第6章 「地殻活動監視システム」研究計画
1.はじめに
監視観測の実施は大学以外の関係機関が主体となるが,大学は新たな手法の開発や観測の精密化等で,監視システムの高度化に貢献できる.また,地殻活動予測システム構築のためには,観測データの有効活用が不可欠であることから,データ流通のあり方についても検討し積極的に提言を行っている.
このような基本方針にのっとり,平成15年度までの5ヵ年で以下のような各項目を実施した.
2.地殻活動モニタリングシステムの高度化のための観測手法の開発
地殻活動モニタリングシステムの高度化のための観測研究の推進のために,以下の課題が実施された.
2.1 基盤的高感度地震観測データの流通システムに関する研究(東京大学地震研究所[課題番号:0132])
防災科学技術研究所において整備が進められている,基盤的高感度地震観測網(Hi-net)では,これまでに約700点の観測点が新設され,非常に高品質な短周期地震計観測データが収録されている.防災科学技術研究所ではフレームリレー網を用いた独自のデータ伝送網を構築し,すべてのHi-net観測点からリアルタイムで地震データを収集するとともに,気象庁の所轄管区にも転送している.このデータを大学においてもリアルタイムで利用できるようにすることは,地殻活動監視システムの高度化研究や,地殻活動予測システムの研究を推進する上できわめて重要である.しかしHi-netのデータは膨大であり,それを全国の大学に流通させることは容易ではない.
このため,平成11年度から12年度にかけて,大学,防災科技研,気象庁等の研究者が集まり,「高感度地震観測データのデータ流通の望ましい姿」について討議して提言を行った.それを受けて,平成12年度には関係機関の担当者による検討が進められ,図6.1に示すような3機関の相互データ交換により,全国の高感度地震観測データのリアルタイム流通システムが実現することになった.
1)高感度地震観測データのデータ流通システムの開発と運用
この合意を受けて防災科研,気象庁,大学のそれぞれでシステム開発を進め,平成13年度末より,図6.2に示すような,高感度地震観測データのデータ流通システムを運用開始した.このシステムは,地上系のデータ交換システムと,衛星系のデータ配信システムからなる.地上系のデータ交換システムでは,東京・大手町にあるHi-netの東サブセンターにTDX(Tokyo Data Exchange)というデータ交換用LANを置き,そこにそれぞれの機関が自分のデータを流し,相手のデータを入手する,というデータ交換の仕組みが実現されている(図6.3).TDX上のデータパケットは大学や気象庁で採用されているWINパケットであるため,防災科研のHi-netデータはこのWINパケットに変換されてTDXに投入される.またTDXから取得したデータは,Hi-netフォーマットに変換されて防災科研に送られる.一方,衛星系のデータ配信システムでは,TDXから入手したデータを,光ファイバ回線で東大地震研と群馬にある衛星中継局に転送して,中継局から通信衛星を介して全国の大学や研究機関にリアルタイムでデータ配信している.
図6.4は,衛星配信データの機関別の割合を,チャネル数で示したものである.3機関の観測点だけでなく,大学等がデータ交換している一部自治体の観測点のデータも流通されており,我が国の高感度地震観測データのほぼすべてが,全国どこでもリアルタイムで利用可能になっている.
このように,本システムの構築により,基盤的調査観測網を軸にして関係各機関のシステムが有機的に連携させることができた.また,各大学においては,Hi-netなどの観測データを活用しつつ,より目的を絞った研究観測を実施し,観測技術にも一層の磨きをかけるなどの研究観測が可能になった.これらは,地殻活動モニタリングシステムの高度化に資する大きな成果である.
2)衛星受信専用装置の開発
地震研究所では,卜部・植平(1998)の開発による衛星データ受信専用装置(図6.5)を,全国の大学等に貸し出して,衛星データ利用の普及を図っている.現在,全国で衛星データを受信しているサイトは,大学の送受信局24箇所,大学の受信専用局13箇所,その他の国立研究所等に9箇所が設置されている.ただ,残念ながら受信専用装置で使用している復調装置が生産中止となる為,本装置のこれ以上の普及は望めない.この反省から,東大地震研では,標準方式であるDVB(Digital
Video Broadcasting)規格を用いた新しい衛星データ配信システムの開発に着手した.DVB規格は欧州で広く採用されているデジタルビデオ放送の規格で,その受信装置は一般の民生品として我が国でも販売されている.これまでの受信装置に比べて安価で,かつ将来も安定的に利用可能である.卜部らは,関係各方面の協力を仰いで,このDVB規格を用いた衛星配信システムを実験的に構築し,全国の大学等と協力して,DVB衛星配信実験を行っている.
3)データの処理と公開
データの処理・蓄積と公開についても3機関による連携が進んだ.高感度地震波形データの処理については,気象庁において一元化震源処理が実施され,精密な震源情報等が,1〜2日後には,防災科研や大学等の関係機関に提供されるようになった.さらに,この一元化震源情報が,防災科研のデータセンターのホームページを通じて一般にも利用可能となった.
一方,波形データについても,Hinetや大学,気象庁の観測点のデータも含む全国の高感度地震計のほぼすべての波形データが,防災科研のデータセンターを通じて公開され,広く利用可能になった.
大学においては,以前より基幹となる大学の地域センター等において,リアルタイム処理システムの研究開発が進められ,各大学で処理された波形データがそれぞれの大学に設置された地震データ利用システムによって研究者に公開されている.ここで,各大学の地震データ利用システムは,地震研究所との共同研究により開発されたもので,すべての大学のシステムで共通した利用者インターフォースとなっている.また東大地震研究所では,世界で大地震が発生した時に,全国の大学や気象庁等で観測された微弱な波形データをリアルタイムで処理したJ-arrayデータベースを構築し,ホームページならびにCD-ROMによってデータ公開している.また,近年では,リアルタイム地震波形データを活用した,地震波動場のモニタリングシステムGRiD
MT(図6.6,鶴岡ほか2003私信)のように,リアルタイム波形データを利用した地殻応力場のモニタリング手法の研究開発と試験的な運用を行っている.
2.2 大学の地殻変動観測データのデータ流通システムに関する研究(北海道大学[課題番号:0315],京都大学防災研究所[課題番号:0211])
大学において長年続けられていた地殻変動連続観測データについては,そのデータ流通の検討が進められたが,各大学の観測装置が独自開発で,かつ,老朽化しているなど多くの問題があり,これまでの5ヵ年ではデータ流通の実現には至らなかった.
2.3 東海及びその周辺地域における地下水観測研究(東京大学大学院理学系研究科[課題番号:0702])
東京大学大学院理学系研究科附属地殻化学実験施設では現在新しい地球化学観測テレメータシステムの開発を行っている.本実験施設では,非揚水型で四重極質量分析計とラドン測定装置を用いる多成分の同時並行観測の方式を開発し,平成11年度に東海及びその周辺地域の既存の地下水観測点3地点5観測井に,非揚水型の地下水溶存ガス測定システムを導入した.
これまでの地下水観測研究は,帯水層から揚水した地下水の溶存イオン成分やガス成分の計測が主流で,この方法では水位観測と両立できないばかりか,帯水層を乱すことによって高感度測定に問題があった.また,溶存ラドンの成果ばかりが強調されており,ラドン変動のメカニズムを明らかにするためにも他のガス成分を同時に測定する必要が指摘されていた.そこで,5カ年計画では,循環型の地下水溶存ガス測定システムを開発し,東海などで行なっている既存の観測点に導入し,地震に関連する地殻内の化学変化を地下水に溶解するラドンだけでなく他のガス成分の変化からも検知することを目標とした.
この測定システムの特徴は,(1)揚水した地下水から溶存ガスのみを気体交換モジュールを用いて抽出し,その水は再び帯水層に戻す,(2)
高感度で多種のガス成分の分析を短い時間間隔で行うために,四重極質量分析計を使用する,(3)半導体検出器を使ったポータブルなラドン計測装置を使用する,点にある.さらに,各観測点で得られたデータを一元的に解析し,リアルタイムで公開できるデータ収集解析システムの構築も行なった.
試運転を重ねるにつれ,本システムの問題点が明らかになり,それらの解決に時間と手間を要した.主な問題点は,(1)地下水からガスを抽出するための気体交換モジュールの強度の問題,(2)抽出ガスの主成分である水蒸気の結露の問題,(3)揚水に伴う発泡により揚水が停止してしまう問題,(4)データ転送システムの不整合に伴う欠測の発生,などであるが,(1)揚水速度の調整ができるようにした,(2)気体交換モジュールの設置方法を工夫し,結露水を減圧系から取り除けるようにした,(3)
地上部の配管のジオメトリとポンプ位置を工夫した,(4)転送システムを再構築した,ことによって解決することができた.
新しいシステムでの成果は,次の2点である.(1)御前崎観測井において,メタンをはじめとして酸素や窒素などの地下水溶存ガスが,2週間にわたって潮汐応答を示した.(2)竜洋観測井において,溶存ガス成分のうち二酸化炭素に潮汐応答が観測された.これらは,地震前からの歪みの蓄積を反映する変化が地下水溶存ガス成分に出ることが期待される結果である.
図6.7は,2000年8月14日から8月29日までに観測された,御前崎100m井の地下水から抽出されたガスの時間変化を示す.縦軸は比較が容易になるように適当にシフトさせてある.地下水揚水速度はこの期間中1.3±0.4L/minであり,測定インターバルは1秒で,1分間の積算結果を連続的に記録した.ガス抽出は永柳工業の気体交換モジュールを使用し,抽出ライン内はおよそ30Paまで減圧している.測定対象のガスは質量数で4,5,15,18,28,32,36,40,44であり,データは質量数5のデータをベースラインとし,40Arで規格化して使用した.
もっとも特徴的なのはHe/40Ar比とCH4/40Ar比に明確な半日周期と一日周期が見られることである.これは周波数解析,BAYTAP-G解析から確認された.CH4は溶存ガスの第二主成分で17%もあり,大気中の濃度に比べ5桁以上も高い.つまり,CH4などの地殻内から供給されたと考えられるガスの濃度が,地殻の歪変化を反映して変動することを期待させるものである.もしそうならば,地震前にはガス濃度の大きな変動が期待できることになる.
その他のガスには明確な半日周期変動成分は測定誤差と同等なレベルでしか認められず,一日周期が卓越していた.N2の一日周期の位相はCH4とほぼ同期しているが,CO2とO2の一日周期の位相はCH4とN2に対して180度ずれていることがわかった.
先に述べたCH4の変動も含め,これらの変動が生物活動に関係したものであるならば,生命活動に関係ないN2には変化が現れないであろうし,CO2とO2は逆位相になると考えられる.また,気体交換モジュールの抽出効率は温度によって変動するが,御前崎100m井の場合水温はおよそ20度でほとんど変化しないと考えられ,効率の変化ではガス濃度の変動は説明ができない.つまりこれらの変動は,地殻の歪変化とそれに関係した地下水のダイナミクスによっておきるものであると考えるのが自然である.
このように,地下水溶存ガスが地殻の変化を反映して変動する可能性が示されたことの意義はおおきく,本観測システムが地球化学的な見地から地震予知に貢献できることが示された.
3.おわりに
この5ヵ年の間に,衛星テレメータシステムを活用した全国の高感度地震観測データの流通システムが構築され,全国の大学等の研究機関で, Hi-netデータなどの高感度地震観測データがリアルタイムで利用可能になった.我が国の地震波形データ流通インフラの整備は,今後の地殻活動モニタリングシステムの高度化に大きく資するものである.
衛星受信装置の普及は,全国どこでもリアルタイム処理・解析を可能にし,今後,大学等の研究機関において,震源や発信機構などの実時間処理システムの開発,種々の帯域での低周波地震や低周波微動の検知システムの開発など,このリアルタイムデータを活用した処理システムや監視システムの高度化の研究が進展するものと期待される.
また,一方で,GPS基盤観測網GEONETのGPSデータの精密解析による歪時空間変化の準リアルタイムモニタリングシステムの開発などの地殻変動のモニタリング高度化研究の進展,特定地域における,地下水位・水温および地下水中の化学物質の変化のモニタリングシステムの開発などの地球化学的な観測データのモニタリング高度化研究の進展などが期待される.
参考文献
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