鯰絵紹介
鯰絵について
江戸時代、地震は地中にいる鯰が動くことで発生すると考えられていた。そのため、姿形が目に見えない地震を表現するものとして鯰が用いられていた。
1847年の善光寺地震から8年後、1855年11月11日(安政2年10月2日)の夜に発生して当時の江戸に大きな被害を与えた江戸地震の際に、地震鯰と鹿島大明神の俗説を題材として描かれた鯰絵が江戸市中に出回った。この鯰絵は無許可で発行されており、地震発生から約2ヶ月後には幕府によって発禁となった。その期間に出回った鯰絵には、地震直後は地震の鎮静化を期待して、鹿島大明神が地震鯰を押さえ込んでいる鯰絵などがあるが、江戸市中で再建工事が始まると、一時的に復興景気が生じて地震鯰は世直し鯰として描かれれている。
鯰絵紹介(画像をクリックで拡大されます)
-
江戸鯰と信州鯰
1855年の安政江戸地震を表す「江戸」と1847年の善光寺地震を表す「信州」の2匹の大鯰が、地震で被災して迷惑を蒙った人々に懲らしめられており、地震後の復興景気で儲かった職人たちは人々をなだめている。右上にはこの騒動に駆け付ける鹿島大明神が描かれている。
東京大学地震研究所図書室特別資料データベースレコードID:L001213 -
生捕ました三度の大地震
1847年の善光寺地震を表す「信州」(大鯰)と1855年の安政江戸地震を表す「江戸」(中鯰)と1853年の小田原地震を表す「小田原」(小鯰)の3匹の地震鯰が、鹿島大明神に生け捕りにされて蒲焼き屋へ連れて来られている。地震後の復興景気で儲けた大工や左官たちは、3匹の地震鯰が蒲焼きにされるのを引き止めている。
東京大学地震研究所図書室特別資料データベースレコードID:L001218 -
地震鯰の取り調べ
1847年の善光寺地震、1853年の小田原地震、1828年の越後三条地震、1854年の安政東海地震、同年の安政南海地震などを表す地震鯰たちが、鹿島大明神の前で取り調べを受けている。左上に描かれている1855年の安政江戸地震を表す地震鯰の頭の上には、要石が打ち込まれようとしている。
東京大学地震研究所図書室特別資料データベースレコードID:L000283
資料はすべて東京大学地震研究所所蔵
※このWebサイトは2016年の東京大学地震研究所一般公開で展示した“地震研究所図書室所蔵資料展示 絵図に見る 地震と土砂災害 ~1847年善光寺地震~”を基に作成しました。
出版物等に画像の掲載を希望される場合は当研究所への申請手続きが必要です。詳しくはこちらをご覧ください。
東京大学地震研究所図書室
113-0032 東京都文京区弥生1-1-1
Tel: 03-5841-5669
Fax: 03-5800-3859
Mail: sanko@eri.u-tokyo.ac.jp(@は半角)