ミッドウェイを訪ねて

地震予知推進センター 加藤 照之


 ミッドウェイ島は太平洋の中央,ハワイと南鳥島の中間に位置する周囲3kmの小さな環礁です.ミッドウェイといえば太平洋戦争で日米が雌雄を決する大海戦のあったことで知られています.もっとも,学生に「ミッドウェイって知ってる?」と聞いたところ「知らない」という答えが帰ってきたので,知っている人はある年代から上の人かもしれません.私が知っているのは小学生の頃出始めた「少年○○○○」といった漫画雑誌のおかげかもしれません.私はれっきとした戦後派ですが,子供の頃は「戦争ごっこ」をしたり,ノートにゼロ戦の絵を描いたりして遊んでいました.ですから,「ミッドウェイ」というのは「話に聞いた大海戦のあった島」ということになります.

 この島にGPS観測点を建設しようということになったのですが,もちろん直行便などありません.ハワイから20人乗りくらいの小型プロペラ機のチャーター便で約4時間の道のりです.現地時間で午後7時頃,暮れなずむミッドウェイ島に降り立ちます.飛行場を出て1台のマイクロバスに乗客が乗り込みます.自動車のライトを点灯したとき思わず車内から「オー」という声があがります.車のまわりは「鳥」だらけなのです.これが島に約30万羽が生息するという「名物」のコアホウドリ(LaysanAlbatross)です.明治の時代に日本人がこの鳥の羽毛をとるためにはじめて入植し,その後米国によって追い払われるまでには絶滅に瀕しました.

 ミッドウェイは戦後長い間米国海軍の基地になっていたので一般の人は立ち入ることができませんでした.それが冷戦の終結と共に米国自然保護局の管理下に入り,1日限定100名で入島を許可されるようになったのです.島はまさしく野生動物の天国,コアホウドリはじめハワイボウズアザラシ(Hawaiian Monk Seal)やグンカンチョウ(Great Frigatebird)など絶滅の危機にある動物も間近に見られるのです(写真1).私の仕事はこの島にGPS観測点を建設するための調査なのですが,仕事の合間の時間はたっぷりあるので「にわか愛鳥家」となって写真をとりまくることになりました(写真2).なにせ小さい島ですから乗り物は自転車かゴルフカートのレンタル,それがなくても徒歩で十分です.到着の翌日には自然保護局の人に島の中でのルール(例えばアザラシには30m以内には絶対に近づいてはいけない,など)をレクチャーされます.それから自然観察ツアーの島めぐりがあります.ここでいろいろな鳥や動物の話を聞かされます.同じ飛行機に乗ってきた人は20名たらずなので,このツアーだけでなく食事もいつも一緒ですからすぐに顔見知りになります.日本人は私とJALの機長さん一家の計6名でした.

 このJALの機長さんは一緒に来られた奥様のお父さんが戦争の時に海軍にいて多くの仲間が海戦で亡くなったのだそうです.島には慰霊碑はありませんが,米国によってミッドウェイ海戦の詳細図が碑として立てられています(写真3).この海戦で圧倒的優勢であった日本軍がなぜやぶれたのかについてはいろいろな説があります.暗号が事前に解読されていたとか,連戦連勝による気のゆるみとか,山本五十六大将が大和にのって出撃してしまったからとか,島と米艦隊の攻略という2兎を追ってしまったからとか,いろいろあるようです.99%勝つと思われた“いくさ”が,残りの1%によって“負け”になることもある,ということのようです.研究でも仕事でも,戦争と同じような側面があるでしょう.肝に銘じなければいけません.

 そんなことを考えながら,今までに出会ったこともないような美しい浜辺を散策していると,日本からたどり着いたとおぼしきゴミが少なからず見つかります.本当にがっかりです.いくら島をきれいにしても,遠くでゴミを流されてはたまったものではありません.大切なことは,日本は世界につながっている,ということです.我々の研究も世界につながっています.ゴミは困りますが,ここに建設される観測点は日本と世界をつなぐものになって欲しい.そんなことを考えながら,朝まだ暗いなか(鳥を邪魔しないように離陸時間が設定されているという)飛行機に乗り込みミッドウェイを後にしました.

写真1.ハワイボウズアザラシとコアホウドリ.

写真2.ミッドウェイにて.

写真3.米国によって建立されたミッドウェイ海戦の碑.


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1998/10/13