企業,家庭,銀行などの経済主体は,他の経済主体やライフラインなどのインフラストラクチャと密接な依存関係を持って機能しているため,これらの経済主体の集合である経済システムは大地震などの局地的な自然災害に対して脆弱となりがちである.そのため,大規模な災害に対する復旧計画を立案する際には各経済主体間の依存関係を考慮することが望ましい.このような分析においては,個々の経済主体を時系列で自律的に動くエージェントとしてモデル化しその相互作用を陽に解像するエージェントベース経済シミュレータが適しているが,数億エージェントからなる大規模経済においてはシミュレーションコストが膨大となり災害復旧の分析に適用するための課題となっている.
この課題を克服するため,計算地球科学研究センターでは多数のCPUを搭載した分散メモリ型並列計算機において高速実行可能な,高性能計算に基づく高分解能エージェントベース経済シミュレータ(HP-ABES)の開発を進めている.数値シミュレーションの信頼性担保のためには観測値の再現性を確認する数値検証が重要となる.これまでGDP, 家計消費総額,GVAといった全国レベルの経済指標を用いてHP-ABESの数値検証を行ってきたのに対し,2023年においては株式会社帝国データバンクが提供する140万社の日本企業の時系列データに従って企業エージェントの初期状態を設定できるようHP-ABESを拡張した上で,各産業部門(108部門)と各企業についてのシミュレーション結果を観測値と比較する数値検証を実施した.モンテカルロ・シミュレーションによって得られた2015年から2019年における各企業の生産記録の推定値は大半の企業において誤差20%以下の精度で観測値と合致し,また,各産業部門の上位2割に入る大企業の生産記録が忠実に再現されたように,高い精度でシミュレーションが実施できた.大災害の際,企業はその立地やサプライチェーンの状態により生産活動が影響を受けるため,災害後の経済を高精度で計算するためには個々の企業レベルで観測結果を再現することが重要となる.開発したHP-ABESが個々の企業レベルでの観測結果を再現できるようになったことは,大規模災害後の経済を正確にシミュレーションする上で大きな進歩であると考えられる.