別紙 A 第1次〜第3次計画の進展と成果

 

1.計画の概要

 

 我が国の地震予知計画の出発点は昭和37年(1962)に提言された「地震予知−現状とその推進計画−」(通称,「ブループリント」)にある。このブループリントは学界有志数十名からなる「地震予知計画研究グループ」が「地震予知を目的とする測定を行うとすれば,それはいかなる種類のものであり,いかなる方法によるべきか」について討議を重ね具体的に検討し実際的な計画を立案したものである。

具体的には以下の観測項目を提案している。@測地測量による地殻変動調査:日本全域の刻々の地殻の変動を捉えるため,できる限り広い範囲にわたって頻繁に測量を繰り返すこととし,国土地理院の事業として行い,全国的測量の反復周期として,水準測量が5年,三角測量が10年を計画している。A験潮場の整備:日本の沿岸における地殻変動の推移を常に監視するため,2年程度で26か所新設して92の験潮所を整備する。B地殻変動の連続観測:@の測地的方法によりある地域全体にわたる地殻変動を捉え,地殻変動観測所はその地域内の1点において,時間的推移を連続的に捉える。このため,100km四方に1観測所,として70の地殻変動連続観測所を建設する。その他に,特定の地域には50km四方に1観測所の割合で,30の観測所を設ける,すなわち計100の地殻変動連続観測所を設ける。これは早ければ11年後に完成すると思われる。業務観測としては研究的色彩が強いので,大学や関係官庁の附属研究所で行う。C地震活動の調査:あらゆる大きさの地震の活動状況を調べるための観測を行う。Mが3以上の全国の大・中・小地震の観測については,気象庁が観測網を整備して行う。微小地震(3>M≧1)については,全国に20の支所を置き,180点の微小地震観測所を設ける。これは10年計画で設置する。極微小地震(1>M)については,全国に6か所の特殊地域を選び,そこに固定した5観測所を設けるが,これを6年計画で行う。また,他の地域については随時移動して観測を行う。D爆破地震動による地震波速度変化の観測:大地震の前に地震波の伝播速度の変化が認められたという報告があるが,自然地震の観測によるもので観測精度が高くない。したがって,爆破地震による調査により高精度の観測を行い,地震波速度の変化の検出を目指す。6年計画で6か所の爆破観測を行う。E活断層の調査:明治以来地震断層の多い,東経133.5゚〜139.5゚,北緯34.5゚〜36.5゚の範囲内の地質学的断層のうち大きいものについて地震断層との比較調査を進め,地質学的断層から地震断層を抽出し,地形学的調査を行い,いつごろ活動したかを知る。これを2年程度で行う。F地磁気,地電流の調査:地震の前駆現象としての地磁気・地電流の変化の研究の数は多いが,地震発生との関係については統計的検定に問題があり,その測定法に信頼性が欠けていた。これらを明らかにするため,まず特殊地域を選んでモデル観測網を設け,3年間で固定観測所を設置する。

 昭和39年(1964)7月に建議された「地震予知研究計画の実施について」の内容はこのブループリントの具体化への第一歩であった。そこでは,1.測地的方法による地殻変動の調査,2.地殻変動検出のための験潮場の整備,3.地殻変動の連続観測,4.地震活動の調査,5.爆破地震動による地震波速度の変化(の観測),6.活断層(の調査),7.地磁気,地電流の調査,及び8.大学の講座,部門の増設等,が提案され,これをほぼ10年を目途として年次的に実現すべきとされた。

 昭和40年(1965)8月に松代地震が発生したため,これを極めて重要な研究課題ととらえて,1.測地学的方法による地殻変動調査に日本近海の地震多発地域の調査を加えること,2.気象庁の地震活動調査の目標をM3以上の地震の震源を決定しうるよう観測精度を高めること,3.電子計算機による微小地震等のデータ処理システムを確立すること,4.極微小地震,測地,地殻の傾斜・伸縮,地磁気の移動観測体制を整えること,が昭和41年(1966)に追加建議された。

 昭和43年(1968)の「地震予知の推進に関する計画の実施について」(のちに第2次計画と呼ばれることになった)では,「地震予知研究計画」の実施を早め,地震予知の基盤となる観測種目の範囲をすみやかに確立させ,また,すでに基盤となることが認められた種目についてはその観測を順次充実させることが目標とされた。活褶曲の調査,東京における深井戸観測,室内及び屋外における岩石破壊実験も新たに研究項目に含められた。また,観測強化地域,観測集中地域における観測が提唱され,情報交換と総合判断を行うための地震予知に関する連絡会の設置,各機関における観測センターなどの設置が計画された。

 昭和48年(1973)には,第3次地震予知計画が建議された。ここでは,Vp/Vs比の異常減少に関する報告に基づいて地震の長期予報と短期予報の戦略が提唱され,また情報交換・総合判断のための体制強化及び基礎研究の推進が必要とされた。各種観測を強化することが第3次建議の骨子であったが,とくに観測のテレメータ化,自動処理化,資料保存と普及は新しい計画内容であった。ほかに,特別の地域における観測として東京及びその周辺地域における深井戸観測が計画された。

 「第3次地震予知計画」は昭和50年(1975)に見直され,実施が遅れている海底地震観測と地殻応力測定の推進を特に図るべきとされ,新しく推進すべき観測研究計画としては,地震発生過程,ダイラタンシーモデルから予想される地震波速度の時間的変化,短周期地殻変動と地球潮汐の関係,地下水,電気比抵抗変化,地殻構造探査,重力変化等が挙げられた。また,集中観測(テスト・フィールド),全国的ネットワークの検討,データの総合整理,歴史資料の収集と解析が総合研究の課題とされた。研究プロジェクトチームの編成,地震予知観測センター及び移動観測班の整備は基礎研究の推進の中心的役割を果たすものとしてその措置が要請された。首都圏におけるM6クラスの地震の前兆現象の観測と,特定観測地域・観測強化地域9か所並びに危険度の高い活断層周辺について地震の前兆現象を詳細に把握することの必要性が述べられた。特定観測地域における観測強化としては,首都圏での精密測量網の整備,特定地域での水準測量等の反復観測の強化,深井戸観測の強化が挙げられている。

 昭和51年(1976)には「第3次地震予知計画」が再度一部見直しされた。目標とする地震予知の実用化達成のため,観測・研究の一層の強化と体制の積極的整備が急務であるとされた。予知の判断を可能にするために,各種データの集中的収集が図れるよう,観測の強化及びそのための体制の整備充実が提案されている。長期的予知を推進するために,海底を含めた地殻活構造の調査研究,東海地域における観測の拡充強化等が,また,短期的予知を推進するための臨時措置としては常時監視体制の整備が,新しく提案されている。最後に,臨時的措置として東海地域における連続観測データの集中と常時監視に対応し判定を行う組織の整備が必要とされている。

 以上に概略を紹介した建議に基づいて,関係各機関及び大学は次のような計画を立てて事業を推進することを図った。

   

ア.測地

(a)全国域の繰り返し測量

 国土地理院は,全国にわたって地殻の変動を見いだす目的で精密な測地測量を周期的に繰り返す。また,地磁気,重力の変化を見いだすため,全国の地磁気及び重力の測量を行う。なお,当初の計画では一等三角点等は10年周期で,一等水準点は5年周期で繰り返し測量を行うこととし,第3次計画では一次基準点(一等,二等三角点)を5年周期で,二次基準点(三等三角点)を10年周期で,一等水準点を5年周期で繰り返し測量を行うとされていた。

(b)特定の地域の短周期測量

 国土地理院は,特定地域の観測を強化し地殻変動特性を明らかにするとともに,異常な現象が発見された地域は観測強化地域として,さらに観測を強化する。このために,二・三等三角点,二等水準点及びその他必要な測地測量を2.5年周期で行う。

 海上保安庁水路部は地殻の変動を調べるため鉛直線偏差観測,渡海水準測量を実施する。

 国土地理院及び大学は,重力測定を実施して重力変化から地殻内の密度分布の時間的変化を検出し,地震発生との関係を調べる。

 

イ.地殻変動連続観測

 大学は従来行ってきた地殻変動連続観測を充実整備するとともに,地域を分担して新たに10余か所に地殻変動観測所を設置し,歪計,傾斜計によって地殻変動を連続的に観測する。これにより測地測量の反復周期の間における地殻の変動を連続的に観測して,その特性を把握し,地震発生との関係を究明する。

 気象庁は東海地方においてボアホール型の地殻変動観測の業務化を開始する。

国立防災科学技術センター(現防災科学技術研究所)は浅井戸による傾斜連続観測手法の開発を行う。

 国土地理院及び気象庁は地殻変動検出のため全国の験潮施設を更新充実し,統一的なデータ処理を図る。

 

ウ.地震観測

 気象庁及び緯度観測所(現国立天文台)は,地震活動の消長を把握することを目的の一つとして,大・中・小地震観測を行う。

 気象庁は,大・中・小地震観測を行い,データを自動処理する。M3以上の地震の震源を決定することを目的として地震計の近代化を図り,全国20か所に観測所を設ける。さらに,67か所に磁気テープ式地震計を整備し,ウイヘルト式地震計を電磁式に更新する。松代においてはM1〜3の微小地震の観測を行う。また地震観測資料を迅速に解析し地震予知に必要な情報をとりまとめるため,観測部に地震活動検測センターを設ける。テレメータ化された海底地震計を開発する。旧式の観測点26か所において中感度・広帯域の地震計を更新する。大・中・小地震を対象とした移動観測班を設ける。

 国立防災科学技術センターは,首都圏等人工的雑音の高い地域における観測手法の確立のため,深井戸を用いた微小地震観測手法の開発を行う。

 大学は微小地震観測技術を開発し,連続観測網を構築し,微小地震の活動状況,発生機構を把握するとともに,それと大地震発生との関係を調査する。大学はまた,極微小地震機動観測の手法を構築し,異常地殻活動発生時等の活動状況を詳細に把握するとともに,より大きな地震の発生との関係を調査する。

 

エ.活断層・地質調査

 工業技術院地質調査所,大学及び国立防災科学技術センターは活断層,活褶曲地域の調査研究を行い,活断層を主な対象として第四紀における地質構造の形成過程を解明した。また,活断層の活動度を判定する手法の開発を進めた。

 

オ.地下構造・物性変化

 国立防災科学技術センターは,人工地震による地殻構造調査及び地震波速度変化の観測を行う。

 工業技術院地質調査所は南関東をモデル地域とし,爆破地震の観測により地震波速度変化の観測研究を行う。また,浅海における地殻活構造を調査する。

 

カ.地球電磁気

 気象庁は松代において地磁気永年変化と地殻・マントルの電気伝導度変化を観測する。また,特定地域における地磁気・地電流の観測から地震発生との関連を調査する。

 大学は,自然電磁気現象の観測及び人工電流法を含めた地球電磁気学的手法を用いて,活断層の規模や構造の電磁気学的特徴を明確にする。また,地震と磁場変化との関係の理論的な研究と基礎的な観測を行う。どのような観測方法が地震予知に最も適当で有意義であるかをできるだけ早い時期に検討し,その成果を活断層に一般的に適用できる形にまとめる。

 

キ.地下水

 工業技術院地質調査所は短期予知のための地下水観測を行う。

 工業技術院地質調査所及び大学は地下水に関する調査研究手法の基礎を確立する。

 国立防災科学技術センターは地下水観測手法の開発を行う。

 

ク.地震予知に資する調査観測手法の開発

 国立防災科学技術センター及び大学は地殻応力の実用的測定手法の開発を行う。

 

ケ.地震予知の基礎研究

 岩石破壊の研究は各種観測結果の解釈に理論的根拠を与えるものであり,地震予知の理論的背景を豊かにし,実用化を促進するものとして,急速に進める必要がある。

このため大学は実験室において岩石破壊実験を行う。これにより,地震の発生機構・前兆現象の発現機構の究明に資する。

 工業技術院地質調査所は地震発生機構解明のための岩石破壊実験を行う。

 

コ.体制の整備

 各機関及び大学は,基礎研究,各種観測の推進,情報交換と総合判断,常時監視,研究者の育成等のため,体制の整備を行う。

 

2.計画の実施状況と成果

 

 前節で述べた計画をもとに地震予知計画が進められたが,第1次〜第3次計画の期間中における実施状況と得られた成果の概略は以下のとおりである。

 

(1)地震予知に向けた観測体制の整備

 

 全国で多くの項目にわたる総合的な観測が開始された。

 

ア.測地

 国土地理院による全国一等三角点の改測は,昭和42年(1967)に終了し,その後第2回目の改測に入ったが,昭和49年(1974)には,光波測距儀の進歩を取り込んで,辺長測量主体の精密測地網一次基準点測量に引き継がれた。また,一等水準点については,5年から10年という周期で実施された。

 この結果,全国の地殻の水平及び上下方向の変動の様相が明らかになった。とくに,大きな地殻変動が北海道東部及び東海地域に見いだされ,北海道東部については幾人かの研究者が地震の発生を予測し,この問題は国会でも取り上げられた。果たして昭和48年(1973)に根室半島沖地震(M7.4)が発生したが,このことが,同じように地殻変動が大きかった東海地域の地震発生説の素地をつくることとなったといえる。

 他方,多摩川下流域でも地盤の隆起が認められたが,これは結局地下水の影響と判断された。また,房総半島で見いだされた地殻変動は次回の測量結果ではそのパターンが反転した。

 以上のように,全国測量の繰り返しによって日本列島の地殻変動の様相が明らかになるなど,一定の成果は挙がったものの,他方においては,繰り返し測量が本格的に実施されるようになったため測量そのものの精度の問題や地殻変動を起こす要因の複雑さも認識されるところとなった。

海上保安庁水路部は地震多発地帯にある伊豆諸島において地殻の上下変動を調べるため,各島相互及び本土との間で,渡海水準測量を実施した。新島,神津島,三宅島,伊豆大島,伊豆白浜の各地点間で精密経緯儀,光波測距儀(昭和46年度(1971)から導入)を使用して測量を行った。これらの測量における各地点間の平均的な高低差の測定精度は0.20m程度であった。このほか水路部は伊豆大島等6か所,三宅島等6か所,神津島等5か所で,地球内部構造及び地下の物質分布を解明するため光電式定高度儀を使用して観測を行い,各島の鉛直線偏差を求めた。

 大学は日本各地の光波測量網において光波測量を反復し,数kmから10km規模の地殻変動を検出した。また,多色法測距儀の開発のための基礎実験を行った。

 海上保安庁水路部は,佐世保ほか15港の験潮所の設備の充実と良質データの取得に努めた。観測した各験潮所の験潮結果から平均水面を求め地殻変動の監視を行った。

全国の験潮施設のデータは,第1次の地震予知計画の建議に基づいて海面に対する土地の昇降を検出する目的で国土地理院に設置された海岸昇降検知センターにおいて統一した方法で処理されて,その成果が研究者に提供されることになった。

 大学は重力基準点の増設及び既設点の改測,東海地域の重力精密測定を実施した。

 

イ.地殻変動連続観測

 大学は地殻変動観測所及び観測点を設置するとともに,従来からの観測点を整備して歪計,傾斜計等による連続観測を行った。これにより地殻変動の詳細な姿が明らかにされた。各種の観測機器が開発され,感度,安定性,記録の時間分解能の向上が図られ,地殻変動観測手法を確立するための努力が払われた。データ処理システムの開発も行われた。擾乱に関する定量的解釈の研究が,地球潮汐変形,気象擾乱,Cavity効果,地形影響について進められた。ストレイン・ステップ(断層運動による残留歪場)の解析が進められ,昭和44年(1969)岐阜県中部地震に際しては,全国のストレイン・ステップの分布調査が初めて行われた。初期の観測の主目標とされた前兆的異常変動現象の検出が,地震後の解析によって報告された。

 北海道大学理学部えりも地殻変動観測所では,周辺に光波測距観測網を展開するとともに国土地理院の水準路線を測定することにより,30m長の観測坑道の地殻変動とより広域の地殻変動との比較を行った。この期間には昭和43年(1968)十勝沖地震から昭和48年(1973)根室半島沖地震まで北海道太平洋沿岸に大地震が続いて発生し,大地震に関連する貴重な資料が蓄積された。歪計の時間分解能を上げた結果として,昭和46年(1971)8月2日えりも岬沖地震を含む多くの地震でストレイン・ステップが記録された。そのデータは理論的予想と一致するものであり,歪計による地震観測の有効性が示されたと同時に計器の動的応答の確かさが確認された。降雨による影響を除去して地殻変動観測データを検討した結果,根室半島沖地震の1〜2カ月前から異常変化があったことが見いだされた。

 この結果を検証するために,根室半島周辺で繰り返されてきた広域的な測地網の観測と,えりも観測所坑道内で観測された長期変動が比較され,両者は量的にも一致することが確認された。観測坑道に注意深く設置された地殻変動観測計器は広域的に進行する地殻変動によく追随し,その連続記録から地震前の短期的変動を検出することができることを示した。

 関東地方での鋸山と油壷における傾斜の比較から移動性地殻変動が検出されたのに引き続き,東北地方でも,海溝側から背弧側に向かって20km/年程度の速度で伝播する移動性地殻変動の存在が見出された。近畿中央部においても広域地殻変動と地震活動の関係が示され,また,南から北へ移動する地殻変動の存在が示唆された。

 国立防災科学技術センターは,力平衡型ボアホール傾斜計の開発及び信頼性管理手法を完成させ,平野部における地殻変動連続観測の実用化への道を開いた。

 気象庁ではコサイスミックな変化を安定して観測できる新型歪計の開発・研究が行われ,昭和50年度(1975)から東海地方において体積歪計観測網の整備が始まった。昭和50年度(1975)に伊良湖〜石廊崎の5地点,昭和51年度(1976)に網代〜銚子の5地点、及び、御前崎周辺の歪観測を強化する目的で浜岡及び榛原の2地点に体積歪計が設置され,東海及び南関東地域で合計12地点の観測網が整備された。

 緯度観測所はVerbaandert-Melchior型水平振子傾斜計やTEM型傾斜計を導入した。

北上山地の赤金鉱山の廃坑では水平振子型傾斜計による地盤傾斜変動観測が実施されたが,この傾斜計は短いスパンに立脚するため長期安定性に問題があり,信頼できる経年的傾斜変動データを得ることは困難であった。

 

ウ.地震観測

 気象庁は昭和34年(1959)から固有周期5秒の100倍電磁式変位地震計の展開を開始していたが,建議に則して順次ウイヘルト型地震計の更新を行うとともに,昭和42年度(1967)から磁気テープ式による3000倍の速度型地震計の展開を開始した。昭和49年度(1974)からは本庁及び管区気象台において,津波予報のための震源推定精度向上を目的としてオンラインによる地震データの交換が始められた。昭和52年度(1977)には埋設型の10000倍の速度型地震計による小地震観測網を全国的に展開し,昭和53年度(1978)には東海地域において,地震観測データのテレメータ化及び集中解析処理を含む常時監視体制を整備した。M3以上の地震を確実に検知するために観測網の整備を推進し,さらにケーブル式海底地震計の開発に着手した。これにより,全国的に均質な震源の決定とそれに基づく空白域の検出等も行えるようになった。これらの地震観測網の整備によって,大地震やそれに伴う津波予報の情報が迅速に発表できるようになり,地震活動状況について,迅速に総合判断するための情報提供が可能になった。このほか,地震観測におけるS/N比を改善して気象庁の現業観測網の検知能力を高めるために有効な方法を確立する研究が行われ,広く活用された。地震予知計画の推進と津波予報の迅速化のため,業務用高性能地震観測処理装置の研究開発が行なわれ,この開発成果に基づく業務用装置が昭和49年度(1974)に気象庁に設置され,業務化された。

 緯度観測所は3成分の長周期地震計を導入した。気象庁観測網の整備と緯度観測所の職務内容の見直しにより,気象庁への地震データの即時提供は昭和44年(1969)に中止されたが,地震観測は継続され,そのデータは国際・国内機関に報告・提供された。

大学は微小地震観測所を新設し観測網を構築して微小地震の観測を実施した。それぞれの微小地震観測所は特有の背景・経緯・目的をもって設置された。大学による微小地震観測網の構築によって観測能力は飛躍的に向上し,M3以下の微小地震の震源も定常的に決定できるようになった。地殻活動やプレート運動等に関する多くの新しい知見がえられ,地震前の異常地震活動も検出された。無線テレメータの導入,トリガー方式による収録,多チャンネルスペクトル記録による観測,自動処理システムの開発,長期間可視記録レコーダの開発等が手がけられた。テレメータ化が進み,集中記録され,自動処理装置が導入されてオンライン・リアルタイム処理が実用化された。また,移動観測班の整備も進み,定常観測を補完する観測が可能になったが,主に余震活動が観測の対象とされた。

 北海道では,地震データのテレメータ化に際して,時分割多重化が容易なディジタルシステムを導入し,地殻変動データも伝送することを可能にした。この結果,歪地震動データの活用が可能になり,昭和53年(1978)国後水道地震の解析に威力を発揮した。

 東北地方においては,北部及び南部の一部の地域を除き,陸域下ではM2.5程度以上の地震の震源決定が可能になった。それらのデータを解析することにより,陸域下に沈み込む太平洋プレートの位置が推定され,また,その中で発生する稍深発地震が二重深発地震面を形成していること,上面の地震と下面の地震で起震応力場に特徴的な違いがあること,内陸下の浅発地震は上部地殻内でのみ発生していること等,沈み込み帯の地震テクトニクスの理解を深める上で重要な貢献がなされた。昭和45年(1970)秋田県南東部地震の際には,極微小地震観測班が出動し,余震の精密な震源分布を求め,遠地で得られた地震波形記録解析と総合して,この地震の発生機構が推定された。

 和歌山地域は,10年以上の期間にわたり一定の基準を保った微小地震観測を継続することにより,地震活動の時間的・空間的変化の詳細な様相をとらえられた初めての例である。いわゆる6km/s層が地表に露出している場所では,震源の深さが1〜2kmというきわめて浅い地震が発生しうることがわかった。また,紀伊半島直下におけるフィリピン海プレートの形状が微小地震の震源分布から捉えられた。

 中国東部地域では地殻内地震に伴う応力集中と破壊過程が微小地震観測から追跡された。また微小地震の震源分布から沈み込むフィリピン海プレートの形態が捉えられた。

 四国中央部では微小地震が地殻上部の浅いグループと北に傾斜した面に沿う30kmより深いグループに分かれて発生しており,前者のP軸は東西方向,後者は南北方向であることなど,地震現象に関する新しい知見が得られた。

 国立防災科学技術センターは埼玉県岩槻市に3,510mの観測井を完成させ,首都圏において高感度微小地震観測が可能であることを実証した。また,千葉県沼南町において第2の深層観測施設(下総)の整備を行なった。これらを通じてボアホール観測の基礎が築かれた。また観測点のテレメータ化も順次進められた。

 

エ.活断層・地質調査

 工業技術院地質調査所は主として関東地方の第四紀層の分布と構造を明らかにし,活構造図として取りまとめた。調査は関東地方等に限られたが,今日の活構造に関する基本的考え方がほぼ固められたといえる。

 大学,地質調査所,国立防災科学技術センターは協力して,地殻活構造調査の一環として「日本の活断層(1980)」を編纂した。この「日本の活断層」の出版に向けて,全国の変動地形学者・地質学者が組織化され,日本の活断層についての基礎データが着実に集積された。この研究グループが組織されたことは大きな前進であり,この成果はその後の活断層調査や内陸地震調査の基礎となっている。

 長期間にわたる地震活動の記録は地震予知研究において非常に重要である。このため,大学は新しい地質時代に活動した断層(活断層)について,主として変動地形学的な調査を行い,その分布・平均変位速度・変位のセンス等を検討し,日本列島全域について統一された基準で評価した。また,活断層以外でも第四紀地殻変動について,活褶曲の分布・隆起・沈降量等を均質な基準で評価し,日本列島全域についてまとめた。

 

オ.地下構造・地震波速度の変化

 国立防災科学技術センターは,人工地震による南関東地域の地殻構造調査を実施し,首都圏の基盤構造を明らかにした。また,大学等に協力して,人工地震を用いた地殻・上部マントル構造の調査を行なった。これらの成果は,地震発生場を考察する貴重な資料となっている。

 海上保安庁水路部は,三陸沖北部,釧路沖,日向灘,遠州灘,房総沖,鹿島灘南部,常磐沖南部,常磐沖北部において,音響測深機による海底地形測量,エアガンによる地質構造調査,プロトン磁力計による地磁気全磁力測定等を実施し,これらの海域の海底地形,地質構造を明らかにした。

 工業技術院地質調査所は,国立防災科学技術センターや大学等と協力して,定点発破を用いた地震波速度変化の観測を実施した。有意な変化は検出できないという否定的な結果となったが,地下構造の調査及び地震観測技術の向上に貢献した。

 

カ.地球電磁気

 大学は,当時実用的な装置となって間もないプロトン磁力計による連続観測や地域別の繰り返し磁気測量を実施した。昭和45年(1970)にはプロトン磁力計や地磁気3成分変化計・地磁気絶対測定装置をそなえた八ヶ岳地磁気観測所が開設された。八ヶ岳においては地電流(地電位差)の測定も行われた。松代においては3ヵ所にプロトン磁力計が設置された。昭和45年(1970)以降は,房総半島や東海地域において携帯型のプロトン磁力計による繰り返し磁気測量が実施された。磁気測量の精度が飛躍的に向上し,測定結果の信頼性が高くなるにつれて,非局所磁場変化の補正精度の向上が必要とされ,これは日本列島下の電気伝導度異常(CA)に深く関連することが明らかにされた。松代では群発地震発生に関連があると見られる地磁気変化が観測された。油壷地殻変動観測所で行われた大地比抵抗の連続観測では,地震にともなった変化が多数例観測され,一部には数時間先行した前兆的な変動も捕えられた。このことから,比抵抗観測が直前予知に有効である可能性が論じられた。中国,四国,近畿地方の繰り返し磁気測量からは,しゅう曲運動による地殻歪みに関連したと考えられる永年変化異常が見出された。

 大学や関連機関は合同で山崎断層の電磁気構造調査を昭和51年(1976)から開始し,活断層に顕著な低比抵抗帯が存在することを見出した。これはテストフィールド計画を推進する上で大きな原動力となった。昭和52年(1977)9月の地震の際には,震源から2km以内の区域で地震後4日目,2週間後に地磁気の異常減少が見られた。またこの地震では,明確ではないが安富町における地電流日変化パターンに異常な変化らしきものが見られた。昭和54年(1979)12月に地電流観測点の西方15kmに発生したM4.9の地震では断層を横切る南北測線において,地震前に顕著な異常変化が見られた。この異常変化は,壕内の電極ではより大きく現われた。

 気象庁は,地震と地磁気の関係を見いだすための基礎的データを取得する目的で,プロトン磁力計を柿岡,女満別,鹿屋の3箇所に整備した。また,地殻・マントルの電気伝導度を観測するため,大地電気伝導度異常観測装置を福島県浪江に整備し解析を進めた。人工雑音の多い地域での電磁気による地殻構造調査の手法の開発を目指して,古利根流域及び櫛挽断層で大地比抵抗観測を実施し,観測点及び観測時間帯の選定が重要であり,またデータの重ね合わせによる解析等の手法が有効であることを示した。

 海上保安庁水路部は八丈島において地磁気調査を行い地震との関連を調査した。地磁気永年変化及び地殻・マントルの電気伝導度の変化を観測するため,下里水路観測所(和歌山県)において,全磁力及び地磁気3成分の精密観測を実施した。八丈島に八丈水路観測所を新設し,昭和52年度(1977)から観測を開始した。

国土地理院は,鹿野山及び水沢で全磁力及び地磁気3成分の連続観測を行うとともに,全国の磁気測量を繰り返し,10年ごとに磁気図を作製している。

 

キ.地下水・地球化学

 大学は地下水観測,地下水・地下ガスのラドン観測の手法を開発し連続観測に着手した。昭和49年(1974)伊豆半島沖地震(M6.9)の際にコサイスミックな地下水位変動を捕捉,その地域的分布が発震機構と対応することを見出した。また,昭和50年(1975)に多摩川下流域で検出された異常地盤隆起の原因解明を行った。昭和53年(1978)には東京大学理学部附属地殻化学実験施設が新設された。

 工業技術院地質調査所は伊豆半島を中心とする地域で地下水の化学成分の変化を測定した。同時に地下水観測手法を開発した。

 国立防災科学技術センターは既存の井戸を用いた水位連続観測の可能性を検討するとともに,地下水位と地震発生との関連性についての研究を開始した。

 

ク.地殻応力

 国立防災科学技術センターは水圧破壊法による地殻応力測定技術を地震予知研究に導入し,野外における数100m深度での測定手法を確立した。

 大学は応力開放法で応力測定を実施し,またAE法による応力推定法を提案した。

 このように応力の直接測定が可能となったことで,地震発生場の物理的理解への重要な一歩が築かれた。

 

(2)特定観測地域における集中的観測

 

 観測強化地域については,各種の測量が強化実施された結果,詳細な地殻変動の時空間的な様相が明らかになった。特に,伊豆半島では,昭和49年(1974)の伊豆半島沖地震以降に,伊豆半島東部に異常な地殻変動が発見され,その後一連の地震活動及び地殻変動が観測されるなど,この地域の地殻活動の実態の解明に大きな前進をもたらした。

 国土地理院による特定地域の短周期測量は,主として菱形基線や放射基線の繰り返しが行われたのみであったが,南関東及び東海の観測強化地域においては,ほぼ計画に沿って測量が実施された。

 海上保安庁水路部は特定観測及び観測強化地域の周辺海域において基礎調査を実施した。浅海域における弾性波探査による手法の研究,東海地方東部等の海底地形・地質に関する調査,マルチチャンネル反射法による地殻深部構造の調査等を実施して,活断層の探査手法の開発や相模湾,駿河湾等の過去の地殻活動状況や海底地形変動の有無等に関する研究を進めた。成果は大陸棚の海の基本図として刊行された。

 

ア.南関東地域

 大学は相模湾をはさむ観測網の整備を進めた。南関東地域の直下に沈み込むフイリピン海プレート及び太平洋プレートの内部で微小地震活動が発生していること,そのうち,太平洋プレートの内部で発生する微小地震が2重の面的構造をもっていることが突き止められた。南関東地域にはプレートの相互作用による微小地震の多発地域がいくつかあり,そこではM6クラスの地震が繰り返し発生することがわかった。このような微小地震発生の場の様子を明らかにしたことは大きな成果である。これらの成果はその後の各地域における微小地震観測の指針の一つとなった。

 

イ.伊豆半島

 昭和49年(1974)伊豆半島沖地震(M6.9)以降,伊豆半島東部に異常な地殻変動が発見され,その後一連の地震活動及び地殻変動が観測された。昭和53年(1978)伊豆大島近海地震(M7.0)では多項目にわたる前兆的異常変化が観測され,短期予知の可能性を示唆した。大学は伊豆半島東部の群発地震活動及び昭和53年(1978)伊豆大島近海地震による重力変化を検出した。また,伊豆半島の異常隆起を水準測量に先だっていち早く重力変化として捉えることに成功した。この重力変化を説明するために球対称圧力源がひきおこす重力変化の理論がはじめて提出された。重力変化の測定が地殻変動のモニターに有効であることを観測と理論の両面から明らかにした。

 

ウ.東海地域

 東海地震の可能性が指摘され,気象庁はケーブル式海底地震計の開発を完了し,ボアホール型地殻変動観測を業務化した。大学は重力の精密測定を繰り返した。

 

エ.甲信越地域

 昭和40年(1965)に始まった松代群発地震は多項目集中観測によって一連の活動経過が追跡された最初の例である。微小地震は基本的な観測項目として重視され,地殻変動,重力の時間的変化,地下水その他の観測結果は微小地震活動と対比させて解釈が与えられた。これによって内陸の地殻内地震の発生過程の解明に大きな足跡が残された。また,地域地震防災への研究機関の関わりとその重要性が示された例でもあった。昭和39年(1964)の新潟地震との関連性が指摘され,当該地域における広域地震活動の一つとして理解されている。

 

(3)地震予知の基礎的研究

 

 工業技術院地質調査所では,封圧下における岩石の変形破壊条件を解明するために,高封圧下での岩石変形破壊実験が始められた。多くの岩石の破壊強度の測定を行うとともに,間隙水圧が及ぼす破壊強度への影響が明らかになった。これとともに岩石物性測定の技術が確立された。

この時期の岩石破壊関連の分野では,ダイラタンシーモデルに代表される巨視的欠陥のない岩石の破壊に先行する非弾性歪変化,その過程で励起される微少破壊振動(AE)に関する研究が主流であった。

 大学は岩石試料の破壊実験によりダイラタンシー現象に伴うAEを測定し,AEに伴う応力降下量が印加応力の増加とともに大きくなること等を見出した。このような室内実験の結果を自然の地震の場に結びつけるには至らなかったが,地震予知計画によってこの種の基礎的実験研究が芽生えた意義は大きい。また,相変化による地震発生を研究目的の一つとして昭和48年度(1973)に六方押しプレスが設置された。これにより,従来行なわれていなかった高い封圧下の岩石の力学的性質の解明の研究が行なわれはじめた。維持費及び周辺計測計器が不足しており,それらの充実を待たなければ十分な成果を上げることは困難な状況にあったが,従来行われていなかった高い封圧(3.8GPa)下での岩石の変形破壊実験が可能となり,実験が開始された。

 なお,大規模野外実験は実施されなかった。

 

(4)地震予知のための組織・体制の整備

 

 第2次地震予知計画の建議に基づき,各分担機関の情報交換及びそれらの情報の総合的判断を行う機関として,国土地理院に昭和44年(1969)4月に地震予知連絡会が設置された。各機関の専門家30人で構成され,年4回の本会議が開催されるほか,適宜,部会が開催されている。また,第3次地震予知計画の再度一部見直し建議に基づき,昭和52年(1977)には地震予知連絡会に東海地域判定会が設置され,同時に東海地域の連続観測データを気象庁へ集中する常時監視体制が取られるようになった。この体制は,大規模地震対策特別措置法の制定及び東海地域の地震防災対策強化地域への指定によって,地震防災対策強化地域判定会として引き継がれ,更なる体制強化が図られた。

 気象庁では観測強化に伴う観測員の増員,地震観測資料の迅速な解析・予知に必要な情報をとりまとめる「地震活動験測センター」の整備とそれに伴う増員が行われた。また「東海地域判定会」が発足して,各機関のデータが気象庁に集中するようになった。第1次〜第3次計画の期間中,地震観測業務は着実な進展を示し,業務的な地震予知支援体制が形成され始めた。地震観測データのテレメータ化及び集中処理解析を含む常時監視体制の整備によって,地震情報,津波情報が迅速に発表できるようになった。このような動きは,ブループリントに述べられた「いつ業務として地震警報が出されるようになるか」に対して,少なくとも体制面においては現実の姿として回答を与えたといえる。大規模地震対策特別措置法が昭和53年(1978)12月に施行され,翌年8月7日気象庁に「地震防災対策強化地域判定会」が発足し,東海地域判定会の機能を引き継いだ。

 国立防災科学技術センターでは地震予知に関連する部門として4研究室18人の組織が整備され,地震予知研究体制の基礎が築かれた。

 工業技術院地質調査所では昭和51年度(1976)に地震地質課,昭和53年度(1978)に地震物性課,地震化学課が新設された。

 大学には講座・部門が増設され,地震予知観測地域センター,微小地震観測所,地殻変動観測所,地磁気観測所が新設された。第3次計画では観測網のテレメータ化が実施された。