2001(平成13)年9月19日(水) 1.観測支援: 陸上自衛隊(立川基地)ヘリ UH60JA  火口観測、COSPEC観測 を合わせて行うため、飛行時間はこれまでより長い。COSPECはこれまで 神津島空港の一角に置かれ、観測の度にヘリに積み降ろししていたが、今回気象庁に持ち帰ることに なった。今後は観測飛行の度に気象庁から発進基地へ運ぶとのこと。  クルー3名、観測員4名に飛行隊長も同乗。 2.搭乗観測者 : COSPEC担当  = 尾台・飯野(気象庁)           火口/全体観察 = 大島・東宮(産総研)  3.天候・飛行コース・時刻等 :   台風(17号)接近中だが今日は何とか間に合う。晴。三宅島は山頂上空に雲、雲と噴煙の蔭でカルデ ラ内は暗い。  陸上自衛隊立川基地からのフライトは4人とも初めてとあって、多少早めに 7:45 立川駅近くに集 合。気象庁2氏はJMAを6時に車で出発。駅付近はモノレールもできて様変わり。NY世界貿易セン タービルへの体当たりテロからまだ1週間とあって基地(駐屯地)ゲートの警戒も一応厳しい。車の下 までミラー点検。しかし基地内は平和そのもの。昔々ここを訪れた時はまだ米軍時代で、ジャンボ機出 現以前の大型輸送機C124や黒色の双発爆撃機B57がずらりと並び、F86D, F 戦闘機が轟音をとどろか せ ていた。今は短くなった(ように見える)滑走路をはさんで、西側に自衛隊、東側に警視庁と東京消 防庁の航空隊が仲良く同居、北半分は防災拠点、西半分は緑豊かな昭和記念公園になっている。  8時すぎ、飛行隊「貴賓室」へ。パイロットと打ち合わせ。やがて迷彩色の搭乗機へ。帰りは 館山 (海自基地)に寄って機体洗浄する予定と聞いたが、結果はまだ洗浄機が動く時 間でなかったらしく、 館山近くまで行ったものの進路変更、一路立川に戻った。  三宅島での飛行コースは尾台氏の指示による。  搭乗時間 08時45分頃〜 12時03分   観測時刻 10時16分 〜 11時10分頃      (COSPEC観測/火口観察合わせて1時間弱) 8:45頃 搭乗  8:49  エンジン始動。やがて飛行隊長同乗。 8:57  北向きに離陸   左旋回後、〜多摩川〜日野〜豊田〜平山橋(浅川)〜八王子バイパス沿い東側〜相模川〜丹沢山地 東縁(厚木西方〜伊勢原〜秦野)〜大磯丘陵西部(比奈窪)〜国府津松田断層崖を斜に横切って国府津 〜鴨宮間から相模湾へ   〜真鶴半島〜初島〜伊豆半島東岸沿い〜利島・新島西方〜神津島北端、洋上で1旋回(時間待 ち?)〜神津島西岸沿い〜 内陸部から伊豆半島〜式根島までは雲も多く靄っていたが、神津島からはカラッとした青空になった。 9:53  神津島空港に西側から着陸、       ローター回したまま、尾台・飯野両氏COSPEC回収、       機内3列目右側に設置、小ドア開けたまま 10:05 神津島空港を東向きに離陸 10:16 阿古から三宅島入り。南斜面上を真東に飛ぶ。 山頂上空に雲あり。風弱いと見え、太めの白煙柱が真上に上がり、雲の上限まで上が ってから折れるか たちで北東に広く遠くたなびいている。飛行高度はその上限とほぼ 同じ6500ft(数値は後から筆談で 確認)。 10:20 三池港(一時帰島の?東海汽船が着いている)の東上空で反転、西へ。 10:23 二男山付近。高度下げつつカルデラ西縁へ。 10:24〜27 カルデラ西縁上でホバリング。       COSPEC観測と火口観察と同時に行う。カルデラ内は噴煙の蔭で暗い。 機はそのまま西海上へ離脱、しかも海面すれすれまで降下。カルデラ観察と 全く異なる飛行ルートに唖 然としたが、これがCOSPEC観測コースであるらしい。火口近傍の噴煙と、はるか離れた位置からの噴 煙全体の両方を測定。東北東〜北東に たなびく噴煙を真横から捉えられる島の北海上をまわった後、 10:42 伊豆岬から「帰島」       西斜面上を南下、二男山から東へ。 10:47 空港上空で反転 高度400mくらいで南東斜面に接近後、南斜面上部をなめるように這い上がり(対地高 度10〜20mく らいで)カルデラ南西縁に出る。 10:49〜50 カルデラ南西縁上で短時間ホバリング。 再度COSPEC観測?こちらは火口・カルデラ内観察。その後カルデラ縁沿いに西縁まで 移動観察。 10:51 カルデラ西縁から離脱、西斜面へ。       中腹を時計回り 10:55 北斜面、気象庁観測点(A点)に15mくらいまで接近。 A点の状態・アクセス確認が目的だったとわかる。以後山道の荒れ具合を確認のた め、対地高度15m くらいで山道沿いにクネクネ機体を揺らしながら下る。(さすが陸 自機、慣れたもの。) (A点への道は雨裂で寸断され、倒木が幾重にも覆いかぶさり、陸路は困難を極めそう。) 11:01 北斜面を離脱      反時計回りに 〜神着遊砂池〜支庁〜伊豆〜伊ケ谷漁港〜 11:04 西斜面中腹(貯水地) 11:05〜07? カルデラ北西縁上で短時間ホバリング       COSPEC観測? +火口・カルデラ内観察。 11:09?? 〜西斜面〜伊ケ谷漁港から離脱、北洋上へ。 11:33 洲崎(房総半島先端)。館山着陸をやめたらしく、北北西へ。 11:38 剣崎(三浦半島南東端)南沖 11:39 油壺 〜三浦半島西岸沿い〜鎌倉〜狩場IC(保土ヶ谷)〜横浜国大/三ツ沢公園〜鴨居(横 浜線)〜江田(田 園都市線)〜新百合ケ丘(小田急線)〜稲城(京王相模原線)西〜 是政橋西〜多摩川沿い〜関戸橋西〜 国立府中IC〜立川駅西〜 11:59 立川基地、南から着陸 12:03 エプロン停止 12:04 降機     (12:08 エンジン停止)    4。 観察 山頂上空に雲、雲と噴煙の蔭でカルデラ内は暗いが、比較的よく見えた。 4−1. 噴煙  弱い南西の風。太めの白色噴煙(カルデラ縁で直径約500m)が真上に上がり、縁上300mくらいか ら折れ曲がって北東を軸に広く遠くへたなびいている。丁度山頂から北東に雲がかかっているためまぎ らわしいが、噴煙柱上限は雲をわずかに抜け、高度 6500ft(約2000m)に達している。噴煙は純白 色、灰は含まない。  噴煙排出量はこれまでの推移に較べて多く、到達高度も高いが、火口からの排出の勢いはなく、この ところの降水量の多さに対応したものと思われる。(以前のモックモ ックという力強さはなく、しまり なく白煙がモワ〜と上がっている。)  従来噴煙下部に伴って青白く見えたSO2 ガスは、弱い風で拡散したか、多量の水蒸気に吸収された 分も多いのか、視覚的にいつもほど明瞭ではない。双方の相乗効果と思えるが、SO2 排出量自体が減 衰しているとも考えられる。高度を高くとっていたため、また風下の北東側へは行っていないため、直 接臭いを感ずることはなかった。  COSPEC観測は、今回はうまくいかなかったとのこと。 4−2. 火口  火口全体に形態等の特別な変化は見られない。  噴煙を上げるのは相変わらず、最も南東の大型火口(以前のS2とS3火口、後に1つに一体化した。 今後SE火口と呼ぶか)が主体。 噴煙排出に勢いはなく、ただモワ〜と上がっている。雨による注水量 が増えた分、噴煙量が増しただけに見え、活動自体は減衰傾向にあるように見える。  他の火口からも噴気はある。しかし旧主火口(第1火口またはN1火口)を含め、いずれも活動弱く、 上がる噴気もせいぜい150m、火口内壁に硫黄の付着が見える。これの中で活動的に見えるのはSE火口 の北東隣(N3火口)。過去を通じて、活動は東寄りに移ってきている。  北西噴気帯も全般に不活発。弱く上がる白煙の高さはせいぜい50m。だが中位の1本だけ弱いながら もカルデラ縁にとどくものもある。 火口丘(火砕丘)北西斜面のクレバスは沈黙時も多かったが、今日は上半部で噴気盛ん。 その他、同クレバス下部、火口丘北麓、火口丘東側の大クレバス、いずれも沈黙に近い。 4−3. カルデラ底  このところの雨が原因と思われるが、カルデラ底は水浸しになっている。  細り気味だった西池(黒池、相変わらず黒く、岸は海老茶色)の幅が3倍くらいに太ったのをはじ め、火口丘北側のカルデラ底中央に大小多数の池(多くは無色)が出来ている。これまでも大雨のあと は同様なので目新しいことではない。(今回はちょっと多い。)  北池は特段の変化を見せていない。以前崖錐から転がり込んだ大岩が4コ頭を覗かせている。水は青 緑色。東側の湖岸が赤褐色になっているが、東壁から崩れてきた赤色 アグルチネートに起因。  周囲からの崖錐の発達が進んでいる。北西壁の崩落は直下のマウンドにまたがる形となって北池には り出し、北壁の崖錐と手を結んだ。このため、北池の北岸は(以前は直にカルデラ壁だったが)北壁前 の崖錐となっている。  南東縁の崩落による岩なだれが火口丘東斜面に流路を規制されるかたちで北池付近までのびている が、真新しいものではない。4月以降何度かくり返していると見える。 主に1535年噴火割れ目の壁の 崩落によるため、赤色アグルチネートが目立つ。火口丘北東側に元々あった大クレバスは大分埋まって きた。(噴気も押さえられてきている。) 4−4. カルデラ縁  南東縁の上記1535年噴火割れ目の壁が、ここしばらく見えなかった間に新たに崩落したらしい。割 れ目火口(スコリア丘)の火口底に溶岩池らしき白い岩体の断面が新たに見えている。真下からのびる feeder dike と繋がっているように見えるが、遠過 ぎて確実とはいえない。  南西縁の多重の地割れ、西南西縁(黒池の上)の大型地割れブロックの落ち残り、いずれも残存。崩 壊盛んだった北縁は今回確認できず。スオウ穴も南西縁から水面の存在を認めるのみ。 4−5. 泥流  牧場地域の泥流が伸展した模様。  荒廃した南西斜面の主に2つの gully からひろがる村営牧場の泥流は、これまでも 1983年C火口列 を横切って滑落崖を下っていた。その先端が83年溶岩原を下り、最大キプカの南まで(火口列から約 700m西まで)のびたように見える。(高空6500ftからの観察のため、十分な確認はできない。)こ のため滑落崖付近の鉢巻き道路は少なくとも2箇所で遮断されている。  泥流と思しき流れ模様は、83年D火口列西側にも黒い溶岩原上に淡色の筋模様として複数見える。 (大島 治)