展示概要
この地震によって地震研究や震災対策への関心が強まり、地震研究所の前身にあたる震災予防調査会が設立されました(1892年)。震災予防調査会では、「一面ニ於テハ地震ヲ豫知(予知)スルノ方法有リヤ否ヤヲ探求シ」、また「一面ニ於テハ地震ノ起リタル際其災害ヲ最モ少ナカラシムヘキ計畫(計画)ヲ爲ス」(震災予防調査会報告第1号より)ことを目的とし、地震・火山噴火・耐震などに関する幅広い調査研究が進められることになります。
濃尾地震では、災害絵図だけではなく、当時普及し始めたカメラによって比較的多数の写真も残されています。今回展示した写真集に記載された序文や跋文からは、撮影した写真を永く伝え、後世の学問等の参考に供したいという写真師たちの熱意がうかがえます。この展示では、図書室所蔵の濃尾地震に関する絵図と、描かれた情景に関連する写真が掲載された写真集4点を紹介します。
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明治廿四年十月廿八日 大地震後圖
濃尾地震についての瓦版(錦絵)です。レンガ造りの電信局や紡績会社の倒壊、長良川鉄橋の崩落、仮病院での救護の様子、いまだ各所から煙が立ち上る中での震災後の人々の様子などが描かれています。
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東京大学地震研究所図書室特別資料データベースレコードID:L000191
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[濃尾地震]震災写真 岐阜県之部
名古屋の写真師 宮下欽が官庁の依頼で撮影した写真が収められており、折本形式で24点の写真が貼られています。
このページの見開き右側には『大地震後圖』の左側中ほどに見える「長良川鉄橋」の崩落の様子が記録されています。見開き左側の写真には地震により長良川の堤防が破壊された様子が記録されています。
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東京大学地震研究所図書室特別資料データベースレコードID:L001240 -
震災寫眞
名古屋の写真師 中村牧陽が愛知県庁の嘱託で撮影した写真が収められており、折本形式で21点の写真が貼られています。
このページの見開き右側には、「帝国大学醫學部出張/中島郡仮病院治療所」の様子が記録されています。『大地震後圖』の右側に見える仮の建物に「かり病いん」の文字が見えるように、濃尾地震では多様な諸団体による医療救護活動が行われました。また、同見開き左側には『大地震後圖』左側に見える「紡績會社」のレンガ造りの建物の倒壊の様子が記録されています。
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東京大学地震研究所図書室特別資料データベースレコードID:L001233 -
[濃尾地震]震災写真 愛知県之部
名古屋の写真師 宮下欽が官庁の依頼で撮影した写真が収められており、折本形式で48点の写真が貼られています。
『大地震後圖』の右奥に見える名古屋城の壁の崩落や榎木田門(榎多御門、現在は正門)外郭の被害が写真に記録されています。
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東京大学地震研究所図書室特別資料データベースレコードID:L001239 -
岐阜縣震災寫眞
名古屋の写真師 靑山三郎が官庁の依頼で撮影した写真が収められており、冊子形式で24枚の写真が貼られています。
濃尾地震では多数の火災も発生し、『大地震後圖』では各地で煙が上がっている様子が描かれています。『岐阜縣震災寫眞』には岐阜市街が焼失した後の写真が記録されています。
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東京大学地震研究所図書室特別資料データベースレコードID:L001234
みんなで翻刻
多数の人々が協力して史料の翻刻に参加することで、歴史資料の解読を一挙に推し進めようというプロジェクトです。地震研究所の第2代所長である石本巳四雄(1893-1940)が収集した石本コレクション(東京大学総合図書館所蔵)の翻刻も進められています。
https://honkoku.org/
東京大学地震研究所図書室特別資料データベース
地震研究所図書室が所蔵する地震・火山・津波など地震研究所に関連の深い災害をテーマとした貴重資料のコレクション(鯰絵や瓦版など)や、地震研究所に関連する地震史料のコレクションを検索・閲覧できます。今回展示している資料もすべて特別資料DBから画像データを公開しています。
https://wwweic.eri.u-tokyo.ac.jp/tokubetsu/
資料はすべて東京大学地震研究所所蔵
出版物等に画像の掲載を希望される場合は当研究所への申請手続きが必要です。詳しくはこちらをご覧ください。
東京大学地震研究所図書室
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