日記史料有感地震データベース

収録した日記史料について(解題)

『広瀬久兵衛日記』

解題 広瀬家は西国郡代の掛屋を勤める一方、九州諸藩の藩財政・専売制に関わっていた。また私塾咸宜園からは多くの門人を輩出した。そうしたことから広く人的ネットワークを有し、多様な政治・経済情報を収集していた。そのため久兵衛の各地の移動は頻繁であり、定点観察という面ではやや難がある。この他広瀬家には、同時期の日記として「本家日記」「旭窓日記」「淡窓日記」などが伝来している。
【参考文献】東京大学史料編纂所研究成果報告書2008-2『近世後期における地域ネットワークの形成と展開 日田広瀬家を中心に』(科学研究費補助金基盤研究(B)研究成果報告書)
所蔵 広瀬資料館
刊本
現存年代
採録期間 天保13~安政4 (1842~57)
記録日数 嘉永6年:355日/355日、安政1年:384日/384日、安政2年:345日/354日、安政3年:349日/355日、安政4年:384日/384日
主滞在地 大分県日田市

一覧に戻る

日記史料有感地震データベースに戻る