(1)課題番号 :0117 史料地震学調査による断層モデルの推定
(2)実施機関名:東京大学地震研究所、京都大学理学部、静岡大学教育学部、群馬大学教育学部
(3)建議の項目:1.(1)
(4)課題名:
㈵.歴史上に起きたプレート内地震の研究
(a)1854年安政伊賀地震
(b)1847年弘化4年善光寺地震
(c)宮城県沖地震の史料調査
㈼.古代中世の記録の欠落に関する研究
(5)関連する建議の他の項目
(6)平成11年度の成果の概要
㈵.歴史上に起きたプレート内地震の研究
(a)1854年安政伊賀地震
安政伊賀地震(1854)は、海溝型の巨大地震である安政東海地震(1854)、および安政南海地震(1854)に約5カ月先行して起きた内陸地震である。地質学的検証から京都府・奈良県、三重県伊賀地方の県境に平行して走る木津川断層の活動によるものであることが判明している。従来の史料集に集められた古文書史料では、木津川断層直近の場所での史料が少なく、前震・本震・および一連の顕著余震の発生時刻、震央について十分な知識を得ることが出来なかった。しかし、今回の研究で木津川断層に沿った、城陽町、加茂町、笠置町、南山城村、奈良県月ヶ瀬村、上野市などの地元史料が発掘され、上記の点の解明が進んだ。平成12年度は、2万5千分の一の地図上の1地点、あるいは江戸時代の村、現在の小字(こあざ)ごとに震度、液状化、地変、家屋、人的被害等を判定し、詳細データベースを作成した。
安政伊賀地震の本震は安政元年6月15日(1854年7月9日)の午前2時頃に起きている。震度7の地点の分布や、大規模な地変の発生状況から、本震が上野市北方三田集落と東端とし、京都府南山城村大河原付近を通って、京都府笠置町付近を西端とする木津川断層のずれによるものであることが明瞭に裏付けられた。本震の2日前の13日の正午ごろ、および同日14時頃に顕著な前震活動があり、これによっても被害を生じた。この前震による被害の発生場所は、木津川断層の東半分であって、大河原、奈良県月ヶ瀬村石打、上野市で被害を生じた。最大余震は本震発生の約5時間後に起きている。最大余震は木津川断層の西側端部、またはその西側延長上の奈良市付近に発生したと推定される。従来の研究では、四日市付近に独立した断層運動があったのではないかという見解があった(たとえば大長、1982、藤田、1982)が、本研究の結果はこの見解に否定的である。
(b)1847年弘化4年善光寺地震
長野市立博物館、松代真田博物館、地すべり学会中部支部などのご協力によって、1847年の善光寺地震の史料調査、現地照合調査が組織的になされ、2000年9月に長野市で行われた「第17回歴史地震研究発表会」で、善光寺地震に関する8題の研究発表が行われた。その成果は「歴史地震・第16号」に5個の査読論文としてまとめられている。
各論文を通じて新たに解明された点は、
(1)長野盆地(善光寺平)平野部での集落での被害数から篠ノ井・善光寺・飯山に延びる線で被害が大きい。
(2)(1)の被害帯とは別に、現在の長野市街地の西側から小川村にいたる「虫倉山」の中腹に沿って点在する高原集落で加速度が特に大きく、より大規模な地すべりが生じており、この山の山体のなかに、震源を求めるべきである、
(2)の点の解明には、地震発生直後に描かれた崩壊地の数十枚の絵図を、1枚1枚現地に出向いて、その図の描かれた地点と、地すべりの規模を客観的に現代の地図上に展開する作業がすすめられ、善光寺地震に伴う地すべりを客観的な量としてとらえる、という作業が行われた。善光寺地震は内陸地震としては被害範囲が大きく、全体の震度被害分布を描くには本年だけの作業では完結していない。さらに、活断層の対応など平成13年に引き継がれるべき研究内容を含んでいる。
善光寺地震は約1千年の再帰性が指摘されているが、1847年善光寺地震の1周期まえの地震にあたるとされる841年(承和8年)信濃地震について、佐久地方の堆積物について地質学的な検証・考察がなされた。
(c)宮城県沖地震の史料調査
1978年におきた宮城県沖地震は、仙台平野から岩手県・福島盆地にまたがる地域に震度5の被害域を生じた地震であって、小津波伴うことを特徴とする。海溝型地震ではなく、宮城県金華山沖の浅い海域を震源とするプレート内地震である。これと類似する地震は、1861年、1897年(明治30年)、1936年(昭和11年)にも起きており、約40年弱の間隔で再帰的に起きていることがわかる。さらに江戸時代の事例の中にも1978年宮城県沖地震と類似する地震事例があるかどうか、あったとしたら、やはり同じ40年間隔の再帰性が検証できるかどうかが、文部科学省・地震調査研究推進本部地震調査委員会の主要テーマのひとつとなった。そこで、江戸時代、明治期の宮城県平野部に被害を生じた地震事例の古文書史料の見直し作業を行い、震度分布、津波来襲地点の分布図の作成を行った。その結果、1717年、1793年、1835年、1861年の江戸時代に起きた4度の地震は1978年宮城県沖地震に極めてよく似た震度分布、津波分布を示す事例であることが判明し、40年弱の周期性は、1793年の地震にまでさかのぼりうることが判明した。
㈼.古代・中世記録の欠落に関する研究
生島・小山(2000)によって、古代の地震記録の担い手の文献である「六国史」の原テキストについて、総字数の年代による片よりの調査が進められ、「日本書紀」の時代の記録に、いくつかの記録の欠落時層があることが解明された。また中世末期−近世初期の公的史料である、「当代記」について、時層による記録分布の偏りが調べられた。
(7) 発表文献、学会発表
生島佳代子、小山真人、2000,飛鳥〜平安時代の自然災害媒体としての六国史の解析(続報:自然現象の種類別分析)、第17回歴史地震研究発表会講演要旨集、1-4.
井上公夫(地すべり学会)、2000、地震砂防、歴史地震、16、1-10.
田中敏貴、小山真人、2000, 近世初期の自然災害記録媒体としての「当代記」の特性分析、歴史地震、16,156-162.
都司嘉宣、2000、善光寺地震(1847)の余震時系列と震度分布、第17回歴史地震研究発表会講演要旨集、84-85.
都司嘉宣、2001、1978年宮城県沖地震の再帰性について、地球惑星科学合同大会 2001 (発表予定).
土佐 圭・中西 一郎・荒島 千香子・北村健洋,1998,安政元年(1854)伊賀上野地震の断層運動の再検討、歴史地震、14、155-174.
中西一郎、2000、愛知県三河地方で発生した地震(715、1686、1861、1945)について、第17回歴史地震研究発表会講演要旨集、8-9.
中西 一郎・西山 昭仁・荒島 千香子・土佐 圭・北村 健洋、1999,安政元年(1854)伊賀上野地震に関する史料調査−京都府南部地域について−、歴史地震、15、125-131.
中西 一郎・土佐 圭・荒島 千香子・西山 昭仁,1999, 安政元年(1854)伊賀上野地震の断層運動の再検討(2)、歴史地震、15、138中村 操、1999, 安政伊賀上野の地震(1854/7/9)の液状化被害、歴史地震、15、117-124.
降旗浩樹(長野市博物館)、2000、善光寺地震の絵図型瓦版について、歴史地震16,11-23.
服部秀人ら(長野工専)、2000、善光寺地震(1847)におけるお寺の被害と地震動−本堂の被害および山崩れから、歴史地震、16,23-29.
原田和彦(松代真田宝物館)、松代半の災害復興、−善光寺地震を素材として−第17回歴史地震研究発表会講演要旨集、88-91.
望月巧一(地すべり学会)、2000、善光寺地震で発生した山崩れから推定される地震の地形変化への影響、歴史地震、16,30-37.
中村 操、2000、安政伊賀上野の地震震度分布と震源、歴史地震、16、146-156.
なお、2000年9月、長野市で「第17回・歴史地震研究会」を開催し、3日間にわたるシンポジウムと善光寺地震の地すべり地の巡検会を行った。
(8)全体計画の中の位置づけ
内陸活断層の活動事例の解明、海溝型巨大地震に先行する内陸地震の解明という意味を持っている。
(9)実施担当連絡者
氏名:都司嘉宣
電話:03-5841-5724
Fax:03-5689-7265
E-mail:tsuji@eri.u-tokyo.ac.jp