共同現地調査

では大規模災害が続く中、実際にはどのような現地調査が行われたのか、具体的に見てみましょう。

大正15年(1926) 十勝岳噴火

山体の一部が崩壊し融雪と相まって泥流を生じ富良野平野に災害をもたらしま したが、現地に急行した多田文男と津屋弘逵(ひろみち)は、交通不便な地で 10日間のうちに、噴火状況・噴出物および泥流の様子を、克明に記録しました。

昭和2年(1927) 北丹後地震

地震発生翌日に7名、続いて4名が現地に向かい、地震および実地踏査、傾斜・ 地形・地質・地変・構造物の調査がなされ、3週間後には調査予備報告について 臨時談話会がもたれています。当所創立以来、初の全所的調査であり、大地  震・大噴火時の総合的現地調査の原型となりました。

昭和4年(1929) 北海道駒ヶ岳噴火

大規模な軽石流流出で山頂地形が一変したこの噴火では、地質学・地球物理学 の両面から調査される最初の機会となりました。多田文男は地形変化、坪井忠 二は重力変化の連続観測(重力偏差計は自作)と水準測量、津屋弘逵は噴火経 過の特徴と噴出物の岩石学的調査、坪井誠太郎は軽石の噴出時の温度を実験か ら推定、高橋竜太郎はシリカ傾斜計による連続観測、岸上冬彦は微動計による 火山性地震の観測、その他空中電気・地電流の観測なども含め、噴火総合調査 の雛形となりました。

昭和8年(1933) 三陸地震津波

北海道・東北沿岸の現地調査、検潮記録の収集、アンケートによる津波襲来状 況・付随現象の調査等が計画的に行われ、『地震研究所彙報別冊』として出版 されるなど、世界最初の津波総合調査となり、現地調査の方法が確立されまし た。