,解題・書誌などの諸項目で,検索はインターネット上で可能である. 史料を集積する上で重視したものに日記中の有感地震記事がある.日記は歴史の時代に置かれた地震計の役目を果たし,有感地震数の消長によって地震活動度の変化を知ることができる. 改組以後5年間に,史料を用いて解明を進めた地震や津波を挙げると,明応地震(1498),安政東海地震(1854)とその翌日に起きた安政南海地震(1854)などの東海沖,南海沖の巨大地震,これらの巨大地震に先行する内陸地震,三陸に津波をもたらした地震,および津波に特徴のある地震である.この最後に挙げた例として,1741年寛保渡島大島地震津波,1792年の島原半島眉山の斜面崩壊による有明海津波,および1700年の北米カスケディア断層の地震による遠地津波がある.1700年の北米津波は,日本側の各所で古記録が見つかり,北米では地震と津波による枯れ木,樹木の年輪など多くの地質学的証拠が見つかって,日米の研究が相補って北米で日付の確定した最古の地震事例となった. 歴代の東海地震,南海地震は100年余の周期で起きているが,古文書の語る津波像を裏付け,さらに先史時代の東海地震の津波痕跡を検証するため,浜名湖底の堆積物のピストン・コアによる採取を行った.その結果明応地震(1498)によって浜名湖が淡水湖から塩水湖に変わったことが判明し,さらに歴史を遡る時代の津波痕跡が検出された