噴火 その9

明治29年3月15日(1896.3.15)
午前八時十六分に爆発し、たまたま登山していたフランス海軍大主計リエール氏は、焼石に打たれて負傷し、案内人の吉松某は惨死した。[明治二十九年三月二十二日 大阪朝日新聞]

 

同 29年6月22日(1896.6.22)
夜十二時頃から鳴動し、降灰があった。[地質学雑誌]

 

同 29年6月26日(1896.6.26)
宮崎では前夜十二時頃少し鳴動し、今日午前一時過ぎには爆発音を聞いた。降灰があった。[明治二十九年六三二十日 大阪朝日新聞]

 

同 29年12月21日(1896.12.21)
去る十八日に噴火した霧島山は、二十一日午後一時十五分に再び爆発し、黒煙は東方向へなびき、都城付近の各村には降灰があった。[明治二十九年十二月二十九日 報知新聞]

 

同 30年5月3日(1897.5.3)
鳴動・噴煙を上げ、都城地方に降灰があった。茶葉および桑の木に多少の損害を与えた。[明治三十年五月十二日 東京朝日新聞]

 

同 30年6月25日(1897.6.25)
鹿児島では十二時頃、小雨に混じって微量の降灰があった。霧島山の火山灰を吹き送ってきたのだろう。[明治三十年六月二十七日 鹿児島新聞]

 

同 30年9月4日(1897.9.4)
午後八時に噴火が約十分間継続し、多少焼石を飛散させた。[明治三十年九月十七日 東京朝日新聞]

 

同 31年2月8日(1898.2.8)
午前一時に鳴動・噴煙を上げ、降灰があった。焼石が飛散した。同一時三十分頃、再び鳴動した。[明治三十一年二月十一日 鹿児島新聞]

 

同 31年3月11日(1898.3.11)
午後六時二十分頃に噴火・鳴動し、焼石を数町の範囲に飛散させた。震動はおよそ五分間だった。[震災予防調査会報告第二十九号]

 

午後七時に轟音を上げて爆発し、宮崎では戸障子が振動し、空は濛々として降灰があった。[明治三十一年三月二十日 佐賀自由新聞]