1855年に江戸をおそった安政江戸地震の直後、地震の様子を伝える大量の瓦版(現在の新聞のようなもの)が発行されました。その中には鯰の絵入りの多色刷り版画が含まれており、それらは特に鯰絵と呼ばれています。安政江戸地震は安政2年10月2日(1855年11月11日)の夜に発生した地震で、マグニチュードは7程度と推定されています。地震の直後に火災が発生して、江戸市中では武士・町人に7000人以上の死者が生じた地震でした。この地震後の約2ヵ月間に、現存しているだけで200種類におよぶ鯰絵が出回りました。
東京大学地震研究所図書室では、地震、火山、津波など地震研究所に関連の深い災害をテーマとした古書類を数多く所蔵しています。今回はその中から10点の鯰絵をご紹介します。図書室では、2013年3月に「東京大学地震研究所図書室特別資料データベース」を公開し、鯰絵をはじめとした古書類をここに集めています。データベースでは資料検索のほか、一部の資料については画像も公開しています。
「しんよし原大なまづゆらひ」(図1)では、地震で被災した遊女、幇間(たいこもち)や客などが鯰をこらしめています。しかしよくみると、左上には、それを止めに入ろうとする鳶などの職人たちの姿もみえます。さらに、鯰絵紹介ページの「鯰の掛軸」には、左官、ほねつぎ、材木屋、大工などが掛軸の鯰を拝んでいる場面が描かれています。鯰(=地震)は常に悪の元凶として描かれたわけではなく、地震後の復興景気で仕事を得ることができた人々にとっては、恩恵をもたらすものという側面もあったのです。
地震の恩恵をもっとストレートに表現しているのは、「大鯰江戸の賑ひ」(図2)です。ここでは、鯰がクジラのようにお金を噴き上げ、人々が喜んでいます。このように、地震直後の混乱の過程を経て、復興景気がひろまってくると、鯰は災厄の象徴から福をもたらす世直しの象徴へとかわっていった、と読み解くことができます。
昔は、鯰が動いて地震が起こるとされていました。では、いつごろから、鯰が地震を起こすと考えられていたのでしょうか。
環太平洋のような地震多発地帯には、大地を支えている動物が身動きすると地震が起きる、という内容の神話や信仰が多くあります。日本にも仏教の影響を受けて同じような考え方がありました。おそくとも鎌倉時代のはじめには、日本は巨大な龍に取り囲まれているとされており、その龍が動くことで地震が起こると考えられていたのです。鎌倉時代はじめの暦の表紙には日本を取り巻く龍が描かれており、江戸時代のおわりに出された「ぢしんの辨」(図3)という瓦版に描かれた龍はそれにもとづくものです。
日本を取り巻く龍が、日本の地下に住む鯰へかわったのは、江戸時代のはじめとされています。地下の鯰が動いて地震が起こるという考え方は、江戸時代のおわりに発生した安政江戸地震(1855年)の時に出された瓦版で一気にひろまりました。その一つが「あら嬉し大安日にゆり直す」(図4)で、鯰があばれないように鹿島大明神が要石(かなめいし)でおさえている様子が描かれています。
ちなみに、「ぢしんの辨」で龍の頭にのっているのは、龍が動かないようにおさえている動石(ゆるぐいし)です。「あら嬉し大安日にゆり直す」では要石にかわっていますが、日本を支えている動物が動かないようにおさえる、という役割はかわっていません。
※このWebサイトは2013年の東京大学地震研究所一般公開で展示した“図書室展示:江戸の鯰たち~幕末の江戸に群れる地震鯰~(地震研究所図書室・地震火山噴火予知研究推進センター・地震火山情報センター)”を基に作成しました。
鯰絵はすべて東京大学地震研究所所蔵
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