発足時の所員

教授: 末広恭二(所長事務取扱)
助手: 中島道郎
嘱託: 那須信治、佐藤新太郎、菊地若次郎、山口生知、西沢順作、山口 盈、渡辺周太郎
書紀: 豊田 豊
雇:  神永幸三、杉山友紀、竹中仁一
職工: 加藤熊吉、高橋安太郎、新井信夫、渡辺 佐、新村彰三
小使: 中山石太郎

記念すべき発足時の所員は、以上の人々でした。

新しく専任所員を命じられたのは、地震研究に関してはまったくの新人が多数を占めています。人事は11月14日、15日、24日、25日、12月1日、1月11日、19日、20日とやつぎばやに発令・増員されますが、その専門とするところは、所長事務取扱となった末広の振動論(造船工学)、実験物理学、地質学、岩石学、地形学、従来の地震学、さらに土木・建築の関係者を兼任として配置しました。その人員構成からも、研究所がそれまでの東京帝国大学地震学教室を中心とした地震学から、脱皮しようとする意図を強く感じさせるものとなっています。

その中には寺田寅彦、長岡半太郎はいうまでもなく、今村明恒、後に所長となる石本巳四雄(みしお)、妹沢克惟(せざわ かつただ)、中央気象台の台長・岡田武松(たけまつ)や藤原咲平(さくへい)、土木試験所長・物部長穂などの名前も見えます。そして東京帝国大学以外の組織に所属する者も、元の身分のままで所員となっています。また純粋な研究所として、学生の講座を担当せず、研究に専念できることも大きな特徴でした。

新研究所は、工学部船舶工学科付属建築物の一部を仮事務所として発足しますが、昭和3年(1928)には安田講堂の裏手に所員であった内田祥三の設計による新館が完成します。地上2階地下1階の鉄骨鉄筋コンクリート造りで、他に類を見ない頑丈な設計・施工がなされていました。