T 地震予知計画の推移・概要と社会の動き

 

 昭和40年(1965)に始まり第7次計画まで約30年間に及ぶ日本の地震予知計画は,「業務として地震警報を出すという地震予知の実用化」を目指し,いわゆる「前兆現象」の検出・観測に重点を置き,前兆現象と地震発生の関係を経験的に結び付けようとする,「現象論的あるいは経験的地震予知研究」を主に行ってきた。

 すなわち,地殻変動及び地震活動の観測により「地震の前に捉えられるであろう種々の前兆現象」から,将来起こるであろう地震の「場所」と「大きさ」を予測しようとする「長期的予知」のための全国的観測と,このような長期的予知に基づいて指定された「観測強化地域」において地震直前の前兆現象を捉えて地震が「いつ」起きるかを予測しようとする「短期的予知」のための観測を,基盤となる観測として位置づけて,その拡充に努めてきた。

 地震予知計画は,これまでに整備された観測網によって,プレート収束境界に位置する日本列島の地震発生場としての大まかな力学的構造の理解において大きな成果を上げてきた。しかしながら,観測の密度や精度の向上につれて地震発生現象の複雑性が明確となり,地震予知計画が当初目指した,前兆現象の検出・観測に基づく「地震予知の実用化(すなわち業務として地震警報を出すこと)」への目途は,30余年間を経た現段階においても立っていない。

 このような日本における地震予知計画の推移・概要を社会の動きとともに概観する。

 

1.地震予知−現状とその推進計画−

 地震予知計画は,測地学審議会が5年毎に建議してきた地震予知(研究)計画に基づいて推進されてきたが,その出発点は,昭和37年(1962)に立案された,「地震予知−現状とその推進計画」(以下,「ブループリント」という。)にある。まず最初に日本の地震予知計画のルーツとも言うべきこの研究計画について触れる。

 ブループリントは,@地震を予知することは社会的に重要であり,A地震の発生前には前兆らしき現象が見つかっている,Bしかしながら,観測体制の不備のため良く分からないので,観測を充実させたいが,そのような予知を目的とする観測・測定を行うとすれば相当に大規模なものになり,国家的規模で効果的な研究業務体制を要する,との認識のもとに,「地震予知を目的とする測定を行うとすれば,いかなる種類のものであり,いかなる方法によるべきであるか」といった討議を経て,地震予知実現のための観測・測定並びに実施体制に関する研究計画と期待される効果を具体的に提言したものである。

 ブループリントの基本的な考えは,@地殻内でどのようなプロセスを経て地震が発生するのかについての理論(モデルないしは作業仮説)は今のところ無いが,Aまず第一に,地殻の変動が地震発生とどのように結び付くのか,また小さい地震と大きな地震の活動はどのような関係にあるのか,を観測を通して明らかにし,B地震の前にあるであろう何らかの(前兆的)異常現象を観測できれば地震予知に結び付くはずである,というものである。また,期待される効果として,「規模等級6以上の地震を予知の対象とするならば,統計上日本の陸地または陸地に極く近い海中で,目標とする地震は毎年5回の割合で起こることになり,そのうち破壊地震は毎年約1回になる。従って,本計画による数年間の観測資料蓄積によっても,目標とする地震の発生と観測された現象との関係を明らかにできる公算は大へん大きいと言える」と考えて,「地震予知を事業としてスタートし提言するような観測体制の整備が10年程度で完成すれば,地震の予知がいつ実用化するか,すなわち,いつ業務として地震警報が出されるようになるかという問いに10年後には充分な信頼性を持って答えることができるであろう」と締め括っている。

 

2.ブループリント及びブループリントの10年後の見通しに対する今日的評価

 ブループリントに提言された具体的な計画は,まず地震発生に至るプロセスに関する理論・モデルが無い時には,考えつく観測を行い地震予知の手法を探していこうとする,経験的・実験物理学的観測計画であり,プレートテクトニクス及び食い違い弾性論に基づく地震発生機構の理論が形成される以前の提言及び計画であることを考慮すれば,高く評価できる。この提言を受けて推進された地震予知計画により,極めて貧弱であった当時の観測体制が刷新され,今日の大規模な観測網を構築することを可能にし,それは日本列島全体の地殻変動や地震活動の把握に重要な基礎資料を提供し,地震に関する研究の進展に寄与した面で高く評価できる。 

 一方,ブループリントでは,地震予知がいつ実用化できるかという問いに,「10年後には十分な信頼性をもって答えることができるであろう」としていたが,30年後の今日なお予知の実用化の見通しが立っていない。このことについては,@ブループリントで提言された観測体制が10年では完成しなかったこと,A計画開始からの30年間は陸域下の地震活動が低い時期に当たり,目標とする地震が想定通りの頻度で発生しなかったことから,「十分な信頼性をもって答える」に必要なデータの蓄積が十分では無かったという事実はある。しかし,30余年間進められてきた地震予知計画の成果は,次の2つの点を明らかにしており,結果として,10年後に答えうるという想定が楽観的であったことを示したといえる。

 第1に,M6程度の規模の地震を対象とするには,例えば,微小地震・地殻変動連続観測網の観測点密度は粗過ぎて,当初予想した大地震発生との関係について,系統的に調査できるような観測事例の蓄積には至らなかった。すなわち,前兆現象が発現するものとしても,その発現する範囲及び変化量は,予想よりはるかに狭い領域に限られ,変化量も小さいこと。第2に,その後,地震前の異常現象の報告が増えるにつれ,前兆現象が仮に発現するにしても,それは複雑多岐にわたり,蓄積された事例を総合化して発現機構を究明するとしたら,予想をはるかに上まわる長期間を必要とすること。

 なお,地震予知計画の開始から12年を経過した昭和52年(1977)に「東海地域判定会」が地震予知連絡会内に発足し,さらに,昭和53年(1978)に制定された大規模地震対策特別措置法(大震法)を受けて,昭和54年(1979)には,気象庁に「地震防災対策強化地域判定会」が設置された。これらの措置は,「いつ業務として警報が出されるようになるか」という問に,少なくとも体制面において現実の一つの姿として回答を与えたといえる。しかし,予知手法の科学的根拠と予知情報の社会への影響については,更に検討すべき課題が残されている。

 

3.各計画次における地震予知計画の概要と社会の動き

(1)第1次〜第3次地震予知計画

 ブループリントに基づき,昭和38年(1963)に日本学術会議から「地震予知研究の推進について」の勧告が政府に対して出された。さらに,測地学審議会は地震予知計画研究グループの成果について,それを推進することの重要性を認め,審議会に新たに地震予知部会を設置し検討を重ねた。その結果,昭和39年(1964)新潟地震(M7.5)直後の7月に,測地学審議会は10年を目途とする「地震予知研究計画の実施について」を建議した。後に第1次計画(昭和40〜43年度:1965〜1968)と呼ばれたこの研究計画は,ブループリントが掲げた研究計画を推進するため,地震予知研究の基盤となる測地測量と地震観測を中心とする基礎データを全国的な規模で収集する体制づくりを目指すものであった。まず,測地測量と地震観測を中心に,検潮,地殻変動連続観測,地球電磁気的観測を開始し,その後,地震波速度変化の測定,活断層の調査の実施,次いで地震移動観測班,観測センターの整備と,計画は次々に実施された。この間,昭和40年(1965)に始まった松代群発地震は翌年春に最盛期を迎え,地震予知は大きな社会問題となった。さらに,昭和43年(1968)の十勝沖地震(M7.9)等被害地震が発生したこともあって社会の要請も高まり,測地学審議会は同年7月に地震予知の一層の推進を図る建議を行った。これにより第1次計画は4年で打ち切られ,昭和44年度(1969)からは「予知の実用化」を目標とした観測研究の強化を図る,第2次地震予知計画に移行した。この段階で「地震予知研究計画」から「研究」の2文字が取られ,「地震予知計画」となった。

 第2次計画(昭和44〜48年度:1969〜1973)により,今日の地震予知体制の骨格が形成された。まず,昭和44年(1969)に各地震予知観測担当機関の情報交換や情報の総合的判断を行うために「地震予知連絡会」が設置された。さらに,各機関に観測センターが設置された。昭和45年(1970)には,観測研究の重点的実施のための「特定観測地域」及び「観測強化地域」が指定された。また,研究項目に新たに,活褶曲の調査,東京における深井戸観測,室内及び野外における岩石破壊実験も加えられた。この頃に地震空白域の考えにより,東海地方の地震や根室半島沖地震の可能性が指摘された。昭和48年(1973)6月根室半島沖地震が予測どおりの場所で発生すると,もう一つの注目地域であった東海地方での予知の可能性が社会的にも印象づけられ,予知の実用化に向けた計画を推進する社会的な要請が強くなってきた。

 第3次計画(昭和49〜53年度:1974〜1978)では,このような社会情勢を踏まえ,また,Vp/Vs比の異常現象に関する報告に基づき,地震予知の実用化についてかなり明確な見通しを立てることができるようになったとし,地震の長期予知と短期予知の戦略が提唱された。観測強化地域を中心に地震予知体制の強化を図り,測地測量における光波測距儀の導入,地震観測等におけるテレメータの採用,深井戸観測施設の整備,ケーブル式海底地震計及び埋め込み式体積歪計の設置等新たな観測技術を導入した。この間,昭和50年(1975)に中国における「海城地震の予知の成功」が伝えられるなど,予知の実用化が近づいたとの印象を社会に与え,昭和49年(1974)からの伊豆半島及び周辺の地震活動の活発化や南関東の異常地殻活動の報告を契機として二度にわたる計画の見直しが行われた。

 昭和50年(1975)7月の第3次計画の一部見直しの建議では,観測項目の多様化と基礎的分野の研究の必要性を強調し,実施の遅れている海底地震観測と地殻応力測定の推進を図るべきとされ,新しく推進すべき観測研究計画としては,ダイラタンシー理論に基づく地震波速度の時間的変化及び短周期地殻変動と地球潮汐の関係,地震発生過程,地下水,電気比抵抗変化,地殻構造探査,重力変化の観測研究等が上げられた。また,集中観測(テストフィールド),全国的ネットワークの検討,データの総合処理,歴史資料の収集と解析が総合研究の課題とされるとともに,地震予知観測センター及び移動観測班の整備の推進が計画されたが,研究体制について,省庁を横断した研究プロジェクトチームの編成について重要な提言がなされている。すなわち,「研究的な要素の強い部分に対しては,研究内容に応じて研究チームを作り,弾力的な研究体制によって推進する方向が有効である。その際,研究目的及び内容は事前に精査するとともに,研究プロジェクトチームは,”開かれた”ものとして構成されることが望ましく,従来関係の薄かった学科目制の大学の研究者や,官庁・研究機関及び他分野の研究者をも,適材であればメンバーとして迎え入れていく必要がある。」と記されている。現在から見ても非常に優れた提言である。このような提言を実現していくことが是非必要とされよう。

 この見直しの建議の翌年,昭和51年(1976)には,東海地域の想定震源域が駿河湾奥に入る可能性が高いとする「東海地震説」の発表がなされ,後に地震予知体制の上で重要な影響を与えることになる。昭和51年(1976)の再度見直しの建議では,観測網の強化と東海地域判定組織の必要性を指摘し,予知の実用化を目指して体制を一段と整備充実することとした。これによって,深井戸観測や観測のテレメータ化等,長期的及び短期的予知に有効な観測手法が導入され,観測精度は向上した。

 昭和52年(1977)4月に地震予知連絡会の中に「東海地域判定会」が設置され,昭和53年(1978)には「大規模地震対策特別措置法」が施行されるなど,体制としては東海地域の地震予知は実用化へ一歩踏み出すこととなった。昭和53年(1978)1月の伊豆大島近海地震(M7.0)はこのように強化された観測網内に発生し,顕著な前震が観測された他,いくつかの観測点で地殻歪,地下水中のラドン濃度,地下水位等に前兆的と思える異常が観測された。また,テレメータの導入による震源決定の高精度化は,基礎研究にも大きな効果をもたらし,例えば,二重深発地震面が世界で初めて見いだされ,沈み込むプレート内の応力分布も明らかにされた。

 

(2)第4次〜第6次地震予知計画

第4次計画(昭和54〜58年度:1979〜1983)では,地震の「場所」と「規模」を予測する「長期的予知の手法」を基盤として,地震発生の「時期」を探る「短期的予知の手法」の確立,すなわち前兆現象の的確な検知とその実態の把握に重点をおいた。前兆らしき現象の観測例は次第に増えてきたものの,その出現様式は複雑多岐にわたることが次第に明らかになり,地震予知達成のためには,多種目・多点での観測データの総合的な分析が不可欠であるとともに,地震発生の機構解明等の基礎研究が重要であるとの認識が一層強くなってきた。長期的予知の分野では,全国を対象とした測地測量による日本列島の歪分布の第1回調査が,第4次計画中にほぼ完了した。観測強化地域の精密水準測量では年周変化も検出されるようになってきた。ケーブル式海底地震計の設置により海底で実用的な観測が可能になり始めた。また,地震観測の広域化や検知能力の増大,データ処理速度や精度が向上し,地震空白域の形成,地震発生様式の特徴など,前兆的な地震活動に関する報告があった。例えば,昭和58年(1983)の日本海中部地震(M7.7)では,特徴的な前震活動・地殻変動が検出された,と報告されている。そのほか,全国にわたる活断層分布図が作成され,いくつかの活断層ではトレンチ発掘調査が行われた。これらの観測・調査によって内陸地震についても,発生様式に関する手がかりが得られるようになった。この活断層調査の結果は日本列島内陸における地震発生の場所と規模の長期予測にとって重要な成果と評価される。観測強化地域では,多項目の観測を実施し,気象庁等関係機関及び大学の各データセンターへのデータ集中化が進み,観測体制の充実が図られた。昭和54年(1979)には,東海地域が「地震防災対策強化地域」に指定されるとともに,地震予知連絡会に置かれた東海地域判定会は発展的に解消され,気象庁に「地震防災対策強化地域判定会」が設置され,東海地域の常時監視体制が確立された。観測強化地域以外でも,微小地震観測網の自動処理,データ流通の整備及び地殻活動総合観測線の整備等が行われ総合的な観測研究の基礎が築かれつつあった。基礎的研究の分野においても,関東地方や東北地方における「移動性地殻変動」の発見,山崎断層テストフィールドにおける微小地震活動・地殻変動・地下水・自然電位の前兆的異常変化の検出,ボアホール3成分歪計の開発,岩石破壊実験における前兆現象再現の試み等に進展があった。

 第5次計画(昭和59〜63年度:1984〜1988)では,第4次計画と同様に「長期的予知」及び「短期的予知」の手法の考え方を基本に,観測強化地域及び特定観測地域を中心として観測研究の充実を図るとともに,地震発生機構解明のための基礎研究を幅広く推進した。特に,多項目・高密度な観測と多角的・総合的な解析によって,多様かつ複雑な前兆現象の捕捉を目指した。明治以来100年間の全国にわたる地殻水平歪図が完成するとともに,宇宙技術を利用した測地測量の導入が図られた。地震観測網が引き続き整備され,データの自動処理化が進むとともに,海域における定常地震観測が強化される等,観測能力が質・量ともに高くなった。全国にわたる活構造図の完成とともに,活断層のトレンチ発掘調査により内陸地震の繰り返し発生に関する情報が増した。地震観測から,内陸における上部地殻に発生する微小地震の下限とその下の下部地殻に存在する地震波の反射層の存在から,脆性的な上部地殻と延性的な下部地殻といった,内陸地震発生場としての地殻のレオロジカルな性質に対する理解が深まった。また,地震発生に関連のある地殻活動の特徴の把握や,前兆と考えられる地震に先行する異常現象について報告があった。破壊に伴う現象の実験的解明や地震活動と地殻構造との関連性等の基礎研究も引き続き行われた。データ収集・処理体制の整備や,気象庁の「地震活動等総合監視システム」の整備による常時監視体制の充実等地震予知体制の一層の整備が進んだ。地震波速度変化の観測研究のための爆破探査は,伊豆半島,及び東海地域で行われてきた。計測技術は進歩し測定結果の信頼性は向上しているが,観測誤差を超える地震波速度変化は検出されていないと総括され,第1次計画から第5次計画まで行われてきたこの探査は,第6次計画以降は実施されなくなった。

 第6次計画(平成元年〜5年度:1990〜1993)では,「長期的予知」に有効な観測研究の充実,「短期的予知」に有効な観測研究の充実,地震予知の基礎研究の推進と新技術の開発,地震予知体制の充実の4項目に沿って観測研究の推進を図った。これは,大枠においては第5次計画を踏襲するものであったが,以下の2点に重点をおいた。第1は,内陸地震の予知の実用化を将来の課題として基礎的観測研究の積極的な推進を図った。これは,全国的に展開された地震予知観測網に捕捉される前兆現象に基づいて,大地震の長期的予知(場所と規模の予測)の研究を行うという,従来の「待ち」の考え方から一歩踏み出し,蓄積された資料と現在の知識に基づいて内陸地震研究の重点地域を選び,集中的に総合的観測研究を実施して現在の地震発生能力を積極的に診断しようとするものであり,地域的には地殻の不均質微細構造及びそれと微小地震発生分布との関係の解明が進んだ。第2は,VLBI,SLR,GPS等の宇宙技術を利用した測地測量等の新技術の開発に重点をおいた。その結果,宇宙技術による地殻変動観測が実験段階から実用段階に移行して広域地殻変動の連続的な高精度観測が可能になり,測地測量に新たな展開をもたらした。

 

(3)第7次地震予知計画

 第7次地震予知計画(平成6〜10年度:1994〜1998)は本レビューの時点ではまだ実施途上であるが,第6次計画まで進めてきた「長期的予知・短期的予知」の方式を踏襲するとともに,地震予知の手法を確立し精度を高めるための観測研究について,特に推進すべき課題として,プレート境界地震と内陸地震という異なるタイプの地震を対象とし,プレート運動とそれに由来する広域応力場の把握に基づいて,地震発生の1サイクルの中で現時点を位置づけ,地震発生のポテンシャルを評価することを取り上げている。また,これまでの計画の項目とは異なり,事業の項目が,@地震予知の基本となる観測研究の推進,A地震予知のポテンシャル評価のための特別観測研究の推進,B地震予知の基礎研究の推進と新技術の開発,C地震予知観測体制の充実,の4項目に整理されている。この第7次計画がスタートした平成6年度(1994)には,10月に北海道東方沖地震(M8.1),12月に三陸はるか沖地震(M7.5),平成7年(1995)1月に兵庫県南部地震(M7.2)が発生した。特に,兵庫県南部地震に際しては,多数の尊い人命が失われ,阪神・淡路地域に甚大な災害がもたらされた。これを受けて,同年4月には,地震発生のポテンシャルの評価を目指す観測研究や活断層に関する調査研究等を一層推進するとともに,地震に関する情報を社会に適切に還元する機能を強化し,これに対応する体制を整備するとする,第7次地震予知計画の見直しが建議された。

 また,同年6月には「地震防災対策特別措置法」が制定され,同年7月には同法に基づき「地震調査研究推進本部」が総理府に設置され,行政機構が整備された。地震調査研究推進本部は,全国を対象とした,微小地震観測による地震観測,GPS連続観測による地殻変動観測,活断層調査を基盤的調査観測として取りまとめた。

 全国的に展開されたGPS観測網は,従前であれば測地測量によって10年程度はかかっていた全国の地殻変動速度分布をわずか1年の観測で描き出した他,数々の地震による地震時の地殻変動を短時間のうちに描いて見せ,地震後の余効変動を見事に捉えてきた。このように,これまでの測地測量と比べてはるかに高い時間分解能を持つGPS観測網は,プレートの収束境界域として世界的に見ても大きな変動速度を持つ日本列島における地震時,地震後,地震間及び地震前の地殻変動を捉えつつある。ブループリントに述べられている「日本全域の刻々の地殻の変動を捕え,地殻に関する情報を得る」という意味での測地観測が実現するものと言える。

 また,ブループリントで目指した「全国的に微小地震の活動の消長を詳しく知る」ための高感度地震観測は,全国をカバーし長期間にわたり安定した観測を目的とする基盤的地震観測網として,関係機関により整備されようとしている。ブループリントに提言された微小地震観測網は日本列島が地殻に強い不均質性を持つという現在の知識をもってすれば粗すぎるので,この全国を網羅し業務的な役割を持つ高密度の基盤的地震観測網の完成によって,当初目指した地震観測網が構築されようとしていると言える。