日記史料有感地震データベース

収録した日記史料について(解題)

『林鶴梁日記』

解題 幕府代官林鶴梁(1806-1885)の日記。天保14年(1843)~文久元年(1861)の15冊を2,3冊ずつ合綴して全6冊となっている。縦18㎝×横13㎝。うち弘化1・2年、安政4・6年は欠本。漢学者でもあり、学問所頭取も務め長く江戸に住んだ。江戸では長年麻布谷町近辺に住んだ。その間、弘化3年(1846)1月からは甲府徽典館学頭に任じられ1年間の甲府在勤となる。その後一度江戸に戻り、嘉永6年(1853)に遠江国中泉代官となり5年間赴任する。安政5年(1858)には出羽国柴橋・寒河江に転任する。日記はこの羽州在任中に終わる。
【参考文献】保田晴男編『林鶴梁日記』(日本評論社、2003年)
所蔵 東京都立中央図書館
刊本 保田晴男編『林鶴梁日記 第4・5巻』日本評論社、2003年
現存年代 天保14~文久1年 (1843~1861)
採録期間 嘉永6~安政3
記録日数 嘉永6年:280日/355日、嘉永7年:383日/384日、安政2年:354日/354日、安政3年:258日/355日
主滞在地 静岡県磐田市

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