日記史料有感地震データベース

収録した日記史料について(解題)

『堀凞明(敦斎)日記』

解題 鳥取藩の御儒者を務める堀静軒の次男として、天保元年に生まれる。弘化3年6月から静軒の代勤として学館に出仕。嘉永4年12月に家督相続し、翌年3月に「学館御趣向御用懸り」を命じられ軍制・学制改革に従事した。藩政では改革派として京都・江戸で国事周旋に奔走し、他藩士とも多く交流した。元治元年に藩内の少壮過激派により暗殺された。日記は、嘉永2年から元治元年9月まで残るが、うち嘉永5年9月25日~翌年9月8日及び、安政4年3月25日~安政5年2月28日は江戸詰中の日記である。漢文体で内容は簡略だが、毎日の記事があり、天気の記載もある。
【参考文献】『資料調査報告書 第三集『堀文庫』』鳥取県立博物館、1976年 渡辺隆喜「幕末期鳥取藩の政治情勢と尊攘激派」(『明治大学史紀要』11,1994年)
所蔵 鳥取県立博物館
刊本
現存年代 嘉永2~元治1 (1849~64)
採録期間 嘉永6~安政4
記録日数 嘉永6年:355日/355日、嘉永7年:384日/384日、安政2年:354日/354日、安政3年:355日/355日、安政4年:384日/384日
主滞在地 鳥取県鳥取市

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