富士山の活動をさぐる

地球ダイナミクス部門 藤井敏嗣


1. はじめに

一昨年,2000 年11 月ころと昨年4 月から5 月にかけて,富士山の直下15 km ほどの深さで,深部低周波地震とよばれる,普通の地震に比べるとゆっくりとゆれる地震が観測されました.地震の規模はマグニチュード1.5 以下で,体に感じるようなものではありませんでしたが,富士山の近くで本格的な地震観測をはじめてからの20 年間では最も多い活動だったので,注目されました(図1).

 

 

1 富士山周辺の地震の震源分布(期間: 1999 1 月から2001 12 月,地震研究所による解析).山頂の北東2_4 km,深さは15 km を中心に密集しているM1.5 以下の地震は低周波地震で,富士山周辺で起こった地震の大部分を占める.震央を示した地図には現在富士山周辺に配置された地震観測点の位置も示してある(ERI :東京大学地震研究所,JMA :気象庁,HSRI :神奈川県温泉地学研究所,NIED :独立行政法人防災科学技術研究所).右下の図は富士山周辺の地震の月別発生回数・累積発生回数と発生深度の時間変化.2000 11 12 月と2001 4 5 月に急増したことが分かる.

 

 

この活動が一つのきっかけとなって,富士山では火山防災マップ(ハザードマップ)作成の動きが高まりました.富士山が活火山であることがあらためて認識されたといってよいかもしれません.富士山周辺では,ハザードマップを作ることに消極的な自治体が多かったのですが,2000 年の有珠山噴火の際にハザードマップが活用された結果,大事に至らなかったこともあって,今回の動きになったものでしょう.

火山の下で低周波地震があったからといって,直ちに噴火に結びつくわけではありませんし,地殻変動には何ら異常が見られませんからすぐに噴火活動につながるとは思えませんが,地下での何らかのマグマの活動を示唆するものとしていろいろな研究が始まっています.ここでは,地震研究所の計画を中心に紹介します.

 

2. 富士山の動きを調べる

低周波地震の活動が活発化したため富士山に研究者の目が集まったのは,火山の下でおこる低周波地震の活動が噴火と関連するケースがあるからなのです.有名な例は1991 年に20 世紀最大の噴火を起こした,フィリッピン,ピナツボ火山です.この火山では4 月に1 度マグマ水蒸気爆発を起こしましたが,その後はしばらくおとなしい状態が続いていました.低周波地震の群発が確認されたのは,5 月末ころで,この3 週間後の6 月15 日に激しいプリニアン噴火を起こし,火砕流が四方八方に流れました.ほかの火山でも低周波地震の活動が噴火につながった例があります.一方,低周波地震がおこったのに噴火につながらなかったケースもあります.噴火が終わったあとで低周波地震が観測されたケースもあります.このように,低周波地震が必ずしも噴火につながるとは限りませんが,地下でのマグマの動きと関連しているらしいことから,今富士山が注目されているのです.

今後富士山の活動がどのようになるのか,はっきりと確かめるためにはこの低周波地震がどのようなメカニズムで発生しているのか知る必要があります.このため,地震研究所では富士山の北東山麓でボーリングをおこなって,孔底に地震計を設置し,富士山の下で起こる深部低周波地震を詳しく調べようとしています.それぞれ水平距離で1.5 km ほど離れた3 ヶ所で孔を掘り,地震計を4 台立体的に配置します.このような地震計の配置を立体アレイと言いますが,低周波地震がどの方向で発生しているのか詳しく調べるのに適しています.また,深い孔底に計器を設置するので,ノイズの少ない記録が期待されます.2 本は100 m の深さですが,残りの1本は1000 mの深さまで掘り進める予定です.

それ以外にも富士山の動きを調べる研究が準備されています.その一つがGPS を利用した地殻変動の観測です.地震研究所でも,既設の地震観測点などに新たにGPS 観測器を設置し,地殻変動の観測を始めています.国土地理院などが設置している他のGPS 観測点のデータと組み合わせると富士山の山体でマグマの移動に伴う地殻変動が起き始めたとき,検知できることが期待されています.ただし,GPS による地殻変動量の計算にはある程度時間がかかるので,早い動きの地殻変動をリアルタイムで把握するのは困難なことがあります.このため,地殻変動を傾斜変化として測定する方法もとられます.この方法だと,マグマの貫入などにともなうわずかな地殻変動でもリアルタイムで検知できる可能性があります.写真1は富士山北斜面にある小室観測点とその壕への傾斜計設置作業の様子です.

 

 

写真1 上:北斜面の地震研究所小室観測点付近からみた富士山.左:小室観測点の全景,電源供給のための太陽電池,計測器を設置したマンホールなどがみえる.右:同観測点マンホール内で傾斜計調節の作業風景.

 

3. 富士山の地下構造を調べる

深部低周波地震がどのようにして起こるかを調べることは重要ですが,それだけでは十分ではありません.富士山で将来噴火が起こる際にはマグマが地下深部から移動して来るわけですが,この際に噴火に先立って,小さな人体で感じないような地震が浅い場所で起こるようになることが予想されます.このような小さな地震の発生場所の移動方向が分かると,マグマがどちらに向かって移動しているのか知ることができる場合があります.したがって,小さな地震の観測データから,その発生の場所を正確に決めることが重要です.このためには地震波が地下でどのように伝わるかについての構造が正確にわかっている必要があります.ところが,これまで富士山では長い間噴火が起こっていなかったこともあって,きちんと調べられたことが無く,富士山の地下の様子はまだよく分かっていません.このため,地下構造を詳しく調べる計画も立てられています.地下構造を調べる方法はいくつかありますが,その一つは火薬を爆発させるなどして人工的に地震を起こす方法です.人工的な地震を山体のあちこちにおいた地震計で観測して,地震の波の伝わり方から地下の構造を推定する方法です.このような調査で分かるのは地下数km ほどの構造ですが,地震の震源を正確に把握するためには大変重要な実験です.この時,できるだけたくさんの地震計を設置して調べることが望ましいのですが,富士山自体は大変急峻な山で,しかも日本の火山としては異常に大きな火山なので,大変な作業となることが予想されます.2003 年には全国の火山研究者が集まって,おおがかりな探査を行うことを計画しています.

もう一つの方法は,富士山から遠く離れた場所で起こる地震の波を利用する方法です.富士山の周辺にたくさんの地震計を設置しておいて,いろんな場所で起こる地震の波がさまざまな方向から伝わってくる様子を記録し,解析すると,地下の深い場所の構造も分かるようになります.この方法の問題点は,かなり長い期間観測を続ける必要があることです.遠くで起こる地震が,いつも期待する方向で,しかも頻繁に起こるとは限らないからです.少なくとも,数年程度は観測を続ける必要があるでしょう.それに,この方法で地下構造をはっきりさせるためにはできるだけ多くの地震計を設置することが望ましいのです.多ければ多いほど,精度の高い解析ができます.また,地震計をたくさん設置すると,データを回収するだけで大変な作業になってしまいます.平地と違って富士山のような山岳地帯では電話回線を利用してデータを伝送することができる場所も限られてしまいます.このため無線や人工衛星を利用して地震計からのデータを直接地震研究所まで伝送することが計画されています.

 

 

4. 富士山の噴火史を調べる

富士山の将来の噴火を考えるとき,富士山がこれまでどのような噴火をしてきたのかを正確に把握しておくことは重要です.富士山はこれまでに溶岩流を流し出したり,山頂や山腹から爆発的に火山灰を噴出し,遠くまで火山灰を何度もまき散らしました.山腹を火砕流が駈け下ったこともあります.山腹で花火のように噴石を噴き上げて,小高い丘を作ったこともありました.このような噴火様式の変化に何らかの規則性があるかもしれません.あるいは個々の噴火で活動したマグマの化学組成と噴火の様式や規模に関係が見られるかもしれません.このためには,富士山の噴火史を詳しく解読することが重要です.

富士山の火山としての発達史の一部はその地形からもうかがうことができます.富士山を山梨県側からみると山頂からふもとに向かうスロープはなだらかな曲線を描いていないことに気がつきます.例えば,写真2は山中湖から富士山を眺めたものですが,右側すなわち北西側に出っ張りがみられます.これは富士火山が成長を始める以前に活動していた小御岳火山の名残です.富士山はこの小御岳火山の南側にかぶさるようにしてできた火山です.同じ写真の左側,すなわち南東側のスロープに見られる出っ張りは富士山の最新の噴火,といっても300 年前ですが,1707 年の宝永の噴火で作られた出っ張りです.

 

写真2 富士山北東の山中湖畔からの富士山.右側に小御岳火山,左側に宝永火山によるスロープの出っ張りが見える.

 

富士山は約8 万年前に活動を開始したのですが,およそ1 万1 千年前に新しい火山の活動に移り変わったので,この時期を境に古富士火山と新富士火山とに分けられています.新富士火山の時期にも富士山はさまざまなタイプの噴火を起こしました.この新富士火山の活動は噴火中心が山頂であったか,それとも山腹での噴火もあったか,あるいは溶岩流を主体とする活動であったかそれとも爆発的で火山灰を多量に放出する噴火が主体であったかなどに基づいて,大まかには5 つのステージに分けられています(表1).

 

1 新富士火山の活動ステージ(宮地,1989,宮地・小山,2001 による)

 

これからすると,現在が第5 ステージにあるのかあるいはその次の新しいステージにあることになります.最後の噴火である宝永の噴火を富士火山の噴火史の中でどのように位置づけるかが,次の噴火を予測する上で重要な意味を持ってきますが,まだ定説はありません.

富士山の火山活動で歴史の舞台に登場するのは781 年の噴火からですが,多くの噴火についてはあまり詳しい記録は残っていません.最も詳しい記録があるのはこれまでで最後の噴火にあたる1707 年の宝永噴火で,その時には大量の火山灰が西方にまき散らされ,当時の江戸で数センチの降灰がありました.もし同じような噴火が現代に起こったとしたら,首都圏の機能はもちろん,日本の経済に及ぼす影響は計り知れないものになるでしょう.

次に詳しい記録があるのは864 年の貞観噴火です.この貞観噴火で青木ヶ原樹海の下に広がる,青木ヶ原溶岩流が流れ出しました.これ以外の噴火は約8 回知られていますが,ほとんど数行程度の記録しかなく,現在地表で見られる溶岩流との対比すら,はっきりしないものがたくさんあります.このように,富士山は日本の火山のうちでもその噴火記録が比較的よく分かっている火山ですが,それでもまだはっきりしないことがたくさんあるのです.しかし,古文書の記録があるのは最近の1200 年ほどに限られています.火山の寿命は多くの場合数十万年程度ですから,最近の1200 年程度ではその実体を判断するにはあまりに短すぎます.

歴史時代以前の噴火史を読み解くためには,過去の噴火で噴出した物質を調査する以外にありません.ところが,富士山はまだ比較的若い火山なので,浸食も進んでおらず,表面付近の比較的新しく作られた,火山灰や溶岩で覆われていて,古い時代の噴出物を調べるのは困難です.このため,トレンチ調査やはぎ取り調査などと呼ばれる手法をつかって,表面近くの土砂をとりのぞいて古い時代の噴出物を露出させる方法を用いることがあります.写真3はその1 例ですが,この斜面を削り取った部分で約5000 年前から2000 年前までの数千年間に降り積もった富士山の火山灰が見られます.

写真3 富士山北東斜面でのトレンチ調査の例.ここでは約5000 年前から2000 年前までの火山灰層の積み重なりが観測される.

 

このような手法は火山灰が降り積もっているような場合には強力ですが,溶岩が積み重なっていたり,溶岩と火山灰や土石流堆積物などが繰り返している場合には使いにくいのです.硬い溶岩を削り取ることは難しいからです.このような場合は,ボーリングといって,機械で孔を掘っていく方法が有効です.深い穴を掘ることができれば,火山体深くの古い溶岩も入手することができるからです.しかも,若い方から古い時代の噴出物に向かって順番に積み重なっている試料を手に入れることができます.マグマの組成が時間とともにどのように変化してきたかなどを調べるには最適の方法といえます.通常は高い櫓を建てて,櫓からおろした中空のパイプの先端に取り付けたドリルビットで掘削していきます(写真4).

写真4 富士山北東山腹でのボーリング調査.

 

掘り進んだ棒状の岩石はこのパイプを通して回収します(写真5).

写真5 ボーリング回収試料とボーリング用パイプ.

 

問題は費用が高いということと,硬い岩石に孔を開けるためには大量の冷却水が必要で,水の供給ができる場所でないと掘削ができないことです.したがって,富士山のどこでもボーリングができるというわけではありません.

前にのべた,低周波地震観測用の孔は,このような調査と兼用しています.計器を設置するための孔を掘る場合も,孔の中の岩石をそっくり回収して,地質・岩石調査の試料にします.現在掘削中の1000 m の孔の場合,少なくとも数万年前の地層までは到達する予想です.回収した試料の解析から,この間の噴火様式の変遷や,それに応じてマグマの化学組成などがどのように変化したかなどを解読する予定です.

 

5. おわりに

富士火山のように,長い間静穏期にあった火山が,活動を再開する際にどのような現象が起こるのかよく分かっていません.日本だけでなく世界中の火山でも同様です.長い静穏期にある火山は活動的ではないと思われて,きちんとした観測が前もって行われないからです.その点では富士山はこのような火山のテストフィールドになると言ってもよいでしょう.富士山が次に活動を開始するまできちんとした観測をおこなえば,火山学の進歩や噴火予知の高度化に大きな貢献が期待されます.なお,この小文で使用した写真は小山悦郎,金子隆之,吉本充宏の各氏の撮影によるものです.

 

 


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2002/04/15