展示概要

 1847(弘化4)年に発生した善光寺地震では、現在の長野県北部で大規模な山崩れが多発しました。今回の展示では、地震研図書室で所蔵している史料の中から、善光寺地震を描いた絵図を中心に紹介します。

 東京大学地震研究所図書室では、地震、火山、津波など地震研究所に関連の深い災害をテーマとした古書類を数多く所蔵しています。図書室では、2013年3月に「東京大学地震研究所図書室特別資料データベース」を公開し、古書類をここに集めています。データベースでは資料検索のほか、一部の資料については画像も公開しています。



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善光寺地震

 1847年5月8日(弘化4年3月24日)の夜に発生した善光寺地震は、長野県北部を中心とする地域に被害を及ぼした地震であり、山間部では土砂崩れによる大規模な土砂災害が多発した。現在の地震学の研究では、善光寺地震の規模はM(マグニチュード)7.3程度と推定されており、長野盆地西側の断層が活動したと考えられている。
 地震発生当時、善光寺(現長野市)は御開帳(ごかいちょう)の真っ只中にあり、門前町の宿屋は数多くの参拝者で混雑していた。地震発生によって、善光寺の門前町では倒壊した家屋から出火して大半が類焼し、家屋の倒壊・焼失によって多数の住民や参拝者が死亡した。また、西部の山地では土砂災害が多発しており、多くの村落が崩れた土砂の下に住民もろとも埋没した。
 土砂災害の中で最大のものは、虚空蔵山(こくぞうさん)(岩倉山)の崩壊であり、崩壊した土砂は犀川(さいかわ)を堰き止めて大きな湖を形成した。この堰止め湖は、5月27日(4月13日)に決壊して洪水を引き起こし、下流に大きな被害をもたらした。5月8日の虚空蔵山の崩壊による堰き止め堤防の形成後、堰止め湖の決壊によって下流域の善光寺平(ぜんこうじだいら)での洪水が予想されたため、堤防の補強工事や避難の準備が行われていた。このような対策が功を奏して、洪水による流失家屋は約800軒であったが、死者は約100人に止まった。
 善光寺地震では、地震による家屋倒壊、倒壊した家屋からの火災、土砂崩れによる村落の埋没、堰止め湖の決壊による洪水といったように、地震によって多種多様な被害が生じた。これらの被害による死者は全体で8,000人以上、家屋の倒壊・焼失・埋没は約20,000戸であり、土砂崩れは約43,000ヶ所にのぼる。



 

※このWebサイトは2016年の東京大学地震研究所一般公開で展示した“地震研究所図書室所蔵資料展示 絵図に見る 地震と土砂災害 ~1847年善光寺地震~”を基に作成しました。

資料はすべて東京大学地震研究所所蔵

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