1891年(明治24年)10月28日に岐阜県美濃地方、愛知県尾張地方で発生した濃尾地震は、マグニチュード8.0と推定される内陸地震(いわゆる直下型地震)としては史上最大級の地震です。最大震度は岐阜県や愛知県を中心に6~7相当であったとされており、甚大な被害が発生しました。また、明治期以降文明開化が推し進められていた中で、電信局や紡績工場などのレンガ造りの建物の倒壊や長良川鉄橋の崩落は当時の報道で注目され、人々に少なからず衝撃を与えました。
この地震によって地震研究や震災対策への関心が強まり、地震研究所の前身にあたる震災予防調査会が設立されました(1892年)。震災予防調査会では、「一面ニ於テハ地震ヲ豫知(予知)スルノ方法有リヤ否ヤヲ探求シ」、また「一面ニ於テハ地震ノ起リタル際其災害ヲ最モ少ナカラシムヘキ計畫(計画)ヲ爲ス」(震災予防調査会報告第1号より)ことを目的とし、地震・火山噴火・耐震などに関する幅広い調査研究が進められることになります。
濃尾地震では、災害絵図だけではなく、当時普及し始めたカメラによって比較的多数の写真も残されています。今回展示した写真集に記載された序文や跋文からは、撮影した写真を永く伝え、後世の学問等の参考に供したいという写真師たちの熱意がうかがえます。この展示では、図書室所蔵の濃尾地震に関する絵図と、描かれた情景に関連する写真が掲載された写真集4点を紹介します。




![[濃尾地震]震災写真 岐阜県之部](il20250725143942/img/6310318743_18_noubi_gifu.png)

![[濃尾地震]震災写真 愛知県之部](il20250725143942/img/6310318735_51_noubi_aichi.png)
