3.9.1 計算地震工学分野での大規模数値解析手法の開発に関する研究

(1) 断層-構造系システムの大規模数値解析手法の開発

断層-構造系システムとは,対象とする断層と構造物から成る地殻と構造物のモデルである.断層から生成される強震動と,その強震動に対する構造物の地震応答を計算するために使われる.開発されてきた独自のマルチスケール解析手法を改良し,大規模化・高速化を実現し,断層-構造系システムの解析を行っている.なお,大規模化・高速化の結果,従来の手法を凌駕する時間・空間分解能で,断層から伝播する地震動に対する構造物の地震応答を計算することに成功した.
断層-構造系システムの根幹である地震波動の計算では,地盤・地殻構造の幾何形状を詳細にモデル化することが重要であり,このためには有限要素法を用いる必要がある.しかし,有限要素法は差分法に比べ,計算コストが膨大となる.数理的な観点から分析し,計算コストを低減させる効率的なアルゴリズムを考案し,マルチスケール解析手法の計算コードに実装した.実装に際して並列化性能を上げることにも成功した.断層-構造系システムの大規模数値解析手法の開発では,このように基礎的な数理研究と計算科学研究にも重点が置かれている.
首都直下地震を対象として,山手線内の30万を超える構造物の地震動応答解析を行えるだけの解析技術が整いつつある.10Hzまでの精度保証可能な1000億自由度級の有限要素法モデルを用いて,断層から地表までの地震動解析,地表近傍の堆積層による地盤震動解析を行う.これらの解析技術は上記の基礎的な数理研究と計算科学研究に立脚する成果であり,ハイパフォーマンスコンピューティング分野における世界的な賞のひとつであるゴードンベル賞の最終選考論文5編に2014年2015年の2年連続で選ばれた.また,ポスト「京」重点課題アプリケーションのひとつとして選定され,ポスト「京」計算機上へ向けたチューニングが実施されている.
断層-構造系システムの具体的な対象として,大規模地下トンネルや原子力発電所といった実際の大規模構造物も挙げられる.実構造物に忠実な大自由度の解析モデルを構築し,改良されたマルチスケール解析手法を適用し,地震応答を計算している.構造物の特性を理解するためには,民間企業等の協力が必須であり,共同研究を介することで実構造物のより現実的な地震応答解析手法の構築をすすめている.地殻構造の幾何形状が地殻変動の弾性・粘弾性挙動に大きな影響を及ぼすことが指摘されていることから,構築中の技術のこれらの解析への展開も進められている.2016年には,日本列島全てを含む広領域において高詳細な地殻モデルから構築した100億自由度以上の有限要素モデルを用いた弾性・粘弾性地殻変動解析等が行われた.また,2兆自由度を超える有限要素モデル構築技術及びこれを用いた地殻変動解析技術を開発し,プレート境界の応力分布推定のための超高分解能有限要素解析が可能であることを示した.これらの成果は,ハイパフォーマンスコンピューティング分野における世界的な国際会議のひとつであるSCにおいて受賞するなど計算科学の分野においても高い評価を受けている.また,2017年には上述の山手線内の1000億自由度級の有限要素法モデルを用いた解析と人工知能を組み合わせた地震の揺れの推定高度化に関するする成果がSCにおいて受賞するなど,新たな研究の展開が進むと同時にその内容も高い評価を受けている.

(2) 統合地震シミュレーションの開発

統合地震シミュレーションとは,断層から都市各地点までの地震波伝播過程,各種構造物の地震応答過程,そして地震被害に対する人・組織の行動をシームレスに計算するものである.地理情報システムに蓄積された都市データを利用して構築された大規模都市モデルに対し,地震学・地震工学・社会科学の分野で開発されたさまざまな数値解析手法を利用して,大規模計算を行う.この統合地震シミュレーションは,「京」計算機の戦略分野3「防災・減災に資する地球変動予測」の課題の一つとして,また,ポスト「京」重点課題アプリケーション開発の重点課題(3)の「地震・津波による複合災害の統合的予測システムの構築」の一つとして取り上げられている.
本年度は,validation(モデルの妥当性やパラメータの合理性)を進めた.東京工業大学との共同研究において,宮城県の一地区を対象に,地盤ボーリングデータと1,000戸程度の木造家屋データを収集し,地盤と家屋群の都市モデルを構築した.対象地区で観測された地震動を使って,地盤増幅と建物の地震応答のシミュレーションを行い,その結果から木造家屋の被害の再現を試みた.家屋のモデルには未知パラメータがあるが,パラメータの確率分布を設定し,被害も確率的に評価した.被害を過大評価するよう,パラメータの設定を安全側に設定したため,大破・中破の判定は過大評価であった.しかし,木造家屋の地震応答解析の代わりに,フラジリティカーブを用いる既存方法と比較したところ,大破の推定精度が約半分程度に向上することが確認された.
本年度はさらに,統合地震シミュレーションを利用し,多様な地震動を受ける際の建物被害の変容を分析した.一般に,地盤の固有周期と建物の固有周期が一致する場合,他の場合に比べて被害が増加することが知られている.統合地震シミュレーションでは,地盤の固有周期という離散的な指標ではなく,個々の地盤には,地盤応答が比較的大きくなる周波数域(増幅周波数域)があり,この周波数域に構造物の離散的な固有周期が含まれていると,被害が増加することが示された.すなわち,建物の固有周期が地盤の増幅周波数域から外れると,被害が小さくなる可能性は高い.地盤増幅周波数域-建物固有周期と建物被害の関係を明確にすることは,被害軽減に直結すると考えられる.

(3) メタモデリング理論

構造物の地震応答を解析する際,モデルの選択は重要課題である.精緻なソリッド要素有限要素法のモデル,柱・梁・シェルの構造要素を使ったモデル,フレームや質点-バネを使った簡略化されたモデル,等さまざまなモデルがある.各々のモデルは独自の物理モデルに基づき,その結果,毒に数理問題に帰着している.そのため,モデルの優劣は実験結果の再現精度によっている.重要な挙動が選択されているものの,実験の計測には限界があり,モデルの優劣は計測されていない挙動の予測精度も左右する.
2013年度からこのモデルの質の問題を解決するため,メタモデリング理論の構築に取り組んでいる.メタモデリング理論は,連続体力学にも基づく物理問題を設定し,それをラグランジュアンとして定式化する.ラグランジュアンからは波動方程式が導出されるが,数理近似を加えると,他の形式の微分方程式が導かれる.このように数理的近似に導出された方程式をモデリングと称する.連続体力学の物理問題と同一の物理問題を解くという意味で,数理的近似から導出されたモデリングは連続体力学のモデリング(波動方程式)と整合し,かつ,波動方程式の近似解となることが保証される.
重要構造物の多質点系モデルや,支承等の接合部のバネモデルを対象に,メタモデリング理論を適用して,連続体力学と整合するモデルを構築する手法を開発した.この手法は,変位関数を近似するものであり,数理操作だけで適切な多質点系モデルやバネモデルが構築される.さらに,対象構造物や部材の非線形挙動に対しても,開発された手法を適用することで,非線形の多質点系モデルやバネモデルが構築される.近年,計算負荷が大きい多自由度の系に対し,計算負荷を低減させるために,その系の特徴を失わずに少自由度の系を構築する方法はモデル縮約として注目を浴びている.メタモデリング理論に基づく多質点系モデルやバネモデルを構築する方法は,合理的なモデル縮約の方法とも考えることができる.

(4) マルチエージェントシステム

マルチエージェントシステムとは,都市等を模擬した計算機の仮想空間であるエンバイロンメントの中を自律的に行動するエージェントを使う数値解析手法である.エージェントは人や組織を模擬するもので,独自のデータを持ち,その意味で「個性」を持つ.実際の都市空間を模擬するエンバイロンメントを使うことで,マルチエージェントシステムは.人・組織の行動に対してリアリティのあるシミュレーションを行う.
津波からの群集避難に対して,マルチエージェントシステムの開発を進めている.エージェントは,身体能力・地図等のデータと,「(周囲を)見る」,「(避難路を)考える」,「(避難)行動する」という機能を持つ.居住者や旅行者,自動車の利用者等のエージェントが開発されており,最適経路の選択や追い越しの機能を持つことで,群集避難の際の渋滞の発生・解消の状況のシミュレーションを行うことができる.
エンバイロンメントは実際の都市の道路ネットワークを模擬したものである.過去の経路や最適経路の探索にはネットワークはグラフ形式のデータとして表され,周囲を見て行動する際はグリッド形式のデータとして表さられる.この結果、避難場所の位置の情報を処理することが容易となり,地震動による建物被災の結果,生じうる道路閉塞も模擬することができる.
昨年度に引き続き,マルチエージェントシステムの並列化を進めた.具体的な成果として,「見る」の機能に関して計算効率を大幅に増大させることに成功した.「見る」は360度の全方向において,前方にある事物を認識することが基本的な機能であるが,周囲にある事物のデータを使って,前方にある事物を正確かつ効率よく認識することが必要である.アルゴリズムの改善によって正確性をさほど犠牲にすることなく,効率性を向上することに成功した.また,エンバイロンメントに使うデータは建物データであったが,これを道路ネットワークデータに変更することに成功した.建物データの場合,建物がない空間をエージェントが移動できる空間としていたが,道路ネットワークデータを使うと,道路の幅を設定したり,車道・歩道を区別することもできる.より現実的な道路ネットワークのエンバイロンメントが構築可能となった.