1854年伊賀上野地震の際に伏見で発生した局所的な液状化被害地点の検討
加納靖之
自然災害科学,Vol. 37,No. 2,205-217,2018
過去の人々が書いた記録などをもとに、歴史時代に発生した地震について調べる歴史地震という研究分野があります。
この論文では、文献資料だけでなく絵図(地図)の比較による土地利用の変遷や発掘調査結果を詳細に検討することにより、江戸時代後期の1854年に発生した伊賀上野地震*の際に、伏見(現在の京都市伏見区)で局所的に発生した地盤の液状化被害について検討しました。発生地点は備前岡山藩の伏見屋敷と特定され、その素因の推定を行うことができました。
- 岡山藩の文献史料の記録から、伊賀上野地震の際に、岡山城下(現在の岡山県岡山市)で液状化が発生したとされてきました。しかしながら、これまでの研究での発生地点の認定には誤りがあり、実際は伏見で発生したものであることをしめしました。
- いくつかの絵図や地誌を用いて、備前岡山藩の伏見藩邸の場所を特定しました。
- 藩邸が建てられる前の時代の絵図の検討から、藩邸が建てられる前は池があり、それを埋めたてた土地であったことがわかりました。
- この地点で実施された京都府教育委員会および京都府埋蔵文化財センターによる発掘調査でも、この地点が池であったことと岡山藩と関係する場所であることをしめすデータが得られています。
- これらの情報から、この地点において局所的な液状化が発生したのは、池を埋め立てた土地であったことがひとつの原因と推定できます。
- 地震による災害のあらわれ方が土地の歴史に大きく影響されることをしめす具体例になっています。
今回検討した文献資料は、これまでも知られていたものでした。そのような資料であっても、ほかのさまざまなデータを組み合わせ、より深く読むことによって、過去の地震にともなって生じた現象をこれまで以上に詳細に理解することができました。
なお、この研究は、京都大学在職中に実施したものです。
*伊賀上野地震:1854年に発生したこの地震では、伊賀上野(現在の三重県伊賀市)で大きな被害があったことが知られており、伊賀上野地震もしくは1854年伊賀上野地震と通称されています。