(1)課題番号:1501
(2)実施機関名:大阪大学大学院理学研究科
(3)課題名:地殻流体の実体の解明
(4)本課題の5ヵ年計画の概要とその成果
(4-1)「地震予知のための新たな観測研究計画の推進について」(以下、建議)の項目:
III. 1.
(3) 直前過程における地殻活動
(4-2) 関連する「建議」の項目:III. 1. (3)ウ,1. (1) ウ,1. (2) ウ,エ
(4-3) 5カ年計画全体の目標:
島弧の変形過程や大地震の発生機構を理解するためには,日本列島とその周辺の地殻・最上部マントルにおける地殻流体の実体と,その空間分布および時間変化を捉え,これらの現象に対する地殻流体の役割を解明することが重要である.近年,地震観測においては,地震波速度構造,特にS波速度構造の解明が進み,上記の解明のための基礎となるデータがそろい始めた.観測・実験・理論等を総合して,地殻流体の実体に迫る.
(4-4) 5ヶ年計画の実施状況の概要と主要な成果:
本研究では,高圧下で密封された岩石中のH2O流体分布と弾性波速度について新たな知見が得られた.鉱物に比べ流体の弾性率は小さく,その存在形態は岩石全体の物性に重大な影響を及ぼす.そこで,弾性波速度の測定値から流体分布を見積もることが可能である.
1 GPaで温度の関数として測定された蛇紋岩のP波速度(Vp)とS波速度(Vs)は,蛇紋石やブルース石の脱水反応に対応する温度で著しく減少する(図1).流体を含む系の物性はVs-Vp/Vsダイヤグラム上で特徴的な振る舞いを示す.蛇紋石とブルース石の高温高圧相平衡関係と速度データとの対比から,Vs-Vp/Vsダイヤグラムにより含水試料の脱水過程と平衡状態が議論可能である.出発物質の蛇紋岩(愛媛県東赤石山産)は蛇紋石,ブルース石,カンラン石より成り,1 GPa,900℃で脱水反応完結後の固相は,カンラン石と輝石より成る.つまり高温高圧下で密封された蛇紋岩試料は,脱水完結後(1 GPa,900℃),カンラン石-輝石-H2O系となる.興味深いことに,脱水後の蛇紋岩の弾性波速度は,カンラン石-輝石-H2O系の示す弾性波速度と整合的である(図2).低含水量ではディスク状のH2O分布により,高含水量ではチューブ状のH2O分布により実験室の測定データが再現された.この結果は高温高圧平衡実験により認められている上部マントル岩石の流体分布と一致する.よって本結果は,流体を含む地球内部構成物質の物性が,構成鉱物とH2Oの物性から見積もれることを示しており,その意義は大きい.すなわち,上部地殻,下部地殻,上部マントルのそれぞれの物性が,例えば,石英-長石-H2O系,輝石-角閃石-H2O系,カンラン石-輝石-H2O系の物性から見積もれることを示している.あるいはそれぞれの物性が花崗岩-H2O系,ハンレイ岩-H2O系,カンラン岩-H2O系の物性から見積もれるといってもよい.これらの研究成果をふまえ,地球内部低速度層の原因としてのH2O流体の存在について検討を加えることが可能である.
日本列島の場合,地殻・上部マントル低速度層の原因としてH2Oの存在あるいは部分溶融の存在が考えられる.H2Oや代表的なメルトおよび鉱物の弾性波速度は高温高圧下で測定されている.H2Oを含む上部地殻,下部地殻,上部マントルの弾性波速度について,それぞれ上述の岩石-H2O系の物性からの見積もりを試みる.また部分溶融(メルト)を含む系についても同様に,岩石-メルト系の物性から見積もれる.メルトの体積弾性率はH2Oのそれに比べほぼ一桁高いため,今回の岩石-流体系の観点から,岩石-メルト系のVp/Vs値は高くなり,岩石-H2O系のVp/Vs値は低くなる.例えば東北日本弧の詳細な3次元速度構造では,一般に,上部マントル低速度層でVp/Vs値は高く,上部地殻低速度層でVp/Vs値は低い.よって,上部マントル低速度層はメルトの存在により,一方,上部地殻低速度層はほぼH2O流体により引き起こされている.上部地殻について,花崗岩-H2O系に関する見積もりから,低速度層に数%までのH2Oの存在が考えられる.火山下の下部地殻と上部マントルについては,それぞれハンレイ岩-メルト系とカンラン岩-メルト系に関する見積もりから,顕著な低速度層に数%までの部分溶融の存在が考えられる.Vp・Vsの両観測データから,H2O量または部分溶融量を区別して見積もることが可能である.
筆者らはまた,高温高圧下で精度の高い物性測定を行うため,内径60 mm外径500 mm高さ200 mmの大容量シリンダーを新たに設計した(図3).これほど大型のシリンダーを用いる物性測定は世界に類を見ない.特徴として,外径20 mm長さ20 mmを超える大型試料について精密な物性測定が行えること(図4),試料部の静水圧性を高め,温度勾配を最小限におさえられること,地球内部に対応した高温が安定に発生できることがあげられる.これらのことは精密物性測定に欠かせないことであるが,ダイヤモンドアンビルやキュービックアンビルによる物性測定では決して解決することができなかったものである.物性量としては,地球内部構造を解明する上で重要な弾性波速度と減衰係数(Q値)を測定する.
この物性測定の重要な特徴は,透過波と反射波の両者を観察し,2つの波のトラベルタイムの差とスペクトル比をとることにより,試料のみに固有の(intrinsicな)速度とQ値を決定することにある.1000℃を超える高温では振動子と試料の間に適当な音波媒体(バッファーロッド)を用いる必要がある(図4).試料部が高温のときバッファーロッドには大きな温度勾配が生じ,その物性を取り除いた試料のみに固有の物性を決定しなければならない.岩石や鉱物試料の測定では,バッファーロッドとして音響インピーダンスのかなり高いものを用いれば,透過波と反射波の両者を十分な精度で測定できる.高インピーダンスであり高温高圧下で使用できるバッファーロッドとしてイリジウムや白金がある.透過波と反射波を観察することにより,温度勾配のため速度やQ値のわからないバッファーロッドの効果は相殺され,試料のみの物性が測定可能である.
本研究ではさらに,スペクトル比を取る手法により縦波のQ値を求めた.初期の試料として用いられた石英ガラスについて,1 GPaの圧力で昇温と共に急激なQ値の減少が認められ,1100℃でQ=72,1185℃でQ=37であった(図5).また角閃岩についてはソリダスを超える温度まで測定がなされ,部分溶融による縦波速度の急激な低下が認められた.試料内での減衰のため高温側で反射波の振幅が顕著に小さくなっている.角閃岩のソリダス近傍でQ値は低く(Q=20),10%を超える部分溶融の発生でQ値は6.5と小さい.これらの物質について1
GPaでこのような高温でQ値を測定した例はなく,本結果は先駆的なものである.Q値は温度や流体量と共に急激に変化し,また高温における岩石・鉱物の塑性(流動性)とも関連し,弾性波速度と並んで非常に重要な基礎的物性量である.
今回の角閃岩のソリダス周辺での低速度・低Q値は,日本列島の火山フロントから背弧側の下部地殻で認められる顕著な低速度・低Q値と調和的であり,火山下の下部地殻に部分溶融の存在が示唆される.
地球内部における流体の挙動の基礎的な物理過程やメカニズムを探り,流体と鉱物の相互作用を温度・圧力・含水量の関数として系統的に研究するために,均質な多数の鉱物結晶をそろえる必要がある.そのような鉱物は均質かつ高品質の大型鉱物結晶から多数切り出すことができる.石英であれば,天然のもので大型高品質のものが手に入り,石英-H2O系について系統だった物性測定が行える.しかしながら天然のカンラン石は小粒であり,結晶内部に欠陥や組成変化が認められる.そこで本研究ではカンラン石-H2O系の系統的な物性測定を可能とするため,大型カンラン石単結晶および大型フォルステライト単結晶の育成も行った.沈み込み帯における水の挙動と地震発生を,沈み込むスラブとマントルウェッジから定量的に議論するために,大型マントル鉱物の合成は欠かせない.
(4-5)5ヶ年で得られた成果の地震予知研究における位置づけ:
本研究成果は地震予知研究にとって基礎となる大変重要なデータを提供している.近年,地震の発生に流体の関与が指摘され,兵庫県南部地震の例を上げるまでもなく,規模の大きな地震の前に,温泉ガスや地下水等の異常が認められ,微小地震の活発化や群発地震にも流体の関与が指摘されている.本研究により求められた流体分布を,震源分布,活断層分布,地殻歪みや地殻変動の諸量の空間分布と比較検討し,地震発生に及ぼす流体の効果を定量的に議論することができる.地震活動が期待される地域では,地球内部の状態が常時観測されるようになった.そこで流体層の分布を3次元的にとらえ,その時空間変化を追跡し,断層をすべらすであろう流体の移動をとらえることが可能である.また地震前後に震源近傍の反射面の位置が上下したり形状が変化したり,明瞭に認められた反射面が不明瞭になる等の異常が認められる.これは地下で流体が移動しているためであり,流体層のこのような変化は,その地域の岩石の物性(Vp,Vs,ポアッソン比,反射係数,Qp,Qs等)を変化させる.実験室の物性データからこのような変化の原因を探り(熱水量の変化等),地震前後における物性量の変化を定量的に記述することができる.これらの研究を通して地震発生の準備過程を定量的にとらえ,蓄積された定量的なデータに認められる法則性・規則性を探り,将来の地殻変動・地震活動の予測を試みることが可能である.
(4-6)当初目標に対する到達度と今後の展望:
これまでの研究により,H2Oの発生が蛇紋岩のP波速度(Vp)とS波速度(Vs)に及ぼす効果を明らかにした.したがって,H2Oの発生によるVp/Vs比の変化を議論することができたのは,本研究成果の最も重要な点の一つである.これによって地球内部低速度層における流体分布について検討を行い,上部地殻の顕著な低速度層に数%までの熱水の存在を指摘した.
また今後の高温高圧下における精密物性測定に必要な基礎実験もすませた.前述の通り,透過波と反射波の観察により,高温高圧下でも試料のみに固有の速度とQ値を決定する手法を確立した.と同時に大容量シリンダーを設計納入し,物性測定用の試料アセンブリも設計製作した.今後は,大容量シリンダーにより精密物性測定を行い,地球内部の構造および流体分布についてさらに詳細に検討することが可能である.含水量をコントロールした岩石の物性測定は高温高圧下でほとんど行われておらず,またQ値については系統だった測定がなく,今後の研究でこれらの測定に先鞭をつけ,地球科学全般に新しい知見をもたらすと共に,Q値のデータから地球内部構造を解明するための新たな研究分野の導入を図る.Q値は含水量や温度と共に急激に変化し,また高温における岩石・鉱物の塑性(流動性)とも関連し,弾性波速度と並んで非常に重要な基礎的物性量である.
さらに本研究では精密物性測定に欠かせない大型単結晶試料の育成も行った.これによって今後,鉱物-H2O系に関し速度異方性等も加味した詳細かつ系統的な研究が可能である.地殻・上部マントルの岩石-H2O系に関する物性測定と同時に,流体の挙動の基礎的な物理過程やメカニズムを探るため,鉱物-H2O系に関する測定も不可欠である.具体例としては,石英-H2O系,石英-長石-H2O系,輝石-H2O系,カンラン石-H2O系,カンラン石-輝石-H2O系等である.岩石であれば,花崗岩-H2O系,ハンレイ岩-H2O系,カンラン岩-H2O系,角閃岩,蛇紋岩である.蛇紋岩であれば,温度の上昇に伴い脱水反応,蛇紋石→カンラン石+タルク+H2O→カンラン石+輝石+H2Oが進行し,密封された蛇紋岩は高温で鉱物-H2O系となる.これらの系について今後,温度・圧力・含水量の関数として精密物性測定を行う.
これらの研究を通して,今後,地震発生域の地下構造を詳細に検討し,地震活動の原因を解明し,また地震予知のために必要な基礎的データを広く一般に提供していくことが可能である.
(4-7) 共同研究の有無:東京大学地震研究所,京都大学大学院人間・環境学研究科,太成学院大学および東京大学物性研究所との共同研究.
(5) この研究によって得られた成果を公表した文献のリスト
(5-1)過去5年間に発表された主要論文(5編程度以内):
Adachi, Y., H. Sato, K.
Muro, A. Hasegawa and
Sato, H. and K. Ito
(2001) H2O fluid distribution in mantle rock at 1 GPa: constraints from
Vs-Vp/Vs diagram, Bull. Earthq. Res. Inst., Univ.
Sato, H. and K. Ito
(2002) Olivine-pyroxene-H2O system as a practical analogue for estimating the
elastic properties of fluid-bearing mantle rocks at high pressures and temperatures,
Geophys. Res. Lett., 29, 39-1-39-4.
佐藤博樹(2002)高温高圧岩石物性,地球環境調査計測事典,竹内
均 監修,及川武久・喜田大三・須藤隆一・竹内睦雄・中杉修身・永塚鎭男・成瀬簾二・長谷川洋作・鷲田伸明 編集,フジ・テクノシステム,東京,pp.663-671.
Sato, H., K. Muro and
A. Hasegawa (2002) Animated three-dimensional structure of the Earth's interior
for research and education, Mathematica Journal, 8, 574-585.
(5-2)平成15年度に公表された論文・報告:
出版された論文:
Ito, K., H. Sato, H.
Takei, O. Tamada and T. Kitazawa (2003) Synthesis of large high-quality
forsterite single crystals to 200 mm length, and its significance, Geochem.
Geophys. Geosyst., 4, 1011-1-1011-4.
Sato, H., K. Muro, A.
Hasegawa and D. Zhao (2003) Mathematica as a powerful and practical tool for
displaying animated three-dimensional structures of the Earth's interior,
Geochem. Geophys. Geosyst., 4, 1034-1-1034-8.
Ito, K., H. Sato, H.
Kanazawa, N. Kawame, O. Tamada, K. Miyazaki, S. Uehara, Y. Iio, H. Takei, T.
Kitazawa, M. Koike, Y. Matsushita and Y. Ito (2003) First synthesis of olivine
single crystal as large as 250 carats, J. Crystal Growth, 253, 557-561.
佐藤博樹 (2003) 岩石のマイクロテクトニクスの精密定量解析と異方性に関する研究, 基盤研究(C)(2) 研究成果報告書,161pp.
学会大会等での発表:
Ito, K., H. Sato, H.
Kanazawa and H. Takei (2003) Synthesis of world's largest olivine single
crystals for property measurements, The Joint Meeting of Earth and Planetary
Science, 2003 Joint Meeting.
Sato, H., K. Ito and
Y. Aizawa (2003) Anelasticity measurement at high pressure and temperature, The
Joint Meeting of Earth and Planetary Science, 2003 Joint Meeting.
Kanazawa, H., K. Ito
and H. Sato (2003) Growth of olivine crystals from totally-molten San Carlos
olivine, The Joint Meeting of Earth and Planetary Science, 2003 Joint Meeting.
(6) この課題の実施担当連絡者:
氏名:佐藤博樹
電話:06-6850-5496
FAX:06-6850-5480
e-mail:
図の説明
図1.1 GPaで温度の関数として測定された蛇紋岩(891a, b)の弾性波速度のVs-Vp/Vsダイヤグラム.蛇紋石の脱水(550℃)によるデータの並びの大きな変化に注目していただきたい.この変化には脱水の他に,固相を構成する鉱物相の変化も影響している.実線で結ばれた黒いシンボルは,ほぼ平衡状態にある測定値,点線と白抜きのシンボルは非平衡状態の測定値に対応する.R1,R2,R3 はそれぞれ蛇紋石の脱水,タルクの脱水,ブルース石の脱水に対応する.R3で蛇紋岩の脱水反応は完結し,固相はカンラン石と輝石から成る.891aとbの含水量はそれぞれ9.6%,6.6%である.
図2.蛇紋岩の実測値(891a,b;図1に同じ)とカンラン石-輝石-H2O系のVs-Vp/Vsダイヤグラム.1 GPa,900℃の固相(カンラン石-輝石)の速度が灰色の印で示されている.含水量の増加とともに矢印の方向に推移し,891aの測定値はチューブ状のH2O分布により,891bはディスク状のH2O分布により,実験室の測定値が理論的に再現された.
図3.精密物性測定のための内径60 mm外径500 mm高さ200 mmの大容量シリンダー(本体はNo.
322)とピストン(No. 5).試料アセンブリ(図4)に外径60 mm高さ180 mmものスペースが利用できる.シリンダーの外周と上下は常時水冷される(No. 21).
図4.精密物性測定のための外径20 mm長さ20 mm試料のアセンブリの一例.昇温用ヒータとして中心にカーボンを両側にニッケルを配置し,試料部のみを集中的に昇温し,振動子の周辺部は低温に保たれるよう工夫されている.
図5.1 GPaで測定された石英ガラスのQ値の温度変化.昇温による急激なQ値の減少が認められる.