火山観測研究の歩み:これまでの流れ 風光明媚な国土を作った火山 —その恵みと災害—

わが国は、中緯度という地理的条件と火山活動により美しい山容がかたちづくられ、風光明媚な国土に恵まれています。しかし、火山は時として大きな災厄をもたらします。日本では約200年前を境に、大きな噴火が発生していないため、大きな噴火災害に対する恐れを忘れがちです。
火山災害を引き起こす大規模な火山噴火は低頻度ですが、一旦発生するとその被害はとてつもなく大きく、かつ広範囲に及ぶことがあります。我々は賢くそれに備える必要があります。

明治から戦後は観測所が拡大

火山噴火予知を目指す研究の大きな目的は、当初から現在まで、火山噴火の可能性や切迫度を事前に知り、研究成果をできるだけ被害の軽減に役立てることです。

日本における科学的な火山噴火の調査は、東京帝国大学の関谷清景教授が、460名以上が犠牲になった1888年の磐梯山噴火に伴う山体崩壊の現地調査を実施したことに始まります。また、近代的な火山観測は、その22年後の1910年に、大森房吉教授が有珠山噴火の際に地震計で観測したのが始まりです。このとき、世界で初めて噴火に伴う火山性地震、火山性微動という現象が発見され、観測すれば火山噴火の予知が可能であるとの考えが芽生えました。

このように火山噴火予知のためには、観測がカギであるとの考えから、1911年に当時活発な活動をしていた浅間山に日本で最初の火山観測所が設置されました(浅間火山観測所)。次いで、1928年には阿蘇火山観測所が設けられています。

戦後は、伊豆大島観測所(1959年)、桜島火山観測所(1960年)、島原火山観測所(1962年)、霧島火山観測所(1964年)など、大学が火山観測所を設置して、火山観測体制が全国規模で、徐々に整えられるようになりました。

火山観測研究のこれまでの流れ

1888年

磐梯山噴火調査。

1880年代

東京気象台が地震火山業務を開始し、全国の地震、噴火などの異常現象の収集を始める。

1910年

有珠山噴火に際して世界で初めて火山性地震、火山性微動の発見。

1911年

わが国初となる火山観測所「浅間火山観測所」が設置、連続観測の開始。

1974年

桜島火山の活発化を受け、「火山噴火予知計画」が建議、開始。以後、2008年までに7次にわたる計画が実施される。

2014年

御嶽山の噴火を受け、研究対象の火山を16から25に追加。

7次にわたる「火山噴火予知計画」

東京大学地震研究所教授 森田裕一東京大学地震研究所教授
森田 裕一(もりた ゆういち)

このような経緯のなかで、1974年に桜島火山が活発化し始めました。これをきっかけにして、文部省(現・文部科学省)の測地学審議会は「火山噴火予知計画」を建議し、第1次計画がスタートしました。噴火予知計画は2008年までの32年間に、ほぼ5年ごとに目標を変えながら、7次まで計画が実施されました。

最初に、観測網をきちんと整えなければならないということから、第1次計画(1974〜1978年)において、観測網を整えることが目標として掲げられました。さらに、気象庁と大学等の研究機関が連絡を密にして、研究成果を気象庁の業務に反映させるために、気象庁に噴火予知連絡会が設置されました。

第2次計画(1979〜1983年)では、火山直下だけではなく、もう少し広い範囲の現象を知ることが重要であるとの考えに基づき、観測網の広域化を図りました。

観測データの精度を高めるため観測機器の高度化をしたのが第3次計画(1984〜1988年)です。すべての火山に対して同じレベルの観測をすることはできなかったので、観測対象の火山を「重点研究対象」「監視強化対象」「その他」の三つに分類しました。

  • 西之島活動初期西之島活動初期(2013年11月20日)。
    新島が海面から姿を現した直後
  • 拡大中の西之島拡大中の西之島(2014年8月26日)。
    旧島(手前の平たい部分)を飲み込みつつある(いずれも海上保安庁提供)

第4次計画(1989〜1993年)では、観測の多項目化、高密度化、高精度化を図っています。それまで地震活動しか観測していなかったものを、地殻変動や火山ガスも観測の対象にしました。また、地下の温度変化を知るために磁場の観測を開始するなど、観測項目を増やすことで、火山の状態を把握する能力を高めていきました。

第5次計画(1994〜1998年)では、「火山噴火予知のためには、噴火発生の場である火山体内部の構造を理解する必要がある」という考えから、火山体構造把握のための観測研究を推進しました。

次の第6次計画(1999〜2003年)では、噴火ポテンシャル(切迫度)を定量的に把握することを目標に研究を進めました。

第7次計画(2004〜2008年)は、大学が研究対象としていた34の火山を16に絞っています。これは集中して研究する火山を絞りつつ、一方で残りの火山は気象庁の観測に任せることにしたのです。背景には国立大学の法人化があり、研究をより効率的に進めるために、選択と集中を図る必要がありました。

2008年度に終了する第七次計画まで、「火山噴火予知計画」は火山研究単独で進められてきました。2009年から「地震及び火山噴火予知のための観測研究」となり、地震研究と火山研究の双方が互いに補完し、連携して研究を進める体制となりました。その後、2011年に東北地方太平洋沖地震と霧島山新燃岳噴火が発生し、災害の軽減に貢献することに、より重点を置いて研究計画を立案することになりました。その結果、「災害の軽減に貢献するための地震火山噴火観測研究」となったのです。

2014年9月に御嶽山噴火が起こったことにより、大学は重点的に研究を実施する火山を16から25に増やしました。