(1)課題番号 0123
(2)実施機関名 東京大学地震研究所、北海道大学、高知大学
(3) 課題名
先史・歴史津波の研究
(4)本課題の5カ年計画の概要とその成果
(4−1) 「地震予知のための新たな観測研究計画の推進について」の項目:
(1) エ.長期的な地震発生確率の推定
(4−2) 関連する「建議」の項目 (建議のカタカナの項目まで、複数可):(1)ウ
(4−3) 5ヵ年計画全体の目標
歴史時代から先史時代にわたる東海沖・南海沖巨大地震、相模トラフ沿いの震源に生じたと見られる元禄地震(1703)、あるいは東北・北海道周辺海域に生じた海溝型地震による津波について、史料地震研究、および地質学的な痕跡調査研究によって検証し、これらの巨大地震の発生の数千年に渡る発生のありさまを解明する。ことに、21世紀前半期にも発生が確実視されている東海・南海地震については、江戸時代に起きた宝永地震(1707)、安政東海地震・南海地震(1854)が、歴史史料が質量とも豊富に史料が残っており、これらの歴史地震津波の振る舞いを研究することにより、来るべき東海・南海地震の予知事業、津波対策事業、防災事業に資する。
(4−4) 5カ年計画の実施状況の概要と主要な成果:
a)史料に基づく歴史津波調査
今時の研究期間の5カ年の内に、文字で書かれた文献、すなわち史料による津波研究としては、㈰ 歴史上の南海地震による津波の研究、㈪ 南関東の巨大地震であった元禄地震(1703)による津波の研究、㈫ 宮城県沖地震系列に属する寛政5年(1793)三陸沖地震津波の研究、および、㈬ 寛保元年(1741)北海道渡島大島地震津波の研究、の4項目である。以下、これら各項目について研究成果を述べる。
㈰ 歴代の南海地震の研究成果
歴代の南海地震に先行して、30〜40年ほど前から近畿地方の中部で内陸型の地震の活動が活発化し始め、南海地震を迎えたあとは10年ほど後まで広義の余震の頻発する時期を経て、そのあとは数十年にわたって近畿地方でほとんど被害地震が起きない休止期を迎えて、これで一サイクルとなっていることが解明された。
1596年慶長伏見地震の震度6の被害域が神戸(兵庫と須磨)、淡路島、讃岐一宮(香川県)、和歌山市にまで広がっており、1995年阪神淡路震災のそれを完全に包み込んでいたことが判明した。慶長伏見桃山地震(1596)が慶長南海地震(1605)に先行した近畿地方の内陸地震と見られるが、同様に1995年阪神淡路震災もまた、次の南海地震に先行する近畿地方内部に起きた内陸地震活動の1つであると見なすことができる。
南海地震はしばしば東海地震とペアをなして引き続いて起きる傾向があることが知られているが、昭和19年の東南海地震と昭和21年南海地震のペア、安政東海(1854年12月23日)、南海地震(1854年12月24日)のペアなどの例から、つねに東海地震のほうが先に起きると考えられることが多かった。しかし、明応東海地震(1498年9月20日)に対する明応南海地震は、中国・上海の津波記録から同年7月9日に起きていたことが明らかになった。すなわち、この明応地震のペアでは南海地震の方が東海地震より73日先行して起きていたのである。この例の発見によって、必ずしもいつも東海地震のほうが南海地震より先に起きるとはいえないことがわかった。
㈪ 元禄地震(1703)の津波の研究
大正関東震災と多くの共通点が指摘されている元禄地震(1703)では、関東地方だけではなく、遠く東海地方、紀伊半島、四国の高知まで津波の歴史記録が見いだされている。また九十九里海岸では、約2000人にも及ぶ津波による死者が記録されている。これを説明する津波の断層モデルが考察された。その結果、元禄地震では大正関東震災のような、相模湾北岸に横たわる断層に加えて、房総沖に張り出した2枚の断層を想定しなければならないことが示された。
㈫ 宮城県東方沖の海域では、1978年の宮城県沖地震に類似した一連の地震が起きていることは、前項122番の研究成果などによって知られるようになってきた。このような宮城県沖地震には小津波が伴っていることが多いが、寛政5年(1793)の宮城県沖地震には比較的大きな津波が伴っていた。この寛政宮城県沖地震の津波の浸水高さの分布を、古文書の記録のある現地に出かけて地名調査をし、津波の浸水高さを標定した。
そうして得られた、この津波の浸水高さ分布を説明しうる地震断層モデルについて考察した。その結果寛政宮城県沖津波は、1978年の宮城県沖地震の震源だけでは説明ができず、これに加えて日本海溝に平行して南北に延びるもう1枚の断層すべり面があったことが明らかとなった。
㈬ 寛保元年(1741)渡島大島の噴火に伴う、北海道南西部、江差・松前地方の大津波の沿岸諸地域での被害を詳細に調査した。またこの津波発生日前後の期日の、津軽藩(弘前市
)をはじめ東北各地での有感地震の変化を調査した。その結果、この津波では、乙部海岸や江差地方、上ノ国町石崎等で標高20mの高さを超えていたことがわかった。この津波の発生時には松前・江差・津軽藩各地では地震は感じられていない。また余震活動に相当する記録も各地で書かれていた日記中にも全く現れない。したがって、この津波は地震による地殻変動によって起きたのではなく、渡島大島という火山の斜面崩壊によるものではないかと見られるようになった。
b) 沿岸潟湖の湖底堆積物、海岸堆積物による先史・歴史時代の津波の痕跡調査
海岸線に近い場所にある潟湖では、普段は周囲から運ばれる泥は静かに堆積しているが、外洋から海溝型地震による津波が侵入するたびに、外浜の砂が湖内に運び込まれて薄い砂の層を形成するような潟湖がある。こういう潟湖の湖底の堆積層の垂直サンプルをピストンコアで採取すれば、その湖を襲った過去の津波の歴史が明らかとなる。
平成10,11年には浜名湖湖口付近の、平成12年には尾鷲市大池で、また平成13年度には紀伊長島町諏訪池で、それぞれ湖底堆積層のピストンコアが採取された。また、平成14年には高知県須崎市の糺ケ池(ただすがいけ)、および桐間池の調査が行われた。
尾鷲市大池件の湖底堆積物には、BC5〜6世紀のものを最古の例として、合計10層の砂層が見つかった。上から3番目の砂層のC14年代は、7世紀の年代を示しており、ほぼ「日本書紀」に記された、白鳳南海地震(684)とペアをなす東海地震による津波と判定される。上から2番目目の砂層は11世紀の年代を示しており、平安時代の1096年嘉保東海地震によるものと考えられる。一番上の砂層は鎌倉時代の津波である。下の7層がわれわれが今まで知らなかった先史時代の東海地震の津波痕跡である。
北海道十勝・釧路地方の海岸の崖の上や、海岸背後の砂丘の堆積物の調査から北海道で起きた過去の津波の有様が解明された。津波によって海岸の崖の上面に形成された堆積物の分析から北海道では約400年ぐらいの間隔で巨大津波に襲われていたことが判明した。
c)研究期間中に起きた顕著な海溝型津波の研究
1998年にパプアニューギニア国北岸Aitape市のSissano潟湖沖合海域で起きた海溝型地震によって津波を生じおよそ2000人の住民が津波で死亡した。我が国の事例ではないが、海溝型地震による津波発生の事例として見逃せぬものであった。本研究の5年の間に前後6度同国を訪れ、地震計機材を現地に持ち込んでの余震観測、被災住民への聞き取り調査、津波浸水区域で新たに生じた地質痕跡、津波発生のメカニズムについて多くの知見を得た。また、海洋科学技術センターの「しんかい2000」などの潜水艇に搭乗して海底探査を実施した。地震予知計画として当初から立案した研究活動ではないが、本項目の研究と密接な活計を有するのでここに付記しておく。
d)日中韓歴史地震共同研究
2003年10月に、韓国気象庁がソウル大、李基和教授を議長として、韓国済州島西帰浦市で、日中韓3カ国の歴史地震共同研究の国際会議が行われた。この種の会議が持たれるのは初めての試みである。会議は3日間、合計約30件の研究発表が行われ、宝永南海地震(1707)の津波が、韓国済州島や中国上海ででも記録されていたことや、元禄地震(1703)、宝永東海南海地震(1707)の海溝型巨大地震が日本で連続して起きた時期に先立って、朝鮮半島でも17世紀中期から末期にかけて被害地震が頻発した時期があったとの報告があり、李朝粛宗七年(1681)年韓国日本海側の江原道で起きた津波を伴った地震はその一つであり、この地震は韓半島で起きた歴史上最大級の地震であったと説明された。地震活動の東アジア全体で活発な時期を論ずるには日中韓の共同研究体制の構築が重要であることが3つの参加国の参加者たちに認識された。2004年12月には中国福建省で同様の会議が開催されることが計画されほぼ確定している。
(4−5) 5ケ年で得られた成果の地震予知研究における位置づけ
a)の㈰の南海地震に先行する近畿地方の一群の内陸地震の先行性は、来るべき南海地震・東海地震の時期的な接近性を判断することができる。そのさい、ペアで起きている東海地震、南海地震のいずれが先に起きるかについては、これまで漠然と東海地震がいつも先行して起きると思われていたが、そうとは限らないことがわかった。これも南海地震の発生時期の予測に重要な示唆を与えるであろう。㈪の元禄地震(1703)の研究の結果、元禄地震の震源域は大正関東震災より沖に張り出していたことが明らかとなった。元禄地震は地質学的に6000年に4回の事例と見られ、差し迫ってわれわれの時代に起きる可能性は少ないが、元禄地震の先行前兆の出現範囲に関して、知識が増えたことになるであろう。宮城県沖地震が約40年前後の繰り返し周期で起きていることは、122番の研究で明らかとなってきたが、寛政5年(1793)の事例はそれら一連の宮城県沖地震の中でも最大級のものであって、1978年の典型的な宮城県沖地震による金華山近傍の断層すべりに加えて、日本海溝に沿って南北に広がった断層面のすべりまで誘発されたものと見られる。次回の宮城県沖地震の発生がそろそろ注意されるべき時期にさしかかってくるが、次回の宮城県沖地震の一番大きな可能性として寛政5年(1793)の規模の大きな宮城県沖地震も起きる可能性を視野に入れておかなくてはなるまい。
b)の湖底堆積物、崖上堆積物中の津波堆積層の研究によって、紀元前5〜6世紀にまでさかのぼる10層もの東海地震による津波痕跡や、400年周期の北海道海岸を襲う大津波の姿が明らかとなってきた。いままで史料地震研究では限られていた東海地震・南海地震、あるいは北海道・三陸地方を襲う大きな津波の時間発生頻度がより長い時間にわたる基礎データを獲得したことにより、将来起きるであろう東海地震、南海地震、あるいは三陸北海道地方を襲う大津波の再帰性に対する判断がより正確なものとなろう。
海溝型巨大地震の再帰性の研究はこれまでともすると、日本列島内の資料のみから判断される傾向があった。しかし、プレートの沈み込みに伴う海溝型地震の法則性に関する予知研究は、フィリピン、インドネシア、パプアニューギニアなどわが国と同様に列島弧からなる近隣の外国研究者と共同のテーマとして行っていかなければならないのは当然のことである。c)のパプアニューギニアの事例研究と、d)の日中韓共同歴史地震研究は、津波研究を通じて地震予知研究に資する上で、当然行うべき研究活動であって、始めるのがむしろ遅きに失したと言い得るであろう。
(4−6) 当初目標に対する到達度と今後の展望
この5年間では、東海・近畿・四国地方の史料収集とそれらの分析に力をそそいだ。しかし、東海地震・南海地震による津波の被災範囲は伊勢湾内部、大阪湾内部、九州地方にも及んでいた。これらの地方での史料研究はまだ手がけられていない。また、日本海におきた天保山形県沖地震津波など地震予知・防災上の観点からも研究を進めなくてはならない多くの津波事例の研究には手をつけることができなかった。
潟湖の湖底堆積物中に津波痕跡を見出す研究はこの5年間には浜名湖、尾鷲市大池、紀伊長島町諏訪池、高知県糺ケ池、桐間池のピストンコア採取を行った。その結果、歴史時代の東海地震、南海地震の痕跡のほかに、われわれが知らなかった、先史時代の東海地震、南海地震の痕跡がしだいに見つかってきた。尾鷲市大池ではBC5〜6世紀のものを最古の例として合計10回の東海地震の津波の痕跡を検出した。大池は海とは標高約5mの峠で隔てられている。当然この場所で5m以下の津波しか起こさなかった東海地震は痕跡として残らなかった。昭和19年東海地震の津波の痕跡は大池には残らないのである。この海と湖を隔てる峠の標高の高い湖ほど大きな東海地震の痕跡しか残さないはずである。峠の低い湖では、小さな東海地震まで痕跡が残るであろうが、そこへ非常に大きな津波が着たらその津波によって、せっかくそれまで歴史を刻んできた湖底堆積層が吹き飛んでしまうであろう。湖底堆積層によって先史時代に至る津波の全体像を解明するには、複数の潟湖によるデータを継ぎ合わせるジグソーパズルのような過程が必要なのである。紀伊半島海岸には、まだ5、6箇所、尾鷲市大池と同じような潟湖がある。湖底堆積物による津波研究はまだ端緒についたばかりである、というのが正しい判断であろう。
(4−7)共同研究の有無
過去の津波の研究は、全体として北海道大学理学部、および高知大学理学部との共同で行っている。
北海道海岸の研究成果は北海道大学理学部との、本州各地の湖底堆積物のピストンコア採取による研究は高知大学理学部との共同研究成果である。
韓国ソウル大、中国国家地震局、パプアニューギニア大学Hue Davis教授とも共同研究を行った。パプアニューギニアの海底探査には、海洋科学技術センターとの共同研究となった。
(5)この研究によって得られた成果を公表したリスト
(5−1)過去5年間に発表された主要論文
都司嘉宣、1999、「平家物語」および「方丈記」に現れた地震津波の記載、建徳雑誌、114,
1446、46-49.
都司嘉宣、1999、南海地震とそれに伴う津波、月刊地球、号外24、36-49、1999.
西村裕一、宮地直道、吉田真理夫、2000、北海道北部、日本海沿岸部における津波堆積
物調査、歴史地震、15、225-231.
平川一臣、中村有吾、原口 強、2000、北海道十勝沿岸地域における巨大地震と再来間隔
−テフラと地形による検討・評価−、月刊地球号外28, 154-161.
村上嘉譲・都司嘉宣、2002、津波記録を考慮した元禄関東地震の地震断層モデル、
月刊海洋、号外28, 161-175.
岡村 眞、松岡裕美、佃 栄吉、都司嘉宣、2000,沿岸湖沼堆積物による過去一万年間の
地殻変動と歴史津波モニタリング、月刊地球、号外28、162-168.
都司嘉宣、西畑 剛、佐藤貴史、佐藤一敏、2002、寛保元年(1741)渡島大島噴火津波に
よる北海道沿岸での浸水高さ、月刊海洋、号外34, 15-44.
村上嘉謙、都司嘉宣、2002,津波記録を考慮した元禄関東地震(1703年12月31日)の地
震断層モデル、月刊海洋、号外28、15-44.2002.
都司嘉宣、岡村 眞、松岡裕美、後藤智子、韓世燮、2002,三重県尾鷲市大池、および
紀伊長島町諏訪池の湖底堆積層中の歴史・先史津波痕跡について、月刊地球、
24, 10, 743-747.
都司嘉宣、2000、志摩国国崎(鳥羽市)の津波被災の歴史、歴史地震、15,65-71.
(5−2)平成15年度の成果
Tsuji, Y., 2003, Studies of the Major Nankai Earthquakes
by using historical documents, death
registrations in temples, and geological
traces, Proc. 3rd International Earthq. Workshop,
Study on
Historical Earthquakes for evaluating Seismic Hazards,
Hurukawa., N., Y.Tsuji, and B.Waluyo, 2003, The 1998
Papua New Guinea Earthquake and its fault
plane estimated
from relocated Aftershocks, Pure Appl. Geophys., 160, 1829-1841.
都司嘉宣、2003,慶長16年(1611)三陸津波の特異性、月刊地球、25,5,374-381.
都司嘉宣、2003、元禄地震300年、地震ジャーナル,36,1-7.
行谷祐一、都司嘉宣、2004、寛政5年(1793)宮城県沖に発生した地震の詳細分布と
津波の状況、歴史地震、19、(投稿中).
都司嘉宣、2004、元禄地震(1703)とその津波による千葉県内各集落での詳細被害分布、
歴史地震、19、(投稿中).
都司嘉宣、2003, 正平南海地震(1361)の津波に襲われた土佐国香美郡田村下庄の正興寺
の所在について、日本地震学会講演予稿集、2003年度秋、C026.
(6) この課題の実施担当連絡者
氏名:都司嘉宣、電話:03-5841-5724、FAX:03-5689-7265、
e-mail:tsuji@eri.u-tokyo.ac.jp