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地震研究所談話会 第837回 (2006年 3月)

大分県南部沿岸域の湖沼堆積物に記録された過去3500年間の巨大津波

松岡裕美(高知大学理学部)、岡村眞(高知大学理学部)、千田昇(大分大学教育福祉科学部)、島崎邦彦(東京大学地震研究所)

南海地震の履歴を明らかにするために、大分県佐伯市米水津、間越龍神池において過去の津波堆積物の調査を行った。

これまでの文献調査によってこの周辺地域は宝永、安政南海地震の津波が来襲し、多くの被害をうけたことが明らかにされている(千田ほか、2004)。16、17年度にバイブロコアリングを行い、コア試料を採取した。湖底の堆積物は主に灰色から褐色のシルトおよび粘土から構成されているが、細粒から中粒の砂からなる砂層を含む。砂層は1mm以下の薄いものから5-6cm程度の厚いものまで見られ、合計で約40枚、このうち特に顕著な厚い砂層は7枚認められた。薄い砂層は池内でほぼ均一に分布しているが、顕著な砂層は海側ほど厚い層を形成している。特に目立った堆積物の欠損等は、堆積物の観察においても年代測定の結果からも見られず、過去3500年間の記録が残されていると考えられる。

3500年間で40枚の砂層は、日向灘地震や遠地津波、あるいは台風などによるものも含まれる可能性がある。顕著な砂層は7枚であり、この沿岸域で大きなエネルギーを持つものは南海地震の津波に限られると考えられるので、特に大きな南海地震の痕跡であると考えられる。歴史記録上の9回の南海地震に対応する期間で、顕著な砂層は3枚しか見られないことから、特に大きな津波を起こした地震はこのうち3回であると推定できる。炭素14年代測定結果から、最も上位の顕著な砂層は宝永地震、2枚目は西暦1361年の正平地震、3枚目は歴史記録に残る最古の南海地震である西暦684年の天武地震の津波の痕跡であると考えられる。

宝永地震は、南海トラフの西端部も震源域となり大津波を発生させた地震であるとされているが、正平および天武地震は宝永地震と同様な地震であり、そのような地震が約500年間隔で発生していたことが示唆される。


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図1.(左)インデックスマップと龍神池のコアリング地点

図2.(右)コア写真、砂層の位置を示す柱状図および炭素14年代測定結果。YNZ04-23コアについては、上部が欠損していたので30cm下げて示した。年代範囲は1σで、西暦1950年を基準として何年前かを表わしている。

ニュースレター2006年4月号

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