日記史料有感地震データベース

収録した日記史料について(解題)

『惕軒日記』

解題 日記の記主鈴木惕軒は、越後国三島郡片貝村の医師小川玄沢の三男として生まれ、のち儒学塾長善館に入門し創立者鈴木文台の養子となった。日記は全79冊で、形態は大部分が横半帳である。安政年間(1854~60)の記録は長善館の塾生としての内容が主となる。日々の生活のほか、講読した書籍なども書かれている。刊本による翻刻は明治5年(1872)まで。
【参考文献】溝口敏麿「「惕軒日記」解題」(『新潟県文化財年報第十四 長善館学塾史料(下)』新潟県教育委員会、1974年)
所蔵 新潟県立文書館
刊本 新潟県教育委員会編『新潟県文化財年報第14 長善館学塾史料 下』新潟県教育委員会、1974年
現存年代 安政1~明治27 (1854~1894)
採録期間 嘉永7~安政4
記録日数 嘉永7年:354日/384日、安政2年:263日/354日、安政3年:319日/355日、安政4年:306日/384日
主滞在地 新潟県燕市

一覧に戻る

日記史料有感地震データベースに戻る