平成30年北海道胆振東部地震【研究速報】

9月6日03時08分頃に、胆振地方中東部で起きた地震についての情報を、ここで更新してまいります。

*報道関係の皆さまへ:図・動画等を使用される際は、「東京大学地震研究所」と、クレジットを表示した上でご使用ください。また、問い合わせフォームよりご連絡ください。


2018年9月6日 北海道胆振地方中東部の地震の強い揺れ(Ver2)
修正履歴 2018/9/6/15:10(解析対象の観測点を変更しました)。

(強震動グループ)

図1 地震発生から20秒、40秒、80、120秒後の揺れの様子。防災科学技術研究所の強震観測網(K-NET、 KiK-net)データを用いて、日本列島を伝わる揺れを強調して表示しています。赤は震央,オレンジ色のかたまりは、地面の揺れの強さに応じて色と高さで表示しています(午後14時5分の時点のデータ(439点)で作成したたものです、日高地方などの一部の観測点データは含まれていません)。

図2 震源に近い2観測点(KiK-net追分とK-NET早来)の加速度波形(地表の東西方向の揺れ)と、1995年兵庫県南部地震に葺合地点で観測された揺れの特徴を比較しています。本地震は内陸直下で起きた大地震(M6.7)のため、強い揺れが続いた時間は十数秒程度と比較的短かかったものの、重力加速度を超える激しい揺れであったことがわかります。内陸の地震としては震源がやや深かった(37 km)ことや、地表付近の浅い、柔らかい地盤で短周期の揺れが強く増幅され可能性が、強い加速度を伴うごく短周期成分の強い揺れの成因の一つと考えられます。KiK-net追分地点では小刻みなガタガタとした(ごく短周期)の揺れが目立ち、K-NET早来地点では、小刻みな揺れの後に、周期1秒程度のやや長めの周期の揺れが続いていることがわかります。やや長めの周期は、兵庫県南部地震の震源直上にある葺合地点の揺れと特徴が似ています。
図3 図2に示した、KiK-net追分観測点とK-NET早来観測点での記録を用いて、地震の強い揺れが地盤や建物に与える影響を速度応答スペクトルを用いて調べました。図の横軸は構造物の固有周期を、縦軸はその固有周期を持つ構造物が地震により揺すられる強さ(応答)を表します。追分地点のごく短周期の揺れは、固有周期0.5秒前後の成分が強く(>350 cm/s)、固有周期が短い、比較的小さな構造物を大きく揺する力を持っていたことがわかります。大規模な土砂災害や液状化などの地盤災害は、こうしたごく短周期の揺れが一定時間続いたことで拡大した可能性があります。
他方、追分地点のややゆったりとした長周期の揺れは、固有周期1秒前後の構造物(木造家屋など)への影響が大きく(>280 cm/s; オレンジ色のハッチ部分)、木造住宅を倒壊させる威力を持っていたと考えられます。求められた速度応答のレベルは、多数の木造家屋が倒壊した1995年兵庫県南部地震の揺れ(葺合地点)と同程度でした。
図4 KiK-追分地点(震央距離24 km)の揺れを時間方向に拡大してみると、P波とS波に加えて、奇妙な揺れが見つかりました。この図は、速度波形3成分(上から、東西方向、南北方向、上下方向)を示したものです。ふつうの地震では、P波が観測され、それから数秒遅れてS波が到着しますが、この地震ではP波の到着前にも小さな揺れ(P?)が見えます。地震に先立って別の小さな地震が起きたのかもしれません。さらに、S波の後に約3秒の間隔で少なくとも3つのS波群が続いているようすも見えます(①、②、③印)。おそらく、勇払平野(石狩低地帯)の厚い堆積層を挟んで、地表面と基盤岩の間でS波が何度も反射を繰り返してできた波群と考えられ、長時間続く揺れを作り出した原因の一つと考えられます。
図5 この地震により、石狩地方南部で長周期地震動階級4(最大級)を観測しました。苫小牧地点の階級は3でした。苫小牧では、2003年十勝沖地震(M8.0)の長周期地震動により大型石油タンクが破損、出火しました。このときの震度は4でした。
本図は、今回の地震と2003年十勝沖地震のときの、苫小牧の揺れ(長周期地震動の)の違いを比較したものです。左に示した加速度波形では、震源距離が近い(32 km)今回の地震の揺れが圧倒的に激しい(震度5強相当)ことがわかります。ところが、加速度波形を速度波形に変換して長周期の地震動成分を強調すると、十勝沖地震における強い長周期地震動が浮かび上がってきます。
図6 今回の地震と2003年十勝沖地震の際の苫小牧地点での揺れの速度応答スペクトルを比較すると、勇払平野の厚い堆積層で強く増幅される、周期6秒前後の長周期地震動の強さ(速度応答;オレンジ色のハッチ部分)は、2003年十勝沖地震(黒線)の時の時に比べて1/4程度以下であったことがわかります。これは、地震の規模(M6.7)が十勝沖地震(M8.0)よりずっと小さかったことや、直下で起きた地震のために、長周期地震動を作る表面波の生成が弱かったためと考えられます。

(古村孝志)