V 「地震予知」の現状認識と評価

 

 地震予知とは,いつ,どこで,どの程度の規模の地震が起こるかを予め知ることである。この3要素が同時に分らなければ地震予知とは言えないと,一般には考えられている。そのように狭く「地震予知」を定義するならば,ここで記述できることは,僅かなものになるであろう。ここでは,研究進展の現状を正確に認識するために3要素同時でなく,いつ,どこで,どの程度の規模か,の各々に関して地震予知の現状がどこまで進んでいるかを記述する。

 ここで記述することのほとんどは,第1次計画策定時には知られていなかった。また,以下に記述する地震の分類についてさえ,当時は思いもよらなかったことである。このことを考えるならば,この30余年間で地震発生について如何に多くの知識が得られたかが分るであろう。これらの進歩のすべてが地震予知計画によるものではないが,地震予知計画が大きな貢献をしたことは間違いない。分類された地震の種類によっては,3要素が同時に分る「地震予知」ではないものの,地震防災に役立ちうる情報が得られている。

 一言で地震と言っても,その震源域の規模は様々である。一般的な期待としては,少しでも被害を伴う地震があれば,それを予知して欲しいということになる。一方,地震学では震源域の規模を考慮し,規模が大きいほど前兆現象も広い範囲で観測されることを期待することが多い。震源域の規模と被害の程度は必ずしも比例せず,一般に予知が期待されている地震と地震学で対象とされやすい地震とは必ずしも一致していない。ここでは,震源域の規模が小さく(M5程度)小被害となるような地震については,検討の対象から除くこととした。また被害範囲が狭いと考えられるM6程度の地震についても,大都市直下の場合を除き,検討の対象から除くことにした。

 地震予知の現状では,「いつ」が最も難しい。このため,「どこで」と「どの程度の規模の」から始め,どのような断層運動をもつ地震かについても触れることにする。そして,「いつ」については最後に記述する。

 日本及びその周辺で起こる地震には,様々な種類の地震がある。ここでは,それらを次のように分類し,その各々に対して地震予知の現状を整理する。「1.陸域の地震(沿岸域を含む)」,「2.プレート境界で起こる海域の地震」,「3.沈み込むプレート内部で起こる地震」,「4.東海地震」,「5.首都圏のやや深い地震」,「6.その他の地震」。さらに,最後に「7.」で外国で地震予知に成功した例とされている,中国の海城地震とギリシアのVAN法を取り上げる。

 陸域の地震として,プレート境界,プレート内部に限らず「1.」としたのは,プレート境界が日本の陸域を通ること自体に議論があるためと,陸域でプレート境界と内部とを区別する利点がないためである。なお,ここで言う陸域の地震(沿岸域を含む)はすべて浅い地震で,地震発生層(深さ15〜20kmまで)内部で起こる地震を指す。いわゆる日本海東縁部の地震がプレート境界の地震かどうかについて議論があるが,ここではその北部を「2.」に南部を「1.」に含めるものとする。「3.」の沈み込むプレート内部の地震は,海域のプレート内部の地震と,やや深い地震とを含む。東海地震の断層面は陸域にまたがっていると言われる。本来,「2.」に含まれるべきであろう。しかし,地震予知の現状を認識する上で必要なので,別項とした。また,首都圏直下のプレート境界は一般のプレート境界とは異なり,通常よりも深い場所でプレート境界の地震が起こっている。このため,「5.」を別項とした。なお,首都圏直下でも地震発生層内の地震については主に「1.」で,沈み込むプレート内の地震については主に「3.」で取り扱うものとする。また,余震,群発地震等については「6.」で取り扱う。

 

1.陸域の地震(沿岸域を含む)

(どこで)

 ここでとりあげる陸域の地震は浅い地震である。日本海東縁部の南部の地震もここに含むこととする。これらの地震は地震発生層と呼ばれる深さ約15km程度までの層の中で起こる。場所によっては,その深さが20kmに及ぶところがある。日本のごく一部の地域では,その深さが詳しく分っているものの,全域については明らかにされていない。地震発生層が厚いほど,そこでは大規模な地震が発生し易いのではないかと思われるが,まだ十分には実証されていない。

 活断層は,それが正しく認定されている限り,将来大地震が発生する場所と考えられる。この意味で「どこで」は既知と言える。しかし陸域の地震のすべてが,既知の活断層で起こるわけではない。既知の活断層で起こらない場合は,次のように二つの場合が考えられる。震源断層が地表に達しない場合と,活断層の平均ずれ速度が小さく活断層として認知されていない場合とである。

 震源断層が地表に達しない限り活断層としては認められないので,「どこで」が分るには,震源域の規模がある程度以上大きくなければならない。明治以降陸域で起こった地震の調査から,M6.8〜M7.1では震源断層が地表に達する場合と達しない場合とがあり,M7.2以上では地表に達することが分っている。よってM6.8未満の地震については,活断層から情報を得ることは困難であり,M6.8〜M7.1の地震については,活断層から情報が得られないこともあると考えられる。なお,過去のM6.5以上の地震については,活断層の多い地域の方が起こり易いことが分っている。

 活断層は,平均ずれ速度によって,活動度の高い順にA級,B級,C級に分類される。このうちA,B級まではほとんど認知されていると考えられるが,C級については,地震の規模と発生頻度の関係などから,まだ認知されていない活断層が数多く存在するはずであるとの考えがある。一方,明治以降の陸域の地震で,震源断層が地表に達したものは,A,B,C級とも数がほぼ等しい。C級の活断層のかなりの数が認知されていないとすると,震源断層が地表に現れるような地震でも,その三分の一近くは認知されていないC級活断層に起こると予想される。

 なお首都圏や南関東の活断層は厚い堆積層に隠されているとの議論がしばしば見られる。しかし,これらの地域のかなりの部分は,数万年から十数万年前にできた台地の堆積物で覆われている。よって,地震の繰り返し間隔が数万年から十数万年程度以上の活動度の低い活断層でなければ,十分識別可能である。実際繰り返し間隔が五千年程度と推定される立川断層は,地形から明瞭に活断層であることが認められる。なお,利根川,荒川沿いの沖積平野の狭い範囲に限定される活断層は別である。

 以上をまとめると,M7.2以上の陸域の地震は,認知されている活断層で起こることが多いが,認知されていないC級の活断層で起こることもある。また,M6.8未満の地震はどこで起こるか分らず,M6.8〜M7.1の地震でも活断層が認められない場所で起こる可能性がある。ただしM6.5以上の地震は,活断層の多い地域に起こり易いことが分っている。

 なお,詳しい活断層の位置は,都市圏活断層図(二万五千分の一,国土地理院発行,45面)によって,三大都市圏及び政令指定都市等について公開されている。このほか微小地震が線状に分布する地域があり,これが地下の震源断層を表しているのではないかと考えられている。この考えが正しければ,M6.8未満の地震でも「どこで」が分る可能性がある。

 

(どのような,どの程度の規模の)

 陸域で起こる地震の断層運動には,顕著な地域性があることが,活断層や過去に起こった地震のメカニズムから分っている。東北地方では逆断層が,本州中央部から西南日本では横ずれ断層が,九州の島原−別府地溝帯では正断層が卓越する。また活断層の傾きやずれの向きが分っている場合には,どのような断層運動となるか予測することができる。

 陸域で明治以降起きた最大の地震は明治24年(1891)の濃尾地震(M8.0,断層長80km)であるが,地震史料や活断層のトレンチ調査の結果等を考慮すると,M7.8± 0.1とされる1586年天正の地震やM7.5±1/4 とされる1596年慶長伏見の地震のほうが濃尾地震より大きかったかもしれない。なお,糸魚川−静岡構造線活断層系では,約1200年前にM8±1/4 の地震(断層長120km)が発生した可能性が高いとされているが,異論もある。

 断層で起こる地震の震源域の規模は,断層の長さや,一回の地震でずれる量から,経験式を用いて予測することができる。しかし,長大な活断層系の一部で地震が起こったり,複数の活断層で同時に地震が起こったりするので,断層の長さの経験式を実際に適用する際には,困難を生じる。どこから,どこまでを長さとすべきなのか,必ずしも自明ではないからである。また一回の地震でずれた量は,横ずれ断層の場合,トレンチ調査から復元することが一般に難しい。震源域の規模としてM7程度かM8程度かは,活断層から予測できる場合が多いが,正確な予測ができるとは限らない。

 認知されていない活断層で起こる地震は規模の推定ができない。微小地震の線状分布からその長さを求め,断層長の経験式を用いて規模を推定することは可能である。ただし,微小地震の線状分布が震源断層を表しているという確証はない。

 

(いつ)

 活断層で起こる地震が「いつ」起こるかについては,過去の活動から平均繰り返し間隔と最後に地震が起こった時期とを求め,これらに基づいて将来の活動時期をおおまかに予測することができる。ただし平均繰り返し間隔自体が長く,短くとも千年程度であることと,繰り返し間隔のばらつきが大きいことにより,予測される時間幅は長い。例えば,糸魚川−静岡構造線活断層系では,「現在を含む今後数百年のうちに」最大M8程度の地震が起こる可能性が高いと評価されている。これまでの調査結果では,繰り返し間隔のばらつきは平均間隔の0.5〜1.5倍程度(あるいは,一説に0.5〜2倍程度)にほぼ収まっている。

 なお,平成7年(1995)兵庫県南部地震の際にずれた野島断層が,1596年慶長伏見地震の際にもずれた可能性が指摘され,活断層で発生する地震が時間的にランダムに起こるとの主張がある。しかし,詳しいトレンチ調査の結果から,野島断層の前の地震は約2000年前に起こったと考えられている。ただし,淡路島で今回活動しなかった東浦断層は1596年に有馬−高槻構造線断層帯とともに活動した可能性が高いことが判明しており,どこまでの断層が同時に活動するのかを予測することは難しい。

 活断層の数は多いが,過去の活動が判明している活断層はごく少数にすぎない。このため現在集中的に活断層のトレンチ調査が進められている。しかし,トレンチ調査を行えば,必ず過去の活動が明らかになるとは限らない

 トレンチ調査から平均繰り返し間隔が判明していない場合でも,一回の地震でずれる量が分れば,平均ずれ速度を用いて平均繰り返し間隔を求めることができる。一回の地震でずれる量の推定については,既に述べたような困難がある。一回の地震でずれる量を経験式から断層長によって推定することもできるが,この場合にはやはり断層長の推定が問題となる。平均繰り返し間隔とともに,最後の地震がいつ起こったかが分らなければ,将来の予測はできない。ただし,歴史の記録から地震が起こっていないことを情報として用いることによって,ある程度の予測が可能となる場合があり,要注意断層として知られている。

 認知されていない活断層や活断層のない場所で起こる地震については,上記の手法を用いることはできず,「いつ」起こるかは分らない。

 上記手法では,正確に「いつ」であるかは分らないが,前兆現象を捕らえられれば(異常現象が観測され,特定の地震の前兆であると判定されれば),より正確な予測の可能性がある。ただし,これまで観測された異常現象から,事前に震源域の位置や規模の特定や地震発生時の予測ができた例はない。

 

参考文献

・活断層研究会, 1991, 新編日本の活断層, 437pp.

・Matsuda, T., 1981, Active faults and damaging earthquakes in Japan

Macroseismic zoning and precaution fault zones, Maurice Ewing Ser.,

4, 279-289.

 

2.プレート境界で起こる海域の地震

 ここでとりあげる地震は海域の浅い地震だが,プレートの相対運動によってプレートの境界面でずれを生ずる場合に限る。なお,いわゆる日本海東縁部の北部の地震はこの節で扱うこととする。しかし,日本海東縁の北部をプレート境界と認めない説もある。日本海東縁部の南部のプレート境界については,佐渡の東を通るか西を通るか確定していない等の問題があるので,むしろ幅広い変動帯と考えて前節陸域での取扱いに含めた。なお,プレート境界のやや深い部分で起こる首都圏直下の地震は「5.」で扱う。

 

(どこで)

 プレート境界でのずれは地震を伴う場合が多く,基本的にプレート境界は地震が発生する場所と考えてよい。この意味で「どこで」については,日本付近のプレート境界が確定した時に,答えられたと言うことができる。ただし震源域の規模や,繰り返し間隔には地域性があり,プレート境界のどこでも同じような規模の地震が起こる訳ではない。また歴史資料から,震源域の規模が時間的に変動することや,繰り返し間隔にばらつきがあること等が分っている。

 例えば,千島海溝から日本海溝の福島県沖までの部分や南海トラフでは,巨大地震の震源域が互いに重なり合うことなく,プレート境界を覆っているように見える。これはプレートの相対運動が,これらの地震(=震源域でのずれ)によって受け持たれていることを示している。ただし,相対運動のすべてが地震によるとは限らない。

 地震波から推定される震源域の規模に比べて津波の振幅が異常に大きい,いわゆる津波地震がプレート境界では発生する。さらに,地震を伴わないずれ,いわゆるサイレントアースクェイク等も存在する。プレート運動と地震活動とを比較することによって,千島〜日本海溝ではプレート運動のほぼ半分程度が,また伊豆・小笠原海溝ではほとんどの部分が地震を起こさないずれで解消されていると推定される。一方,南海トラフではほとんどの部分が地震によって解消されていると考えられる。このように,地震によるずれがプレートの相対運動の何割を占めているかにも地域性がある。サイレントアースクェイクは被害がないのでそれ自体は問題ないが,地震活動のみから地震発生を予測することを難しくさせている可能性がある。

 千島海溝から日本海溝の福島県沖までの部分や南海トラフでは,近年起こった大地震の震源域をプロットすると,空きを生ずる場合がある。これは(第一種の)空白域と呼ばれ,経験的に次の大地震が発生する場所と考えられたが,後にプレートテクトニクスに基づき,ずれずに残っている場所と解釈されるようになった。プレート境界について「どこで」大地震が発生するかを知るための有力な手段となっている。実際,千島海溝から日本海溝との会合部までの大地震の震源域のプロットから,昭和44年(1969)北海道東方沖地震(M7.8)後,根室沖が空白域となったことが判明し,この地域での大地震発生が昭和47年(1972)に予知された。実際に,昭和48年(1973)には根室半島沖地震(M7.4)が発生し,規模はともかくとして発生場所の予知に成功したと言って良いであろう。

 プレート境界地震は,海のプレートの沈み込みによって陸のプレートが引きずり込まれていき,ある限界に達したところで陸のプレートが反発して戻ることによって起こると考えられている。プレート境界地震が発生すると,それまで押し下げられていた岬などの先端部は地震時に隆起し,圧縮されていた陸が伸張するために海岸地域は,海溝寄りへと変位する。

 繰り返し行われる三角・三辺測量の結果は,このような水平変動を捕らえている。陸側に押されるような変動が見られる地域は,将来反発運動を起こす地域であるから,測量の結果から「どこで」を知ることができる。また,水準測量や潮位の測定から海岸地域の沈下を捕らえることができる。地盤沈下等の影響のない地域では,将来反発運動によって地震時に隆起する地域と考えられるから,これによっても「どこで」を知ることができる。前述の根室沖地震の予知には,三角測量や水準測量,また潮位測定の結果が使われた。

 震源域での地震活動の静穏化現象が,地震発生前に現れるという説がある。この静穏化現象(第二種の空白域)は「どこで」の推定に役立つことがある。前述の根室沖地震の予知でも静穏化現象が指摘された。事前に静穏化現象が認定されて,震源域や規模が予測され予知に成功した例として,日本の例ではないがメキシコ南部オアハカ地震(M7.8)がある。しかし,どの程度小さな規模の地震について静穏化が現れるのか,地震発生の何年前位から出現するかなど定量的な検討を行う必要がある。

 

(どのような,どの程度の規模の)

 プレート境界地震は,陸側プレートの反発運動によって起こり,低角逆断層型の地震となる。ただし,プレートの相対運動の方向がプレート境界に沿う方向に近くなると,横ずれが卓越した逆断層型となる。

 プレートの境界面のどの深さの範囲で地震が発生するかには,地域性がある。日本海東縁部では深さ20〜25km程度まで,東北日本の太平洋側では深さ50km程度までである。一般に,沈み込む方向で見た境界面の幅が長いほど震源域が大きくなり,発生する地震の震源域の最大規模も大きくなると予想される。

 境界に沿った方向の震源域の範囲については,西南日本の下へ沈み込むフィリピン海プレートの形状は複雑で,切れたりたわんだり,また一部は重なったりしている。このような形状とプレート境界で起こる大地震の震源域と何らかの関連があると考えられる。ただし,1707年宝永地震のように,駿河湾から四国西部沖までを震源域とする巨大地震の発生も知られている。東北日本へ沈み込む太平洋プレートの形状はより簡単だが,プレート形成時の不均質性(断裂帯によって異なる場所と時代に形成されたプレートが接している)等が,やはり震源域の範囲と関連していると思われる。ただし歴史資料が豊富ではないので,長い年月にわたって実証されてはいない。

 歴史資料から,震源域の規模が大きく変わる例も知られているが,あまり変化しないとするならば,過去の例から将来の地震の震源域の規模を推定することができる。

 また「どの程度の規模の」地震かは,空白域や陸の地殻変動域の大きさからも推定することが可能である。ただし,根室沖の場合にはM8クラスの地震が予知されたが,発生した根室半島沖地震はM7.4であった。

 茨城沖から房総沖では,プレート境界に大地震の震源域が並ぶようには見えない。最近100年程度の地震観測からは,最大地震の規模はM7クラスと考えられるが,1677年には津波の規模からM8相当と推定される地震が発生した。このような例外的な地震の発生をどのように考え,長期的な地震予知に組み込んでいくかは今後の課題である。

 

(いつ)

 プレート境界面でのずれがすべて地震の発生によってまかなわれるなら,プレート境界での地震活動はプレートの相対速度に依存するはずである。しかし,例えば青森県東方沖(十勝沖地震)と南海地震とでは,プレートの相対運動の速度が倍程度異なるのに,繰り返し発生間隔にあまり差がない。既に記述したように,青森県東方沖では,サイレントアースクェイクの存在等により地震を発生させずにずれを生じることがあるためである。

 青森県東方沖では歴史資料から,震源域の規模がほぼM8(主に津波による推定)の地震が,1677年,1763年,1856年,1968年とかなり規則的に繰り返し発生したと推定されている。また,南海トラフでも歴史資料より14世紀以降100年から150年程度の間隔で地震の発生が繰り返されたことが分っている。なお,これより時代を遡ると200年程度の間隔となるが,近年考古学資料から,その隙間を埋める地震の存在が推定されるようになり,100〜150年程度の繰り返し間隔は更に長く続いたと考えられる。このような過去の発生間隔を統計モデルにあてはめることによって,今後の発生間隔,すなわち「いつ」の問題に大まかな解答を得ることができる。ただし,日本海東縁部の大地震については,歴史資料からその繰り返し間隔を求めることができない。間隔が長いのはプレートの相対運動が小さいためであろうと思われる。過去の地震発生時を知るには,海底堆積物や陸上の津波堆積物等の地質学的調査が必要であろう。

 「いつ」の問題の解決には,統計処理の他に,断層の強度が一定であるとの仮定に基づく時間予測モデルを用いる方法もある。しかし,過去の地震のずれの量を知らなければならない。宮城県沖(昭和53年(1978)宮城県沖地震より沖合いの地域)では1793年と明治30年(1897)にほぼ同地域で同規模程度の地震が起こったと推定されている。時間予測モデルをあてはめれば2000年頃に次の地震の発生が予測されるが,モデルがどの程度現実に適合するかはデータ不足のため評価できない。

 南海道の地震については明治以来繰り返された測量によって,地震活動のほぼ1サイクルに当たる地殻変動のパターンがとらえられている。南海トラフの地震の発生時系列はよく分っており,時間予測モデルを用いた発生時予測も行われている。17世紀以降の地震の震源域(破壊域)は分かっているが,それ以前の震源域の正確な範囲となるとよく分らない。また,同じ南海の地震でも1605年の慶長地震のように地震動による被害がほとんどない津波地震や,1707年の宝永地震のように駿河湾から四国西部沖までが一気にずれる地震等,多様である。なぜそのような変化を生ずるかは未解明であり,その意味で次の地震の「いつ」についての予測はある程度可能でも,その性質までは予測できない。

 震源域での静穏化現象が,「いつ」についてより正確な予測を可能にするのではないかとの考えがある。前述のメキシコ南部オアハカ地震の例では,発生時は予知されなかったが,静穏化域で地震活動が活発化すると大地震の発生が間近いのではないかと予想されていた。実際には1978年初頭から地震活動が活発化しはじめ11月に大地震が発生した。静穏化現象の確認のためには,平常時の地震活動がある程度高い必要があり,一部の震源域のように余震終了後の地震活動が低い場合には困難である。秋田・山形沖でも静穏化現象の可能性が論じられているが,地震活動の低い地域なので,統計的に有意と認められるには時間を要する。

 前述の昭和48年(1973)根室半島沖地震では,1〜2か月前からえりも地殻変動観測所で異常変化が見いだされた。このような観測例の蓄積や,異常発現のメカニズムの解明が進めば,「いつ」の精度をあげることが可能となるかもしれない。

 ここまでは,プレート境界地域での最大規模の地震について論じてきた。しかし,千島海溝から日本海溝宮城県沖まででは,M8程度の地震の他にM7〜8の地震も発生し,被害をおよぼす。例えば,平成6年(1994)三陸はるか沖地震(M7.5)がその例であり,その震源域は昭和43年(1968)十勝沖地震(位置としては青森沖,M7.9)の震源域と重なる。この地域では明治34年(1901)(M7.4)や昭和6年(1931)(M7.6)の地震でも八戸に被害を生じている。これらのM7.5程度の地震については,これまで詳しく調査されておらず,一定程度の規則性をもって繰り返しているかどうかなど,今後の調査が必要とされる。

 

参考文献

・宇佐美龍夫, 1996, 新編日本被害地震総覧, 493pp.

・Utsu, T., 1974, Space-time pattern of large earthquakes occurring off the Pacific coast of the Japanese Islands, J. Phys. Earth, 22, 325-342.

・Kumagai, H., 1996, Time sequence and the recurrence models for large

earthquakes along the Nankai trough revisted, Geophys. Res. L., 23,

1139-1142

 

3.沈み込むプレート内部で起こる地震

 海域のプレート内部で起こる地震と,沈み込むプレート内部のやや深い地震とについてここでは記述する。沈み込むプレートの存在は地震活動のみならず,地震波トモグラフィーによっても解明されている。その意味で発生場所は分っているが,「どこで」の問題が解決されているとは思えない。沈み込むプレートのどの部分でも被害を生ずるような大地震を発生させるのか,特定の場所に限られるのか,限られるとしたらどの場所なのか等が不明だからである。

 便宜的に海溝付近の正断層地震,海溝付近の逆断層地震,やや深い地震の三種にわけることができる。

 海溝付近の正断層地震の有名な例が昭和8年(1933)三陸沖地震(M8.1)である。この他,昭和13年(1938)福島東方沖地震(M7.4及びM6.9)等が知られており,海のプレートが沈み込むための変形によって必然的に生じると考えられている。しかし,事例は比較的稀でどの程度の頻度で発生するか分っていない。「どの程度の規模」か「いつ」かも分らない。

 海溝付近の逆断層地震については,平成6年(1994)北海道東方沖地震(M8.1)の発生によって被害地震として注意すべきことが分ったと言ってよいだろう。どのようなメカニズムで発生するのか,その頻度,最大規模等は不明である。「どこで」「どの程度の規模で」「いつ」起こるのか分らない。

 やや深い地震については,フィリピン海プレート内で発生し千葉県中部に被害をもたらした昭和62年(1987)千葉県東方沖(M6.7,深さ58km)や太平洋プレート内で発生し小被害をもたらした昭和62年(1987)岩手県北部の地震(M6.6,深さ72km)等が知られていたが,平成5年(1993)釧路沖地震(M7.8,深さ101km)のように規模の大きい地震が発生することは予想されていなかった。首都圏ではフィリピン海プレート内の地震だけでなく,太平洋プレート内の地震も被害をもたらす。最近の例では小被害をもたらした平成4年(1992)東京湾南部の地震(M5.9,深さ92km)があるが,明治27年(1894)東京湾北部の地震(M7.0)も太平洋プレート内の地震ではないかとの説がある。このタイプの地震は例が多く,日本全体で頻度を推定することは可能である。しかし,沈み込むプレート内部のどの場所でも釧路沖地震のようにM8に近い規模の地震を発生させるのかどうかは分らない。頻度分布から平均的な危険度を推定することは可能であっても,「どこで」「どの程度の規模で」「いつ」起こるのかは分らない。

 プレート内部の応力状態を推定するための基礎的な研究が必要であろう。

 

参考文献

・Kanamori, H., 1971, Seismological evidence for a lithospheric normal

faulting - The Sanriku earthquake of 1933, Phys. Earth Planet. Inter., 4, 289-300.

・Katsumata, K., M. Ichiyanagi, M.Miwa and M. Kasahara and H.Miyamachi, 1995, Aftershock distribution of the October 4, 1994 Mw8.3 Kurile

islands earthquake determined by a local seismic network in Hokkaido, Japan, Geophys. Res. Lett., 22, 1321-1324.

 

4.東海地震

 日本全域の繰り返し三角測量の成果により,東海地域では海溝側から陸側への変位が認められ,プレート境界地震(昭和19年(1944)東南海地震)によって歪みが解消されていないことが昭和45年(1970)に明らかとなった。水準測量の結果も掛川に対し御前崎付近が沈降を続けていることを示しており,海のプレートの沈み込みに伴う陸側の変形が進行中であることが確かめられた。これらのことから,東海沖に将来プレート境界地震が発生すると考えられるようになった。なお,同様の地殻変動は北海道東部でも起こっていることが昭和47年(1972)に指摘されて根室沖にM8級の地震発生が予測されたところ,昭和48年(1973)に根室半島沖地震(M7.4)が発生した。昭和51年(1976)には新たに注目された史料から1854年安政東海地震の震源域が駿河湾内に及んでいたことが明らかとなった。これまで漠然と東海沖と考えられていた「東海地震」が,駿河湾内を震源域とし静岡県等に多大な被害を与える地震であると考えられるようになった。また,安政東海地震の断層モデルと昭和19年(1944)東南海地震の断層モデルとの比較から東海地震の断層モデルが提出された。このようにして「東海地震」の震源域の位置と規模については,概ね一致した見解が得られている。しかし駿河湾南方の銭洲海嶺を震源域とする説もある。

 一方,東海地震の発生時期に関しては一致した見解はない。いつ起こってもおかしくないとする説から,東海地域単独での発生事例はこれまでにないので次の東南海/南海道地震発生時まで起こらないとする説まで,様々な見解が出されている。他に,昭和49年(1974)以来活発となった伊豆半島の地震・地殻変動が広義の前兆であるとする説や,本来昭和19年(1944)東南海地震発生時に発生するはずが,明治24年(1891)濃尾地震発生の影響で遅延しているとする説等がある。

 昭和51年(1976)12月測地学審議会の建議では,観測の強化,監視体制の充実,判定組織の整備が必要とされ,その推進が図られるとともに,昭和53年(1978)には大規模地震対策特別措置法が施行された。静岡県等が地震防災対策強化地域に指定され,内閣総理大臣による警戒宣言発令を前提とした各種の防災施策が実施された。内閣総理大臣の警戒宣言は,気象庁長官からの地震予知情報の報告に基づき,地震防災応急対策を実施する緊急の必要がある場合に発せられる。なお,報告は気象庁長官の私的諮問機関である地震防災対策強化地域判定会の科学的な検討を踏まえて行うこととなっている。これらの体制の基本となる観測事実は,昭和19年(1944)東南海地震の直前に水準測量によって捕らえられたと考えられる異常な地殻変動であろう。地震は12月7日13時35分に発生したが,その前日の午後と当日の午前には掛川からその北西の三倉への水準路線の一部が往復で測定されており,往路と復路の差から700mで約4mmの海側が隆起する地殻変動を生じたと推定されている。また,1970年代後半の時点では,大地震の直前に断層面の深部延長部等でゆっくりしたずれが生じることを示唆する観測結果等が海外でも出され,かなり普遍的現象であるとの印象もあった。しかしその後現在に至るまで,このような大地震に先行するゆっくりとしたずれが確実に捕らえられたという報告はない。

 地殻変動以外の前兆現象として前震がある。しかし一般に,特定の地震活動を事前に前震であると判定する手法はない。また,過去の東海地震について顕著な前震活動は知られていない。駿河湾内では平成7年(1995)4月18日にM4.5の地震が発生した後も,M2程度の地震が比較的短期間に発生することがあり,また,平成8年(1996)10月5日には静岡県中部の,少なくとも過去十数年間地震が無かった場所(プレート境界付近)にM4.4の地震が発生した。これらの地震と「東海地震」との関連が注目されているが,今後の検討課題である。

 室内岩石破壊実験や,実験を説明する断層面上の摩擦則の提唱,またそれに基づく破壊生成に関する理論的研究等が進められた結果,弾性波を発生させる高速のずれに先行して,ゆっくりしたずれを生ずることが明らかとなった。この結果を実際の地震の場合に適用して震源域の5〜10%の面積でこのようなゆっくりしたずれが生ずるとの考えもある。このずれは,高速破壊が開始する地点(震源)の近傍で起こると考えられている。しかし,昭和19年(1944)東南海地震の震源は紀伊半島東方沖であり,先行的なずれを生じたとされる掛川近傍とは200km程度離れている。

 将来発生するとされる「東海地震」の直前にも,東南海地震直前に水準測量で捕らえられたと考えられる程度の地殻変動が起こり,またその時間的経過が東南海地震直前に起こったと考えられているのと同じであった場合は,地殻変動の大きさから考えて,現在の観測網でそれを捕らえることは可能である。また,迅速に判定会が招集されて前兆と判断されるならば,地震発生前に警戒宣言が発令されることになろう。その意味で,「東海地震」の予知は可能である。

 しかし,前兆現象の複雑多岐性を考えると,同じ現象が「東海地震」で繰り返されるという保証は必ずしもない。地震に至る過程が上記と時間的経過が著しく異なる場合,或いは地殻変動の振幅が小さい場合,「東海地震」の予知は困難である。予知が可能となる割合はどの程度なのかとの疑問を生ずるが,残念ながら昭和19年(1944)東南海地震の事例のみからでは,予知が可能である場合の確率を推定することはできない。

 

参考文献

・Ishibashi, K., 1981, Specification of a soon-to-occur seismic faulting in the Tokai district, central Japan, based upon seismotectonics,

Maurice Ewing Ser., 4., 297-332.

・茂木清夫, 1982, 日本の地震予知, 251-292.

 

5.首都圏のやや深い地震

 首都圏の地震には浅い地震発生層内で起こる地震や,やや深いプレート内で起こる地震があるが,既にそれらの地震については,それぞれ「1.」及び「3.」で取り扱った。また,大正12年(1923)関東地震(M7.9)のようなプレート境界の浅い地震については「2.」で取り扱ったので,ここではプレート境界のやや深い地震をとりあげる。

 首都圏直下ではやや深い地震の活動が活発である。特に茨城県南西部では北西−南東に伸びる二列の活動域が顕著である。この東側の活動域を茨城県南西部筑波側,西側の活動域を茨城県南西部鬼怒川側と呼ぶ。また,千葉市を中心とする地域にも活動域があり,千葉県中部と呼ばれている。首都圏直下には相模トラフからフィリピン海プレートが沈み込んでおり,既に「2.」で扱ったタイプのプレート境界地震が起こる。首都圏直下では,この境界面の更に深い部分でも地震を発生する場合がある。昭和43年(1968)埼玉県中部の地震(M6.1,深さ50km)や茨城県南西部鬼怒川側で起こる地震(深さ40〜60km程度)がこのタイプの地震と考えられている。しかし,この境界面のどこでも地震が発生するのかどうかは分らない。この境界面上でM7の地震が発生するとして震度6以上となる地域を推定する場合,境界面上のどの部分でもM7の地震が発生しうると考えると,南関東のどこでも震度6以上となる可能性があることになる。このように重要な課題にもかかわらず,「どこに」についてこれ以上答えることは今のところできない。

 江戸に甚大な被害をもたらした1855年安政江戸地震(M6.9)がこのタイプの地震であった可能性がある。しかし前述のように首都圏直下には様々なタイプの地震が発生しているので,歴史資料のみから推定するには限界がある。この地震の規模及びプレート境界面が湾曲しており広大な震源域が予想しにくいこと等から,「規模」については通常M7と想定されている。平成4年(1992)に中央防災会議は「ある程度の切迫性を有している」としたが,「いつ」に関する定量的な検討は困難である。なお,プレート境界地震であればその繰り返し間隔は千年オーダーではなく,百年オーダーであろうと思われる。

 日本海溝からは太平洋プレートが沈み込んでおり,これより上にあるフィリピン海プレートとの境界でも地震が起こっている。茨城県南西部の筑波側と千葉県中部で起こる地震がこのタイプの地震である。両区域の中間には地震の空白域があるが,本来地震を発生する能力のない地域なのか,将来地震を発生する地域なのか不明である。この地域を除けば,発生地域は限られており「どこで」を特定することができる。これまで発生した地震はM6〜7程度で小被害にとどまっている。このため「規模」はその程度と考えられている。しかし,「いつ」については全く分らない。

 

参考文献

・岡田義光, 1990, 南関東地域のサイスモテクトニクス, 地震, 43, 153-175. 

・Ishida, M., 1992, Geometry and relative motion of the Philippine Sea

plate and Pacific plate beneath the Kanto-Tokai district, Japan, J.

Geophys. Res.,97, 489-513.

 

6.その他の地震

 ここでは余震,群発地震や,陸域の地震とプレート境界の地震との関連等について取り扱う。

 余震はほぼ統計則に従って発生しており,本震直後に過去の経験則を用いて,余震の発生確率を予測することができる。また,実際に発生する余震を観測してほぼリアルタイムに余震の統計則のパラメータを決定し,実状にあった予測を行うことも可能である。一般的に余震数は統計則に従って減少するが,予測以上に減少する静穏化現象が見られることがある。静穏化の後に余震数が回復し,その後に比較的規模の大きい余震が発生した例が報告されており,規模の大きな余震を「地震予知」できる可能性がある。この場合は「どこで」は余震域であり,特にその端の可能性が高い。これまでの報告例の多くは,本震との規模(マグニチュード)の差が1.2以内の大きな余震(場合によっては,余震の方が大きい双子地震)なので,「規模」についてもある程度の推定が可能である。また,上記のように静穏化現象後に回復が見られたらその後に発生すると考えられるので,「いつ」についても答えることができる。ただし,予測の幅は本震直後なら短いが,一週間程度経過すると長くなる。一定数の余震が発生する時間間隔は,本震後の時間経過にほぼ比例するからである。なお,地震によっては,余震の発生が統計則にあてはまらない場合があることに留意しておく必要がある。

 平成7年(1995)兵庫県南部地震(M7.2)の余震について,準リアルタイムでその活動予測が試みられたが,大きな余震は起こらなかった。静穏化とその回復現象は,余震域南西端で起こった最大余震M4.9では認められなかったが,北東端で起こった余震M4.7では認められた。このことは,実用的な予知に用いるにはまだ問題があることを示していると思われる。

 群発地震活動は通常限られた地域で起こる。これまでの地震観測や歴史資料から発生が知られている地域及びその周辺に起こることが多い。その意味で「どこで」については,ある程度の予測ができている。また,過去の経験や群発地震発生域の大きさから,「規模」についてもある程度の目安を与えることができるが,正確な予測は難しい。特に困難なのは「いつ」活動が終了するかである。

 伊豆東方沖では昭和53年(1978)末以降,繰り返し群発地震活動があり,平成8年(1996)10月にもあった。この地域では昭和5年(1930)にも同様な群発地震活動が報告されている。昭和5年(1930)には北伊豆地震(M7.3),昭和55年(1980)には伊豆半島東方沖地震(M6.7)が発生したが,これらの地震の関連はよく分っていない。群発地震活動と伊豆東岸での地殻変動は空間的にも時間的にもよい一致を示し,マグマあるいは熱水が地殻浅部にほぼ鉛直の板状に注入されて発生するものと考えられている。地殻変動観測から活動経過の現状を把握して活動の見通しを立てるなど,これまで発生した現象の範囲内であれば,ある程度の予測をすることは可能である。ただし,個別の地震については,活動の最盛期後に最大地震が起こることが多いという経験しかない。ほぼ同じ場所で繰り返し発生しているので,「どこで」についてはよく分っている。「規模」については,昭和53年(1978)以降の現象の範囲内であれば,最大地震M5程度と思われる。

 西南日本の陸域の地震については,プレート境界地震の数十年前から十年後が活動期と言われている。実際,これまでの活動経過を見るとそのような傾向が認められる。しかし,西南日本全体を考えるとプレート境界地震の前の大地震の活動は統計的にあまり有意ではない。一方,プレート境界地震後の活動は統計的に有意である。しかし,地域性があり,プレート境界地震の前だけ活動が活発となる地域もある。これらが偶然によるのか物理的に意味をもつのか,プレート境界地震による応力解放過程や,地震前の応力蓄積過程の研究からの物理的な検討が必要である。東北日本にも活動期があると言われるが,西南日本に比べてデータが少ないという問題がある。

 

参考文献

・Matsu'ura, R.S., 1986, Precursory quiescence and recovery of

aftershock activities before some large aftershocks, Bull. Earthq. Res. Inst., Univ. Tokyo, 61, 1-65.

・Tada, T. and M.Hashimoto, 1991, Anomalous crustal deformation in the

northeastern Izu peninsula and its tectonic significance -tension

crack model-, J. Phys. Earth, 39, 197-218.

・Okada,Y. and E.Yamamoto, 1991,Dyke intrusion model for the 1989 seismo volcanic activity off Ito, central Japan, J.Geophys.Res., 96,

10361-10376.

 

7.海城地震とVAN法

 日本での地震予知の現状は,地震がいつ,どこで,どの程度の震源域の規模で発生するかを的確に予知し,警戒宣言を発令する「地震予知の実用化」にはほど遠い。一方,ニュース等では海外での地震予知成功例が報道されている。ここでは予知に成功したと言われる中国の昭和50年(1975)海城地震と,予知に成功していると言われるギリシアのVAN法について記述する。

 海城地震(M7.3)は地震活動の低い,中国東北部遼東半島の北で昭和50年(1975)2月に発生した。震源域から約200km離れた観測点で昭和49年(1974)から傾斜変化が始まり,震源域を中心とする100〜200kmの範囲で井戸水や動物行動の異常が前年12月から報告されはじめ地震発生まで続いた。この他,地電流や傾斜変化の報告がある。地震発生は2月4日19時であったが,前日午後から微小地震活動が活発化し有感地震も発生するようになった。当日午前には微小地震が一時間あたり60回を超えてM4.7,M4.2の地震も発生し,一般の人々も異常状態であると感じたのではないかと思われる。昭和45年(1970)にこの地域に地震観測所が建設されて以来5年間では,観測された微小地震数は9個で最大M1.8であったとのことであるから,著しく異常な活動である。屋外への避難の後に大地震が発生し,死傷者を大幅に軽減できたと言われている。

 この地震の翌年7月28日,南西に約400km離れた唐山市で発生した唐山地震の際には,避難勧告を出すことができず,約24万人の死亡者を出したと言われている。この地震の際も,井戸水や動物行動の異常,地殻変動,地電流,比抵抗等の異常が観測されていた。しかし前震活動はなく,この違いが二つの地震の明暗を分けたものと考えられている。地震予知は困難であるというのが,現在,中国の地震学者の多数の意見である。

 一方,VAN法についてはその主唱者でかつ実践者である,ギリシアのVarotsos教授が有効であることを主張している。しかし反対意見も強く,これまでシンポジウムや雑誌の特集等での討論が繰り返されているが,主唱者も反対者もともに譲らず論争が続いている。震央距離100km以内,Mの差0.5以内,地震前兆と判定される地電位異常が現れてから10日程度以内に発生した場合を予知の成功とすると,60%程度の成功率であるとの推定がある。しかし,用いる地震カタログや余震の取扱い等の違いによりこの数値は異なり,予知の成功は統計的に有意ではないとの見解もある。

 主張の当否は別としても,現在ギリシアのVarotsos教授が行っている方法をそのまま日本で実施することは困難である。観測される電場異常と,地震予知の3要素(発生時,場所,規模)とが経験則によって結びつけられているからである。また,実用的な予知のレベルで考えると,予知率60%とされるレベルでさえ,地震予知の3要素についての誤差が大きすぎると思われる。

 日本でもNTTの通信施設を利用した地電位観測が行われており,伊豆大島で観測された地電位差異常が伊豆半島東方沖群発地震の前兆である可能性が指摘されたことがある。しかしその後の詳細な解析の結果によれば,人工擾乱による異常であった可能性が高い。平成5年(1993)2月能登半島沖地震(M6.6)後に,能登半島で前兆と思われる地電位差異常が観測されたとの報告がある。その後も異常があると報告されたが,対応する地震は付近では発生しなかった。同年7月北海道南西沖地震(M7.8)発生後に,この地震の前兆であると主張されたが,その当否は分らない。

 

参考文献

・朱鳳鳴, 1976, 海城に発生したM7.3の地震に関する予知・予報と防災の概況,

 中国地震考察団講演論文集, 15-26.

・Debate on "VAN", Geophys. Res. Lett., 23, Number 11, 1996.