近代地震学以前

人類は古くはアリストテレスから、地震という現象について深い関心を持ってきました。2世紀の中国において、張衡が世界最古の地震計を作ったといわれています。瓶に8個の玉を加えた竜頭が付いており、揺れを感じると揺れが来た方角の竜が玉を吐き出し、それを下の蛙の口で受け止める、といったものでした。近代的な意味での地震計ではなく、震動を感じる感震器という方が良いでしょう。

日本は地震多発国であり、人々の関心も低くはなかったと思われ、記録も多く残されていますが、地震という現象の奥深くへの科学的な探究は、近代の到来を待たねばなりませんでした。

一方、ヨーロッパ各国における古典地震学は、1755年のポルトガルの首都リスボンを襲い、死者3~7万人を出したリスボン地震が、その誕生の大きなきっかけになりましたイギリス人John Michell(ジョン・マイケル)などもその一人で、現代の目から見れば、その研究結果に問題はあるにしても、当時すでに地震の原因や震源決定法についての考察を始めていたことには驚かされます。しかし彼の没後、19世紀半ば頃までの数十年間の間、残念ながら地震研究は見るべき成果に乏しい沈滞期を迎えます。

やがて19世紀後半になると、アイルランド人Robert Mallet(ロバート・マレット)、イギリス人William Hopkins(ウイリアム・ホプキンズ)、ドイツ人Karl von Seebach(カール・フォン・ジーバッハ)たちの手で、震源の位置や深さを知るための、さまざまな地球物理学的方法が研究されるようになります。マレットはseismology(地震学)、epicenter(震央)などの用語の創始者でもあり、その著“The Dynamics of Earthquakes(地震の力学)”は、近代地震学の基礎を準備したといわれています。