【6月4日(土)17:00〜18:30】地震研究所受験生入試ガイダンス

地震研究所受験生入試ガイダンス
日時:6月4日(土)17:00〜18:30
場所:東京大学地震研究所 1号館2階 セミナー室

ガイダンス内容あいさつ:古村副所長:5分
地震研の研究概要:川勝教授:15分
教員による研究紹介:新谷教授15分
学生会:学生会による地震研の生活 (博士課程2年:楠本聡さん), 10分
ガイダンス終了後に1号館2Fラウンジに移動, 教員・院生と一緒に懇談会(30分程度)

◎地震研究所受験生入試ガイダンス前のお時間のある方へ
16:00-16:40 研究の最前線見学ツアーを開催します。
※希望者は当日15:55までに地震研究所1号館玄関前にお集まりください。

海底地震計(望月准教授)
火山と音の実験室(市原准教授)

詳細:http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/education/graduateschool/

地震波輻射エネルギー総量の観点から見た西南日本における深部低周波微動の活動特性

案浦理(1,2)・小原一成(1)・前田拓人(1)

(1)東京大学地震研究所 (2)気象庁地震火山部

Geophysical Research Letters, 43, 2562–2567, doi:10.1002/2016GL067780.

地震波輻射エネルギー総量の観点から見た西南日本における深部低周波微動の活動特性

西南日本やCascadia等の沈み込み帯で発生する深部低周波微動は,短期的スロースリップイベント(SSE)と同期して活動するプレート境界におけるひずみの解放現象であることが知られています.これらの現象は,プレート境界固着域の深部隣接側の領域で発生することから,巨大地震発生と何らかの関係を有すると考えられており,その活動特性の解明は重要です.これまで,微動活動の全体像を把握するため,微動発生数の時空間分布に関する研究が盛んに行われてきました.しかし,微動の振幅が大きく活動度の高い時間帯には波形が複雑になるため,単純に震源決定精度により震源候補を選別してカタログを作った場合,活発な微動がカタログから漏れてしまう傾向があります.このような困難から,これまで地震波輻射エネルギー量を用いた定量的な観点からの微動活動特性の研究は,少数にとどまっていました.そこで本研究では,微動活動特性の定量的評価を行うため,微動活動が活発な時間帯における検出の取り逃がしを減らす新たな微動活動の解析手法を開発しました.各観測点で観測されるひとまとまりの微動活動を微動シーケンスとして始めに抽出した後に,震源決定・エネルギー輻射量を推定する新たな微動モニタリング手法です.この手法を用いて西南日本で11年間(2004年4月 ~ 2015年3月)に発生した微動を解析し,長期間にわたる微動活動を地震波輻射エネルギー量で評価することができました.

微動輻射エネルギー総量の空間分布から,西南日本の中では四国西部で非常に大きなエネルギーが輻射されていることが明らかになりました(図1).このことは,先行研究では取り逃がしていた部分も含め,活発な微動活動を適切に評価できたことを示しています.本研究ではさらに,tremor activity rate [J/km2/yr] (単位面積あたり,1年あたりの輻射エネルギー量)を用いて各領域の微動の活動度を評価しました.各領域での微動活動の時間変化は,それぞれほぼ一定の値を示していますが,豊後水道長期的SSE発生領域に近接する領域では2010年と2014年に定常時に比べて値が2~3倍程度に活発化していることが明らかになりました(図2).これら微動活動が活発化した時期は,豊後水道長期的SSEが発生している時期と対応し,微動活動が周辺の応力擾乱に影響を受けることを意味しています.

さらに,各領域で求められた定常時のtremor activity rateとプレートの沈み込み速度を比較しました(図3).沈み込むフィリピン海プレートの走向方向で見ると,いずれも紀伊水道を境とした西側の四国で高く,東側の紀伊・東海で低いといった対応関係を見出すことができました.一つの解釈としては,プレート沈み込み速度が速い地域ではプレート境界でより多くひずみが蓄積し,その結果微動活動も活発となっていることが考えられます.沈み込み速度,微動の活動度の境界となっている紀伊水道では,沈み込むプレートの走向方向が急激に変化しプレート形状が複雑になっていますが,このことが微動活動を含むひずみ解放プロセスに何らかの影響を与えていることが示唆されます.

図1. 11年間(2004年4月~2015年3月)に発生した微動による累積エネルギーの空間分布. (a) 本研究で得られた微動のエネルギーの空間分布. (b) 本研究(our result)と先行研究(Obara et al., 2010)の沈み込み帯の走向方向に対するエネルギー量のプロファイルの比較.
図1. 11年間(2004年4月~2015年3月)に発生した微動による累積エネルギーの空間分布.

(a) 本研究で得られた微動のエネルギーの空間分布.

(b) 本研究(our result)と先行研究(Obara et al., 2010)の沈み込み帯の走向方向に対するエネルギー量のプロファイルの比較.

図2. 各領域における微動のエネルギーのタイムヒストリー.各領域中の小領域(四国西部のA1–A4,四国東部のB1–B3,紀伊のC1–C3,東海のD1–D2)は下部の地図中に灰色の長方形で示されている.
図2. 各領域における微動のエネルギーのタイムヒストリー.各領域中の小領域(四国西部のA1–A4,四国東部のB1–B3,紀伊のC1–C3,東海のD1–D2)は下部の地図中に灰色の長方形で示されている.
図3. 沈み込み帯の走向方向に対する微動活動とプレート沈み込み速度 [Heki and Miyazaki, 2001] の比較.
図3. 沈み込み帯の走向方向に対する微動活動とプレート沈み込み速度 [Heki and Miyazaki, 2001] の比較.
参考文献

  • Heki, K., and S. Miyazaki (2001), Plate convergence and long-term crustal deformation in central Japan, Geophys. Res. Lett., 28, 2313–2316, doi:10.1029/2000GL012537.
  • Obara, K., S. Tanaka, T. MMaeda, and T. Matsuzawa (2010), Depth-dependent activity of non-volcanic tremor in southwest Japan, Geophys. Res. Lett., 37(13), L13306, doi:10.1029/2010GL043679.

愛媛大学地球深部ダイナミクス研究センターとの研究協定が締結されました

東京大学地震研究所と愛媛大学地球深部ダイナミックセンター(GRC)は、2015年12月24日に、相互の連携・協力を推進し、素粒子などを用いた地球深部研究の発展に、新たに重要な役割を果たすために連携・協力協定を締結しました。この協定締結を記念した「愛媛大GRC・東大地震研協定記念講演会」が4月29日に愛媛大学南加記念ホールで開催されます。
PDF(講演会チラシ


2016年4月14日熊本地震

ウェブサイト立ち上げ:2016年4月15日

最終更新日:2016年4月27日

「平成28年(2016年)熊本地震」は4月14日21時26分以降に発生した熊本県を中心とする一連の地震活動を指します。

(気象庁資料による)

 

*報道関係の皆さま、図・動画などを使用される際は、必ず「東京大学地震研究所」と、クレジットを付けてご使用ください。


平成28年(2016年)熊本地震(M7.3)の地表地震断層調査

(石山達也(東京大学地震研究所)・松多信尚(岡山大)・石黒聡士(愛知工業大)・
廣内大助(信州大)・杉戸信彦(法政大))

 平成28年(2016年)4月16日に発生した熊本地震(M7.3)に際しては、地表地震断層が出現したことが広島大学の研究グループによる第一報によって報告されました(熊原ほか、2016)。地表地震断層は、震央の位置や地震の規模、余震分布などから、布田川断層帯・日奈久断層帯(例えば地震調査研究推進本部, 2013)に沿って広範囲に出現していることが予想されました。このことから、筆者らは広島大学を中心とする大学研究者と地震直後より連絡を取りながら、地表地震断層の分布や性状を明らかにすべく、地震発生の翌17日から同20日 にかけて、地表踏査を実施しました。ここでは、その結果について概要を報告します。なお、調査に際しては、地震発生直後の大変な状況にも関わらず、被災地の方々から温かい励ましの言葉とご協力を賜りました。また、広島大学の熊原康博・後藤秀昭・中田 高の各氏、名古屋大学の鈴木康弘氏をはじめとする大学研究者から地震直後より頂いた有益な情報により、調査を円滑に進めることができました。ここに記して感謝いたします。

当グループでは、熊原ほか(2016)で布田川断層沿いに顕著な右横ずれ変位が確認された益城町堂園(どうぞん)を中心に、既存の活断層図(池田ほか, 2001)を頼りに、布田川断層に沿って約4 kmの範囲と、布田川断層南端部について調査を行いました。また、南阿蘇村立野および西原村小森牧野においても地表地震断層調査を行いました(図1)。直接のアクセスや観察が困難な箇所については、飛行規制域を確認したうえで、愛知工業大および岡山大所有のUAV (Unmanned Aerial Vehicle; 無人航空機)を利用した撮影を行い、地表地震断層の分布・性状の把握に努めました。調査に際しては、地表地震断層の確認された地点についてはハンディGPSで位置を計測するとともに、変形マーカーが確認された箇所では標尺などを利用して地表における地震時変位量の簡易計測を行いました。また、研究グループ間で連絡を取り合い、重要箇所については地表地震断層の認定について相互確認を行うとともに、効率的な調査に努めました。

益城町堂園の北、木山川左岸では、既存のマッピングで示された布田川断層に概ね沿うように、堤防上道路を右横ずれさせる地表地震断層が確認されました(写真1)。これより南の地点では、1条の地表地震断層に沿って、およそ2 mの右横ずれ変位が認められます。これに対して、木山川左岸では、地表地震断層は2条認められ、北西側にステップして、河床を横断し、北東に連続するものとみられます。河床では、護床工が座屈変形・剪断破壊を被る様が観察されます(写真2)。また、南より続くトレース沿いの右横ずれ変位は約20 cm, 左ステップして北東に連続するトレース沿いの右横ずれ変位は約150 cm、両者の合計は約170 cmとなっています。このように、地表地震断層は変位量をほぼ一定に保ちながら、数百メートルごとに左ステップ雁行する様子が複数の地点で観察されました。このような地表地震断層の配列は、右横ずれ断層で発生した地震で普遍的に認められてきたものです(例えばYeats et al., 1995; 中田・岡田編, 1999)。また、地表地震断層沿いには、その一般走向に対して斜交する開口亀裂や圧縮性の変形が認められ、これらはいずれも右横ずれ剪断帯内部の変形構造(例えば狩野・村田, 1998; 山路, 2000)を示すものと思われます。

布田川断層中央部の大きな変位とは対照的に、布田川断層の南西端部では、非常に微細な変形が認められました(写真3)。ここでは畑の畝に僅か20cm程度の右横ずれ変位が認められるのみです。

また、大規模な斜面災害の発生した南阿蘇村立野では、白川右岸の舗装道路に約70 cmの右横ずれ変位が認められました(写真4)。地表地震断層は雁行配列を呈しながら最高点353 m(国土地理院1/2.5万地形図『立野』)の孤立丘を横断して断続的に分布します(写真5)。UAVによる撮影からは、開口亀裂が左ステップ雁行しながら孤立丘を横断する様子が捉えられ、孤立丘が成長したことを示唆します(写真6)。その東への延長部は大規模な斜面崩壊によって直接確認することが出来ませんが、大局的には阿蘇カルデラ内に連続するものとみられ、延長部の調査結果が待たれます。

布田川断層の南東側には、新旧の扇状地面を変位させる出ノ口断層(九州活構造研究会, 1989)が分布します。この北東延長部、小森牧野周辺では、北西向きの山地斜面上に北西側低下の新鮮な崖地形が見出され、今回の地震に際して出現したものとみられます(写真7)。崖地形はおおよそ北東走向でほぼ連続的に分布し、UAVを用いた撮影では、横ずれ変位よりも縦ずれ変位が顕著に認められ、布田川断層沿いで見られた地表地震断層とは様相を異にしています。

このように、今回の調査からは、熊本地震に際して、布田川断層に沿って典型的な右横ずれの地表地震断層が出現したこと、また布田川断層に並走する断層に沿っても地表地震断層が出現したことが明らかになりました。現在進行中の大学・研究機関の調査グループによる調査研究によって、熊本平野から阿蘇カルデラにかけての熊本地震に伴う地表変位の全容が明らかになるものと期待されます。また、今後明らかになる本震・余震分布や震源過程、InSAR・GPSなどに基づく断層モデルなどの地球物理学的なデータと統合的に検討することにより、熊本地震と活断層の関係をより詳しく明らかにすることが出来ると考えています。

図1 今回の調査地点。背景の衛星画像はGoogle Earthを使用。また、活断層のトレース(赤・紫・水色の線)は中田・今泉編(2002)を使用。
図1 今回の調査地点。背景の衛星画像はGoogle Earthを使用。また、活断層のトレース(赤・紫・水色の線)は中田・今泉編(2002)を使用。
写真1 益城町堂園北、木山川右岸の右横ずれを示す地表地震断層。
写真1 益城町堂園北、木山川右岸の右横ずれを示す地表地震断層。
写真2 益城町堂園北、地震断層に沿って見られる木山川河床の護床工の座屈変形と剪断破壊。
写真2 益城町堂園北、地震断層に沿って見られる木山川河床の護床工の座屈変形と剪断破壊。
写真3 益城町飯田、布田川断層南端部に出現した右横ずれを示す地表地震断層。
写真3 益城町飯田、布田川断層南端部に出現した右横ずれを示す地表地震断層。
写真4 南阿蘇村立野に出現した右横ずれを示す地表地震断層。
写真4 南阿蘇村立野に出現した右横ずれを示す地表地震断層。
写真5 南阿蘇村立野の孤立丘を横断する地表地震断層。愛工大所有のUAVを使用して撮影した。
写真5 南阿蘇村立野の孤立丘を横断する地表地震断層。愛工大所有のUAVを使用して撮影した。
写真6 南阿蘇村立野の孤立丘を横断する開口亀裂。愛工大所有のUAVを使用して撮影した。
写真6 南阿蘇村立野の孤立丘を横断する開口亀裂。愛工大所有のUAVを使用して撮影した。
写真6 西原村小森牧野に出現した地表地震断層。岡山大所有のUAVを使用して撮影した。
写真6 西原村小森牧野に出現した地表地震断層。岡山大所有のUAVを使用して撮影した。

文献 

  • 池田安隆・千田 昇・中田 高・金田平太郎・田力正好・高沢信司(2001)都市圏活断層図『熊本』, 国土地理院技術資料D1-No. 388.
  • 地震調査研究推進本部(2013)九州地域の活断層の地域評価, http://www.jishin.go.jp/evaluation/long_term_evaluation/regional_evaluation/kyushu-detail/, 2016年4月15日確認
  • 狩野謙一・村田明広(1998)構造地質学, 朝倉書店, 300 p.
  • 活断層研究会編(1991)「新編日本の活断層-分布図と資料-」,東京大学出版会,437 p.
  • 国土地理院(2016)航空写真判読による布田川断層帯周辺の地表の亀裂分布図, http://www.gsi.go.jp/common/000139899.pdf, 2016年4月20日確認
  • 熊原康博・後藤秀昭・中田 高(2016)2016 年熊本地震・地震断層に関する緊急速報, http://jsaf.info/jishin/items/docs/20160417172738.pdf, 2016年4月16日確認
  • 九州活構造研究会(編)(1989)九州の活構造, 東京大学出版会, 553 p.
  • 中田 高・岡田篤正(編)(1999)野島断層[写真と解説]兵庫県南部地震の地震断層, 東京大学出版会, 208 p.
  • 中田 高・今泉俊文(編)(2002)活断層詳細デジタルマップ,東京大学出版会,DVD2枚+解説書68 p.
  • 山路 敦(2000)理論テクトニクス入門, 朝倉書店, 287 p.
  • Yeats, R., Sieh, K., and Allen, C. R. (1996), The Geology of Earthquakes, Oxford University Press, 568 p.

 


2016年4月14・16日熊本地震の震源過程

 

http://taro.eri.u-tokyo.ac.jp/saigai/2016kumamoto/index.html

(纐纈一起・小林広明・三宅弘恵
東京大学地震研究所・情報学環)


 

2016年4月16日熊本地震(Mj7.3)の強い揺れの特徴

(強震動グループ)

≪画像をクリックして動画をご覧ください≫

図1 地震発生から30秒,120秒後の揺れの様子。防災科学技術研究所の強震観測網(K-NET, KiK-net)データを用いて,日本列島の各地点の揺れの強さを強調して表示。赤は震央,オレンジ色のかたまりは,地震の強い揺れの広がり(地面の揺れの強さ)を現す【画像クリックで動画を表示】。
図1 地震発生から30秒,120秒後の揺れの様子。防災科学技術研究所の強震観測網(K-NET, KiK-net)データを用いて,日本列島の各地点の揺れの強さを強調して表示。赤は震央,オレンジ色のかたまりは,地震の強い揺れの広がり(地面の揺れの強さ)を現す。震源から断層運動が進行した北西方向に強い揺れが放出され、九州全域が 数十秒間強く揺れ、その後、揺れが秒速3キロメートル程度の速度で西日本に広がるようすがわかる。大阪、名古屋、関東などの平野では、揺れが増幅され長く続いているようすもわかる。 【画像クリックで動画を表示】。
図2 地震による地表の最大加速度(PGA; cm/s/s)と最大変位(PGD; cm)の広がり。浅い地震(h=10 km)のため、震源(星印)の直上には強い加速度が現れたが、大きな加速度を作り出す短周期の地震動は距離減衰が大きいため、震源から遠ざかると加速度が急激に減少している。これに対して、地面の「変位」は長周期の地震動成分により作り出されるため、距離減衰が小さい。遠く離れた大阪平野や関東平野などでは、長周期地震動により作られた大きな変位が確認できる。
図2 地震による地表の最大加速度(PGA; cm/s/s)と最大変位(PGD; cm)の広がり。浅い地震(h=10 km)のため、震源(星印)の直上には強い加速度が現れたが、大きな加速度を作り出す短周期の地震動は距離減衰が大きいため、震源から遠ざかると加速度が急激に減少している。これに対して、地面の「変位」は長周期の地震動成分により作り出されるため、距離減衰が小さい。遠く離れた大阪平野や関東平野などでは、長周期地震動により作られた大きな変位が確認できる。
fig3
図3 震源に近い2観測点(KiK-net益城、K-NET熊本)の(a)加速度波形(南北方向の揺れ成分;上)と、これを時間積分して求めた(b)速度波形を示す。熊本地点での加速度波形を見ると、S波の後続部分に通常のなめらかな波形とは異なる「尖った」波形が見られる。これは、強い揺れによって生じた地盤の非線形応答によるものと考えられる。
図5 地震の規模が大きく(Mj7.3)、かつ震源が浅かった(h=10 km)ことから、長周期地震動が強く発生した。4地点(一の宮、大分、此花、東雲)で観測された長周期地震動の例(地動速度、南北成分)を示す。参考のため、2003年十勝沖地震(Mj8.0)において長周期地震動による石油タンクのスロッシング事故が起きた苫小牧で観測された長周期地震動の波形も示す。
図5 地震の規模が大きく(Mj7.3)、かつ震源が浅かった(h=10 km)ことから、長周期地震動が強く発生した。4地点(一の宮、大分、此花、東雲)で観測された長周期地震動の例(地動速度、南北成分)を示す。参考のため、2003年十勝沖地震(Mj8.0)において長周期地震動による石油タンクのスロッシング事故が起きた苫小牧で観測された長周期地震動の波形も示す。
図4 強い揺れを観測したKiK-net益城とK-NET熊本の揺れの速度応答スペクトルを求めた(それぞれ、赤と緑の実線)。点線は、4/14日の地震(Mj6.5)の応答スペクトルを表す。どちらの地点も、4/14日の地震をうわまわる強い揺れであったことがわかる。益城では、4/14日の地震では0.6秒前後に強い応答見られたが、この地震では0.9秒前後に強い応答が起きている。おそらく、強い揺れの地盤の非線形応答(あるいは液状化など)により地盤の増幅特性が変化したものと考えられる。
図4 強い揺れを観測したKiK-net益城とK-NET熊本の揺れの速度応答スペクトルを求めた(それぞれ、赤と緑の実線)。点線は、4/14日の地震(Mj6.5)の応答スペクトルを表す。どちらの地点も、4/14日の地震をうわまわる強い揺れであったことがわかる。益城では、4/14日の地震では0.6秒前後に強い応答見られたが、この地震では0.9秒前後に強い応答が起きている。おそらく、強い揺れの地盤の非線形応答(あるいは液状化など)により地盤の増幅特性が変化したものと考えられる。
図6 速度応答スペクトルを見ると、震源に近い、KiK-net一の宮地点(熊本)での長周期地震動には、広い周期帯で十勝沖地震の苫小牧を上回る強い速度応答が確認できた。ただし、図5からわかるように、震源に近い一宮地点の地震動の継続時間は30秒程度であり、苫小牧で観測された数分間の長い長周期地震動に比べると、構造物に与える影響は比較的小さいことも考えられる。大分地点での長周期地震動の応答レベルは、苫小牧の半分程度であった。此花や東雲は、震源から数百キロ以上離れており振幅は小さいが、それぞれ6秒と10秒の卓越周期を持つ長周期地震動が観測された。
図6 速度応答スペクトルを見ると、震源に近い、KiK-net一の宮地点(熊本)での長周期地震動には、広い周期帯で十勝沖地震の苫小牧を上回る強い速度応答が確認できた。ただし、図5からわかるように、震源に近い一宮地点の地震動の継続時間は30秒程度であり、苫小牧で観測された数分間の長い長周期地震動に比べると、構造物に与える影響は比較的小さいことも考えられる。大分地点での長周期地震動の応答レベルは、苫小牧の半分程度であった。此花や東雲は、震源から数百キロ以上離れており振幅は小さいが、それぞれ6秒と10秒の卓越周期を持つ長周期地震動が観測された。

(古村孝志)


平成28年(2016年)熊本地震(M6.5)の地学的背景と布田川断層帯・日奈久断層帯について

(佐藤比呂志・石山達也・加藤直子)

 平成28年(2016年)熊本地震(M6.5)は、九州を代表する活断層である布田川断層帯・日奈久断層帯の近傍で発生しました。東京大学地震研究所では、地震調査委員会での議論の一助となるべく、震源域の活断層の地学的な特徴について資料を作成・提出しました。ここでは、提出した資料に基づいて、今回の地震と布田川断層帯・日奈久断層帯との関係や、地学的な背景について予察的な報告を行います。

日奈久断層帯は、熊本県益城町木山付近から芦北町を経て、八代海南部に至る断層帯で、北東-南西方向に延び、全体の長さは約81 kmにおよぶ長大な活断層です。

日奈久断層帯は、変動地形、重力異常や地質構造などの特徴から、北より高野-白旗区間(長さ16 km)、日奈久区間(長さ40 km)、八代海区間(長さ30 km)に区分されています(推進本部、2013)。本断層帯の主要な部分を占める日奈久区間では、断層に沿って谷や尾根の明瞭な右横ずれをともない、右横ずれ主体の活断層です。地質構造・微小地震活動などの特徴から、北西傾斜の断層面をもつと考えられます。これに対して、今回の主な地震発生域である高野-白旗区間では、地質構造・微小地震活動などからほぼ垂直な断層面をもつと考えられます。また、活断層の地表表現も日奈久区間と異なり、崖地形を伴う比較的不連続な断層トレースで特徴付けられます。両区間の断層トレースはほぼ連続的に見えますが、詳しく見るとこの様な活断層の構造的な特徴についての違いがあります。布田川断層帯は、重力異常からも北側が低下する構造境界として明瞭です。また、日奈久断層の中央部の日奈久区間では、西側に低下した構造が明瞭です。これに対して、高野-白旗区間では、重力異常から推定される地下の構造は複雑です。このような区間ごとの断層構造の違いは、断層の成熟度の違いに対応していると考えられます。

日奈久断層帯では、これまで多くのトレンチ・ボーリングなどの古地震調査が行われてきました。その結果によれば、高野-白旗区間では、約1,200-1,600年前に最新活動が起こったとされています。これに対して、南側の2区間の最新活動はこれよりも有意に古いとされています(推進本部、2013)。このような区間ごとの古地震活動は、データは少ないながら、区間ごとの構造的な特徴の相違に対応しているようにも見えます。

今回の地震の本震および余震は、大局的には日奈久断層帯の高野-白旗区間沿いに発生しているように見えます。今後は、余震観測を行って正確な余震の位置を決定することや、地震にともなって地表に断層が出現したかどうか、その分布がどうなっているか、といった変動地形調査を実施するなどし、今回の地震の性質そのものをまず明らかにすることが大切です。また、余震の一部は布田川断層帯でも発生しているとのデータもありますので、この点についても詳しく検討する必要があります。その上で、今回の地震発生域と断層帯のセグメンテーションの関係や、本震・余震の震源メカニズム、地殻構造と地震発生様式を明らかにすることが、今回の地震の背景を正しく理解する上で非常に大切だと言えます。

 

文献 

地震調査研究推進本部(2013)九州地域の活断層の地域評価, http://www.jishin.go.jp/evaluation/long_term_evaluation/regional_evaluation/kyushu-detail/, 2016年4月15日確認

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2
図 九州南部の短波長重力異常勾配図(中部大学工藤健教授作成)(推進本部、2013)
3
図 震源域付近の断層帯の分布と短波長重力異常勾配図(中部大学工藤健教授作成)(推進本部、2013)

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図 2016年4月16日 熊本地方の地震(M6.5)・震源域周辺の活断層の矩形モデル(地震調査推進本部,2013)。     本震源域の震源断層(高野-白旗区間)の傾斜角度は、ほぼ鉛直と推定されるのに対して、日奈久断層の日奈久区間、布田川断層帯は北西方向に傾斜した断層と推定されている。断層の傾斜は、重力異常による地質構造や微小地震活動の特徴から推定。

 


2016年4月14日 熊本県熊本地方の地震(Mj6.5)の強い揺れの特徴

(強震動グループ)

図1 地震による地表の最大加速度の分布(PGA; cm/s/s)。浅い地震(h=10 km)のため、震源(☆)の直上は水平動の加速度が最大500cm/s/sを超える強い揺れとなった。揺れは、震源から遠ざかるにつれて、同心円を描くように急激に弱まっている。防災科学技術研究所K-NET, KiK-net強震観測データを用いて作図。
図1 地震による地表の最大加速度の分布(PGA; cm/s/s)。浅い地震(h=10 km)のため、震源(☆)の直上は水平動の加速度が最大500cm/s/sを超える強い揺れとなった。揺れは、震源から遠ざかるにつれて、同心円を描くように急激に弱まっている。防災科学技術研究所K-NET, KiK-net強震観測データを用いて作図。
図2 この地震による水平動の加速度の距離減衰を、加速度距離減衰式(地震動予測式;Si and Midorikawa, 1999による)と比較。震源から約20 km以内では、水平加速度500 cm/s/sを超える強い揺れであったが、その後、距離とともに急激に減衰している。黒線は加速度距離式から予想される加速度(Mw=6.1, h=10 km)。点線は予測式の2倍と半分の値の範囲を示す。
図2 この地震による水平動の加速度の距離減衰を、加速度距離減衰式(地震動予測式;Si and Midorikawa, 1999による)と比較。震源から約20 km以内では、水平加速度500 cm/s/sを超える強い揺れであったが、その後、距離とともに急激に減衰している。黒線は加速度距離式から予想される加速度(Mw=6.1, h=10 km)。点線は予測式の2倍と半分の値の範囲を示す。
図3 震源に近い場所で強い揺れを記録した2地点(KiK-net益城、K-NET熊本)の地動速度波形(南北方向の揺れ成分)。1995年兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)の震源断層の近くで震度7相当の強い揺れを観測した、神戸大学と神戸海洋気象台の記録と比較する。兵庫県南部地震と同様に、周期1秒〜2秒程度のパルス状の強い揺れ成分が含まれる、強い揺れが続く時間が十数秒程度と比較的短い、など共通点が多い。
図3 震源に近い場所で強い揺れを記録した2地点(KiK-net益城、K-NET熊本)の地動速度波形(南北方向の揺れ成分)。1995年兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)の震源断層の近くで震度7相当の強い揺れを観測した、神戸大学と神戸海洋気象台の記録と比較する。兵庫県南部地震と同様に、周期1秒〜2秒程度のパルス状の強い揺れ成分が含まれる、強い揺れが続く時間が十数秒程度と比較的短い、など共通点が多い。
図4 上記の4つの強い揺れ記録(熊本地方の地震、兵庫県南部地震)について速度応答スペクトルを計算すると、益城と熊本地点の揺れには、周期0.4〜0.6秒の短周期成分に加え、周期1〜2秒程度のやや長い周期成分も強かったことがわかる。この特徴は、兵庫県南部地震での神戸海洋気象台や神戸大学での揺れの記録と似ている。なお、周期1〜2秒の強い揺れは、木造家屋に大きな被害を与えると考えられる。
図4 上記の4つの強い揺れ記録(熊本地方の地震、兵庫県南部地震)について速度応答スペクトルを計算すると、益城と熊本地点の揺れには、周期0.4〜0.6秒の短周期成分に加え、周期1〜2秒程度のやや長い周期成分も強かったことがわかる。この特徴は、兵庫県南部地震での神戸海洋気象台や神戸大学での揺れの記録と似ている。なお、周期1〜2秒の強い揺れは、木造家屋に大きな被害を与えると考えられる。

(古村孝志)

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ウェブサイト立ち上げ:2016年4月15日
更新日:2016年4月19日

2016年4月14日、21:26分頃、熊本県熊本地方でM6.5(気象庁による)の地震がありました。

*報道関係の皆さま、図・動画などを使用される際は、必ず「東京大学地震研究所」と、クレジットを付けてご使用ください。


2016年4月14・16日熊本地震の震源過程

http://taro.eri.u-tokyo.ac.jp/saigai/2016kumamoto/index.html

(纐纈一起・小林広明・三宅弘恵 東京大学地震研究所・情報学環)


 

2016年4月16日熊本地震(Mj7.3)の強い揺れの特徴

≪画像をクリックして動画をご覧ください≫

20160418fig.1
図1 地震発生から30秒,120秒後の揺れの様子。防災科学技術研究所の強震観測網(K-NET, KiK-net)データを用いて,日本列島の各地点の揺れの強さを強調して表示。赤は震央,オレンジ色のかたまりは,地震の強い揺れの広がり(地面の揺れの強さ)を現す。震源から断層運動が進行した北西方向に強い揺れが放出され、九州全域が 数十秒間強く揺れ、その後、揺れが秒速3キロメートル程度の速度で西日本に広がるようすがわかる。大阪、名古屋、関東などの平野では、揺れが増幅され長く続いているようすもわかる。 【画像クリックで動画を表示】。
図2 地震による地表の最大加速度(PGA; cm/s/s)と最大変位(PGD; cm)の広がり。浅い地震(h=10 km)のため、震源(星印)の直上には強い加速度が現れたが、大きな加速度を作り出す短周期の地震動は距離減衰が大きいため、震源から遠ざかると加速度が急激に減少している。これに対して、地面の「変位」は長周期の地震動成分により作り出されるため、距離減衰が小さい。遠く離れた大阪平野や関東平野などでは、長周期地震動により作られた大きな変位が確認できる。
図2 地震による地表の最大加速度(PGA; cm/s/s)と最大変位(PGD; cm)の広がり。浅い地震(h=10 km)のため、震源(星印)の直上には強い加速度が現れたが、大きな加速度を作り出す短周期の地震動は距離減衰が大きいため、震源から遠ざかると加速度が急激に減少している。これに対して、地面の「変位」は長周期の地震動成分により作り出されるため、距離減衰が小さい。遠く離れた大阪平野や関東平野などでは、長周期地震動により作られた大きな変位が確認できる。
図3 震源に近い2観測点(KiK-net益城、K-NET熊本)の(a)加速度波形(南北方向の揺れ成分;上)と、これを時間積分して求めた(b)速度波形を示す。熊本地点での加速度波形を見ると、S波の後続部分に通常のなめらかな波形とは異なる「尖った」波形が見られる。これは、強い揺れによって生じた地盤の非線形応答によるものと考えられる。
図3 震源に近い2観測点(KiK-net益城、K-NET熊本)の(a)加速度波形(南北方向の揺れ成分;上)と、これを時間積分して求めた(b)速度波形を示す。熊本地点での加速度波形を見ると、S波の後続部分に通常のなめらかな波形とは異なる「尖った」波形が見られる。これは、強い揺れによって生じた地盤の非線形応答によるものと考えられる。
図4 強い揺れを観測したKiK-net益城とK-NET熊本の揺れの速度応答スペクトルを求めた(それぞれ、赤と緑の実線)。点線は、4/14日の地震(Mj6.5)の応答スペクトルを表す。どちらの地点も、4/14日の地震をうわまわる強い揺れであったことがわかる。益城では、4/14日の地震では0.6秒前後に強い応答見られたが、この地震では0.9秒前後に強い応答が起きている。おそらく、強い揺れの地盤の非線形応答(あるいは液状化など)により地盤の増幅特性が変化したものと考えられる。
図4 強い揺れを観測したKiK-net益城とK-NET熊本の揺れの速度応答スペクトルを求めた(それぞれ、赤と緑の実線)。点線は、4/14日の地震(Mj6.5)の応答スペクトルを表す。どちらの地点も、4/14日の地震をうわまわる強い揺れであったことがわかる。益城では、4/14日の地震では0.6秒前後に強い応答見られたが、この地震では0.9秒前後に強い応答が起きている。おそらく、強い揺れの地盤の非線形応答(あるいは液状化など)により地盤の増幅特性が変化したものと考えられる。
図5 地震の規模が大きく(Mj7.3)、かつ震源が浅かった(h=10 km)ことから、長周期地震動が強く発生した。4地点(一の宮、大分、此花、東雲)で観測された長周期地震動の例(地動速度、南北成分)を示す。参考のため、2003年十勝沖地震(Mj8.0)において長周期地震動による石油タンクのスロッシング事故が起きた苫小牧で観測された長周期地震動の波形も示す。
図5 地震の規模が大きく(Mj7.3)、かつ震源が浅かった(h=10 km)ことから、長周期地震動が強く発生した。4地点(一の宮、大分、此花、東雲)で観測された長周期地震動の例(地動速度、南北成分)を示す。参考のため、2003年十勝沖地震(Mj8.0)において長周期地震動による石油タンクのスロッシング事故が起きた苫小牧で観測された長周期地震動の波形も示す。
fig.6
図6 速度応答スペクトルを見ると、震源に近い、KiK-net一の宮地点(熊本)での長周期地震動には、広い周期帯で十勝沖地震の苫小牧を上回る強い速度応答が確認できた。ただし、図5からわかるように、震源に近い一宮地点の地震動の継続時間は30秒程度であり、苫小牧で観測された数分間の長い長周期地震動に比べると、構造物に与える影響は比較的小さいことも考えられる。大分地点での長周期地震動の応答レベルは、苫小牧の半分程度であった。此花や東雲は、震源から数百キロ以上離れており振幅は小さいが、それぞれ6秒と10秒の卓越周期を持つ長周期地震動が観測された。

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本所永遠の使命

地震研正門脇のモニュメント

本郷通りから少し奥まったところにある地震研究所正門脇に、不思議なモニュメントがあります。その正体は、もうしばらく後で。 門を入ると、もっとも奥の真新しい建物が1号館です。エレベーターの前に立つと、ドアの上に1枚の銘板が掲げられており、次のような文章が刻まれています。開所10周年の年に、地震研究所設立に大きな役割を果たした寺田寅彦によって撰せられたものです。

 

寺田寅彦博士により起草された本所の使命

明治廿四年濃尾地震の災害に鑑みて震災豫防調査會が設立され、我邦における地震學の研究が漸く其緒に就いた大正十二年帝都並に關東地方を脅かした大地震の災禍は更に痛切に日本に於ける地震學の基礎的研究の必要を啓示するものであつた。この天啓に促されて設置されたのが當東京帝國大學附属地震研究所である。創立の際專らその事に盡瘁した者は後に本所最初の所長事務取扱の職に當つた工學博士末廣恭二であつた。其の熱誠は時の當大學總長古在由直を動かし、その有力なる後援と文部省當局の指示とによつて遂に本所の設立を見るに至つたのが大正十四年十一月十三日であつた。本所永遠の使命とする所は地震に關する諸現象の科學的研究と直接又は間接に地震に起因する災害の豫防並に輕減方策の探究とである。この使命こそは本所の門に出入する者の日夜心肝に銘じて忘るべからざるものである。
昭和十年十一月十三日 地震研究所

浅間火山観測所にて(1935)
石本式加速度地震計(水平動)
石本式水平振子シリカ傾斜計

近代地震学以前

人類は古くはアリストテレスから、地震という現象について深い関心を持ってきました。2世紀の中国において、張衡が世界最古の地震計を作ったといわれています。瓶に8個の玉を加えた竜頭が付いており、揺れを感じると揺れが来た方角の竜が玉を吐き出し、それを下の蛙の口で受け止める、といったものでした。近代的な意味での地震計ではなく、震動を感じる感震器という方が良いでしょう。

日本は地震多発国であり、人々の関心も低くはなかったと思われ、記録も多く残されていますが、地震という現象の奥深くへの科学的な探究は、近代の到来を待たねばなりませんでした。

一方、ヨーロッパ各国における古典地震学は、1755年のポルトガルの首都リスボンを襲い、死者3~7万人を出したリスボン地震が、その誕生の大きなきっかけになりましたイギリス人John Michell(ジョン・マイケル)などもその一人で、現代の目から見れば、その研究結果に問題はあるにしても、当時すでに地震の原因や震源決定法についての考察を始めていたことには驚かされます。しかし彼の没後、19世紀半ば頃までの数十年間の間、残念ながら地震研究は見るべき成果に乏しい沈滞期を迎えます。

やがて19世紀後半になると、アイルランド人Robert Mallet(ロバート・マレット)、イギリス人William Hopkins(ウイリアム・ホプキンズ)、ドイツ人Karl von Seebach(カール・フォン・ジーバッハ)たちの手で、震源の位置や深さを知るための、さまざまな地球物理学的方法が研究されるようになります。マレットはseismology(地震学)、epicenter(震央)などの用語の創始者でもあり、その著“The Dynamics of Earthquakes(地震の力学)”は、近代地震学の基礎を準備したといわれています。

 

最初の地震観測

わが国における最初の地震観測は明治5年(1872)、政府のお雇い外国人であったオランダ人G.F.Verbeck(フルベッキ)により、東京・日本橋において、長さ6フィート(約1.8m)の振り子を用いて試みられました。またドイツ人E.Knipping(クニッピング)もこれと別個に、振り子による観測を行いました。

幕末から明治初期にかけては、旧幕府も新明治政府も、政治・経済・軍事・文化等々様々な分野において、近代化を急ぐ必要に迫られていました。その相談・指導に当たったのが、政府によって招聘された「お雇い外国人」でした。その数は明治元年(1868)から明治22年(1889)だけでも、イギリス人928名、アメリカ人374名、フランス人259名など、2,299名にも上っています。

G.F.Verbeck(フルベッキ)を例に取ると、オランダで工科学校を卒業しましたが、その後アメリカに渡って神学校に入学。上海を経由して日本に入国したのは、米国オランダ改革派教会の宣教師としてでした。ところが維新前のことで、宣教師としての活動はできず、英語などを教えて生計を立てていましたが、その間に大隈重信、副島種臣らと親交を結び、維新後は政府の法律顧問などの経歴を持つに至っています。

Knippingは商船学校卒業後、航海士として来日しましたが、大学南校)(東京大学の前身)でドイツ語・数学の教師を務め、後には日本最初の天気図を作成し、「全国一般風ノ向キハ定リナシ 天気ハ変リ易シ 但シ雨天勝チ」という天気予報第1号を出したことでも知られています。

Verbeck肖像G.F.Verbeck

Knipping肖像E.Knipping

輸入された地震計

一方、政府においては明治6年(1873)函館気候測量所で、機器によらない人間による地震観測が開始され、明治8年(1875)には東京気象台(気象庁の前身)が設けられました。

内務省地理寮に測量技師として招聘されたH.Scharbau(シャーボー、フランスからイギリスに帰化)が、特別にイタリアに発注したというPalmieri(パルミエリ)地震計を持参し、器械による正式な地震観測がイギリス人H.Joyner(ジョイネル)によって始められました。この地震計はイタリア人L.Palmieriにより、ベスビオ火山の地震観測用に考案されたものです。地震の発生時刻と持続時間を記録する装置、地震動の強さと方向を知らせる装置、感震部などからなり、感震部にはU字型ガラス管に満たした水銀の上に浮かべた鉄球のウキ、スプリングなどが用いられていました。地震波形を記録できるものではなかったので、感震器と呼ぶのが適当でしょう。現在の東京都港区赤坂、ホテルオークラのあたりに設置されました。

本格的な地震計

明治13年(1880)の横浜地震がきっかけとなり、日本における近代地震学の扉を開いたのもお雇い外国人でした。中でも忘れるわけに行かないのは、“Earthquake Milne(地震屋ミルン)”とあだ名されるようになったJohn Milne(ジョン・ミルン)、James Ewing(ジェームズ・ユーイング)、そしてThomas Gray(トマス・グレイ)の3人です。

John Milne

James Ewing

3人はいずれもイギリス人。ミルンは工部省工学寮の教師に招かれましたが、この組織は工部大学校に改変され、さらに東京大学理学部と合併して東京帝国大学工科大学となります。ユーイングは明治13年にすでに実用的な水平振子を用いた地震計を考案し、大学は彼のために神田一ツ橋(現在の神田錦町)にあった構内に、地震学実験所を設けました。またグレイは、スプリングを用いた上下動の観測法を考案しました。

この3者の工夫を集成して作られた「ユーイング=グレイ=ミルン地震計」によってようやく、地震動の水平2成分・上下成分・時刻を記録することができる、本格的な地震観測機器ができあがったと言って良いでしょう。東京気象台においても明治18年(1885)、Palmieri地震計による観測を止め、ユーイング=グレイ=ミルン地震計による観測を開始しました。

Ewing水平振子地震計(模型)